第315回:駒ヶ岳を眺めて朝食 -トワイライトエクスプレス 5-
更新日2010/01/21
トワイライトエクスプレスの車窓に早朝の北海道が映る。戸建ての家もアパートも、新しい建物も古い建物も、立派な煙突がついている。あれをひとつずつ出たり入ったりするなんてサンタクロースも大変だと、寝ぼけた頭で考えている。広大な土地があるにもかかわらず、低い建物が密集する。それが北海道の町なんだろうか。生産に使う土地と住む土地をきっちり分けているように見える。厳しい開拓時代では、このほうが助け合いに都合が良かったのだろう。
もっとも、函館、札幌から北東方面に行くほど、農地の中にぽつんと家が立つ景色になる。開拓の範囲が広がるうちに時代が進み、馬車や車で往来するようになった。隣の家と離れても差し支えなくなり、農家にとっては職住接近のほうが都合がよい。そんな事情かもしれない。
大沼国定公園にさしかかった。
05時30分を過ぎる頃、列車は大沼公園にさしかかった。小沼の向こうに駒ヶ岳が見える。ロビーカーは大沼国定公園の眺めにも都合の良い座席配置だ。その景色を眺めつつ、携帯電話でM氏を呼んだ。6時ちょうどから食堂車で朝食を予約している。そろそろお出ましを願いたい。M氏はすぐにやってきた。すでにこちらに向かっていたようだ。カーブ区間でどこかの窓から前方の機関車を撮っていたのかもしれない。
朝食は和定食を選んだ。メニューは和風サラダ、焼鮭、煮染め、温泉玉子、お新香、海苔、味噌汁、ご飯。典型的な旅館の朝食である。ご飯はお櫃にたっぷり入っている。動く列車の中で温かいご飯と味噌汁が飲めるとは、なんと贅沢なことだろう。いつもの私の旅らしくない。が、たまにはこんな旅もしておきたい。列車に乗っていれば節約旅行も楽しいけれど、そこには一般的な汽車旅の楽しさはなかったとも思う。
朝食メニュー。ご飯がうまい。
「昨日の夜、スイートのお客さんとロビーで話したよ」とM氏が言う。
「どんな人でしたか」
「娘さんと母親だった。娘さんは30代くらいかな」
「嫁入り前の娘さんとお母さんの思い出づくりでしょうか」
「さぁ、そこまでは聞かなかったけど、楽しそうだったな」
私たちが、というより、M氏が何度もチャレンジしたスイートである。そのオーナーが鉄道ファンではなく、一般の人で良かった気がする。あの部屋は鉄道ファンの趣味を満足させるより、「人生のご褒美旅行」のほうがふさわしいと思う。鉄道の旅のファンが増えたかもしれない。
朝食の予約は45分間隔だ。私たちは20分ほどで食べ終わってしまい、残りの時間をコーヒーでゆっくり過ごした。列車は内浦湾に沿って走り、緩やかなカーブを進んでいく。今度は海の向こうに駒ヶ岳が見えた。カメラを構えると、テーブルランプが窓に映り込んでしまう。M氏にスイッチを切ってもらう。カメラを構える、スイッチを切る。そんなことを繰り返した。動くレストランでこんな景色が楽しめるとは幸せだ。
私たちはロビーに引き上げた。列車はまだ内浦湾に沿っている。タイキ君と祖父母がいた。次の回の朝食を予約したそうだ。相変わらず元気な子で、しばらく遊んで貰った。こちらは満腹なので動きが緩慢である。子供は空腹でも元気だ。かなわない。M氏がまた呆れている。
列車は長万部を通過した。さて、ここからは初乗り区間になる。景色に集中したい。列車は内浦湾の北端を回って洞爺駅に停車する。北海道で最初の旅客扱いである。ロビーカーのそばに駅名標があって、そこにビニール袋がぶら下がっている。中身は新聞だ。それを食堂車のスタッフが持って戻った。個室の乗客向けに配られるものだろう。時刻は07時17分。大阪発車時の遅れは取り戻し、定時運行になっている。
「Mさん、僕はこの区間は初乗りなんですよ」
「そうなの」
「でも、北斗星には乗ったことがあるんです」
「え、ここ通るでしょ」
「だけどこの区間の乗車記録がない。何故でしょう」
「うーん、事故かなにかで打ち切りとか、迂回とか」
「そう。さすがです。2000年に有珠山が噴火した時期でした」
「函館本線経由だったのか。いいな、貴重な体験をしたなあ」
有珠山は雲の中。
当時のこの辺りは大変なことになっていたわけで、ちょっと不謹慎な気もするけれど、確かに貴重な体験ではある。鉄道ファンの楽しみは、時々不謹慎な会話が行われる。後に調べると、あの時期、私が乗った北斗星1号は迂回運転で札幌まで走った。しかし、後続の北斗星3号は終着駅が函館駅に変更されている。1号でラッキーだったと思うけれど、被災者にとってはラッキーどころの騒ぎではなかった。その有珠山が、ロビーカーの大きな窓に現れた。頂上は大きな雲に覆われていた。手前は森や草原である。灰色の雲の下、一面の緑色がきれいだけれど、当時はすべて灰色だったのだろう。想像するだけでも凄まじい風景だ。
内浦湾沿線の最後を飾る風景は室蘭港だ。新日鐵のセメント工場や製鉄工場がある。車窓には無数のタンク貨車が見えて、M氏の目が輝き出す。その奥に円柱型や球型の建物が並んでいる。テレビの基盤のようだ。列車は減速を続けて、東室蘭に停車した。室蘭駅はここから分岐した線路の先にある。東室蘭から室蘭までは7.0km。もちろん未乗である。今回の旅で行程に組み入れたかったけれど、時間が取れなかった。
室蘭に近づいた。
室蘭から先、列車は再び海沿いを走る。今度は湾ではなく太平洋だ。海岸線からはやや遠く、海は建物越しに伺う程度。こんな景色を見て朝食じゃつまらなかった。6時からの朝食予約は早すぎたと思ったけれど、あの時間で正解だった。知り合いがこの列車に乗るときは早寝早起きを勧めよう。睡眠が足りなくても、札幌着は10時前。二度寝の時間はたっぷりある。もっとも、私やM氏は景色に夢中で眠れない。
ロビーカーは意外と空いている。朝食を済ませた人々はほとんど自席に戻ってしまった。旅の締めくくりは自分の寝台で迎えたいのか、荷物の整理をしたいのか。M氏も帰った。カメラを触りたいのだろう。ロビーカーには大型テレビが設置されていて、観光情報や映画などのチャンネルがあるようだ。個室に備えられたテレビと同じ番組を楽しめる。
中年の女性がテレビに注目している。景色が退屈になってきたのでその気持ちはわかる。しかしこの映画は良くない。日本の映画で、途中から見ているので題名は不明。両親と女の子という家庭で犬を飼い始めてたはいいが、母親が病気で亡くなってしまう。女の子は犬に癒されつつも、父の転勤で犬を飼えない社宅に引っ越さなくてはいけない。友達の家に犬を預かって貰うけれど、その犬が脱走し……という話だ。私も犬を飼っていて、旅に出るときは母に留守番を頼んでいる。じつはそれにはちょっと後ろめたさを感じている。その気持ちをこの映画がチクチクと刺激する。車掌さんが現れて、気を効かせたつもりか音量を上げた。
札幌近郊の街並み。
居心地が悪くなったので、Bコンパートに戻った。M氏が荷物を広げていた。私は廊下の折りたたみ椅子に座って景色を眺めている。苫小牧駅付近には大きな製紙工場があった。地方の駅のそばにある大きな工場と言えば、たいてい製鉄か製紙である。今はどうか知らないけれど、製紙と製鉄は貨物列車のお得意さんだったのだろう。
列車は内陸へと進路を変える。今度は左手に千歳空港が見えるはずだ。寝台下段の窓側に移動してそれを眺める。今は千歳空港ターミナルに゜駅ができているけれど、かつては南千歳駅が千歳空港駅だった。駅からターミナルまでは屋根付きの長い橋を歩かされた。その橋を久しぶりに見た。途中で途切れ、その先は撤去されていた。迂回ルートの北斗星に乗って以来、9年ぶりの北海道である。景色も変わって当然だ。
札幌に近づくにつれて住宅が増えてきた。通勤圏なのだろう。東京近郊の新興住宅街のような新しい家が多い。煙突のある家はほとんどない。ストーブではなく、エアコンが普及しているようだ。線路が高架になって、街を見下ろす景色になった。札幌着は定時の09時52分。約22時間の列車の旅は、長すぎず短すぎず。たっぷりと楽しめた。
定刻に札幌着。
-…つづく
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