第337回:凍る海を眺めて -釧網本線 網走-知床斜里-
ベッドサイドのアラームが鳴る前に目覚めた。午前5時。カーテンの隙間から外を見る。空は暗いけれど、地上は明るい。街灯が道に積もった雪を照らしていた。車道の雪は少なくて、おそらく夜通し除雪をしているのだろう。歩道も除雪車が稼働していた。歩道用の除雪車があるとは知らなかった。歩道も車道も、除雪して地面が見えてから10分ほどで真っ白になってしまう。しばらく眺めていると母も起きてきた。ふたりで雪の街をしばらく眺めた。
朝の網走駅前。
今日は網走発06時41分の釧網本線の始発列車で出発する。私の旅は車窓が目的だ。始発から日没までが行動時間である。朝はノンビリ、という旅ではない。母の旅は「朝はノンビリ朝食を」だろう。しかしそうはいかない。私のスタイルに付き合って頂く。今日のような真冬であっても、である。低血圧の母にとって辛いかもしれないと思う。しかし話を聞くとそれは昔の話で、最近は早起きだという。子宮筋腫の手術をしたら血の巡りが良くなったらしい。けっこうなことである。高齢で血圧が上がったからだとも思うけれど、言わない。私も早寝早起きになっている。目覚ましを使わず、眠くなったら寝る、という暮らしをすると、体内時計が正確に働くようになるらしい。
網走駅。
釧網本線のディーゼルカーは1両編成だった。現代的な銀色の車体である。形式はキハ54とあった。普通列車用としては座席が上等だ。生地はグリーンのモケットで、ふかふかの座り心地。ドア付近のロングシートはひとり掛けを繋いだスタイルでゆったりとしている。中央はふたり掛けが並び、一昔前の特急のようだ。椅子の向きは固定されており、車体の中心に向かい合う"集団見合い式"である。ヨーロッパの鉄道車両に多いけれど、日本では珍しい。10人ほどの客が向きを変えようとして、ちょっと首をかしげて、そのまま座った。私と同様、彼らも旅行客だろう。
釧網本線の始発列車。奥は石北本線の始発列車。
母と座って発車を待つ。しかし、ふと思い立ち、私は運転席の後ろに立った。雪国の始発列車である。もしかしたら、轍の見えない雪の道を走るかもしれない。その予想は当たった。駅構内を出た列車は、そこにレールがあると信じて白い道を走った。隣の道路で除雪車が活躍している。クルマもふだん通りのスピードに見える。このあたりの雪は滑りにくいらしい。そういえば、駅前を歩いたときも砂浜を歩くような感じだった。踏み込んだ雪がキャッと音を立てた。その道路の向こうに海が見えた。鉛色、ということは、流氷は到達しなかったようだ。
室内は珍しい"集団見合い式"。
母の隣に戻ると駅に着いた。藻琴と書いて"もこと"駅。細いつららが何本も下がり、飲み屋の縄のれんのようである。そのつららを見て母が喜ぶ。見るモノすべてが珍しく、楽しそうだ。その陽気に誘われたらしく、前の席の白人女性がときどきこちらを見てほほえんでいる。きれいな人だ。結婚指輪をしてひとり旅とはどういう心境だろうかと思う。婚約者か夫と離れて暮らしているのだろうか。想像を巡らせていたら、彼女が急にこちらを振り向いたので慌てた。なにか話しかけてくる。日本語ではないからわからない。英語でもないらしい。窓の外を指さして「ン……ン……フォックス!」と言った。母も見つけたらしく「キツネ、キタキツネ!」と言った。女性はそうだそうだと嬉しそうな顔をした。
轍のない道を走る。
再び車窓に海が戻ってきた。白い波が固まったように見える。流氷であった。こちらは接岸している。よかった。母も白人女性も嬉しそうだ。大喜びしたいけれど、同じ景色をあとでもう一度見ることになるから、今は気持ちを抑えておきたい。私たちは知床斜里から戻るように『流氷ノロッコ号』に乗る予定だ。『流氷ノロッコ号』は流氷の接岸時期に限り、網走と知床斜里を2往復する。初便は知床斜里発網走行き、折り返しの列車は網走を10時25分に出る。したがって網走に泊まった場合、ノンビリして網走発に乗るか、早起きして一番列車に乗り、知床斜里まで迎えに行って戻るという行程になる。私たちが初便を選んだ理由は、もう網走に戻らず、今日のうちに釧路へ南下したいからである。
沿岸に流氷が見えた。
私たちは知床斜里駅で降りた。件の白人女性も降りた。中国人らしい女性グループも降りた。きっと私たちと同じルートなのだろう。知床斜里駅は小さいながらも新しく、案内所やロビーもあった。トイレは温水洗浄器付きだった。喫茶店のような丸テーブルがあって、日中はカフェテリアとして営業しているようだ。今は7時半だから無料開放といったところ。中国人女性グループがしばらく占拠していたけれど、やがてどこかへ行ってしまった。白人女性もいない。駅前ロータリーの向かいにホテルがあるので、そこのラウンジに行ったのかもしれない。さらに遠くにはコンビニも見えた。流氷ノロッコ号の発車は08時55分。それまで約1時間半の過ごし方は様々である。
ロビーにゴマアザラシの剥製。
私は駅舎を出て、ロータリーに踏み出して派手に転んだのち、駅舎と構内に沿って雪道を歩いた。歩みを進める度に、ポクッ、キュッ、と音が出る。駅舎から200メートルほど東に線路を跨ぐ歩道橋があった。そこに上って駅構内を眺める。流氷ノロッコ号の緑色の客車が停まっていた。作業員が数人現れて、列車がいったん歩道橋の下をくぐり抜ける。きっと駅舎のあるホームに戻ってくるだろう。私は駅舎に戻った。マイナス10度の朝は、ほんの数分間でもカメラを構えると、指の先が痛くなる。
「外に出るときは、雪が積もっていないところの方が滑るから気をつけてね」
「滑ったのね」
「はい」
母は駅舎の外に出なかった。
知床斜里駅。
腹が減ったと意見が一致し、弁当を開いた。弁当といっても、昨夜、網走で買ったザンギとコンビニのおにぎりである。ザンギは『なると』という専門店の品だ。この店は持ち帰り専用で、ザンギと鶏の半身揚げしか出さない。しかし絶品という噂だった。噂に違わず美味だった。しかし買いすぎて余っていた。冷めても美味い。昨夜、食べ残したときはどうしようかと思ったけれど、買っておいて良かった。
昨日は魚介類好きの母のために、網走の街へ出かけて、ネットで評判を調べた居酒屋に行った。母は新鮮な料理に大喜びで酒も進んだ。店員が若いイケメンで、母の話し相手になってくれた。そんなわけで、昨夜の母は上機嫌だった。ザンギとおにぎりは魚介を苦手とする私の、夜食のつもりだった。しかし、魚介が苦手な私も居酒屋で焼き魚などに手を出し、母に付き合って少々飲んだ。こういう店は、ふだんの私の旅では行かない。固いカーペット車でゴロ寝させたり、早起きさせたり、列車に乗りづめの旅では母も不服だろうと、私もちょっとは気を遣っている。そして、どうやらそれは成功しているようだ。
跨線橋から構内を眺める。
発車の時刻が近づいた。中国人グループが戻ってきた。白人の女性も戻ってきた。それだけではなく、私が滑って転んだロータリーに観光バスが到着して、大勢のお客さんがやってきた。流氷ノロッコは団体ツアーのコースの一部にもなっているようだ。お客さんたちはノロッコ号に乗り、バスは先回りして網走で待っているという段取りらしい。この付近の宿泊施設からの送迎もあるだろう。小さな駅が、たちまち賑やかになってきた。
-…つづく
|