第336回:流氷遥かなり -流氷特急オホーツクの風 その2-
"流氷特急オホーツクの風"は山間部をひた走る。上川の次の駅、上白滝を通過。上白滝は秘境駅として知られるようになった。一日に上下1本ずつの列車しか停まらない駅で、人里から離れたところにある。その次の白滝駅も通過。上りディーゼルカーがこちらの通過を待っていた。たった一両の快速列車"きたみ"だ。時刻は11時ちょうど。"きたみ"の白滝駅発車時刻は10時57分だから、こちらが約3分遅れている。いや、もしかしたら臨時列車に合わせてダイヤを変更しているかもしれない。
流氷特急の山越え。
快速"きたみ"と邂逅。
丸瀬布に停車した。この近くの"いこいの森"に森林鉄道が保存されている。いつか行ってみたいところである。続いて瀬戸瀬に停車。ここでは客扱いは行わない。しばらく待っていると、前方に定期列車の"オホーツク4号"が現れ、ゆっくりとすれ違っていった。客扱いのある丸瀬布ですれ違えばいいと思うけれど、単線の長距離路線では、ほんのちょっとの位置関係でダイヤが大幅に変わってしまう。臨時列車を割り込ませるためには、ここがベストな場所なのだろう。
定期特急列車オホーツクとすれ違う。
山間を走っていた列車が平野に出た。風景に建物が混じってくる。前方。白いスクリーンのような空間に、黒い建物が浮かび上がる。それは大海原に現れる島のようだ。一本の線路が分岐して増えていく。列車は速度を落とし、黒い島に漂着した。遠軽駅だった。遠軽駅は行き止まり式の構造になっている。石北本線の旭川方面と網走方面の線路が合流し、列車はこの駅で折り返すように発着する。スイッチバックスタイルだ。
"流氷特急オホーツクの風"も同様に折り返す。私たちは車内放送にしたがって、座席の向きをくるりと返した。天井から下がったテレビが背を向けてしまった。これではつまらないから、テレビの向きも返した。ピンをはずし、回転させて、ピンを戻す。後方の老夫婦が要領を得ないようで、そちらの向きも変えた。ありがとう、と言われた。日本人だった。そういえば、札幌から今まで、乗客の声は中国語しか聞こえなかった。そうか、今は2月。彼らにとっては旧正月の休暇かもしれない。北海道は中国系の人に人気があるんだな、と思った。しかし、この冬は特に人気が高かった。私たちはその理由をまだ知らない。
遠軽駅に到着。
遠軽駅はスイッチバックスタイルの駅だ。スイッチバックは山岳路線に多く、このように平野部にある形は珍しい。しかし、これは成り行きでこうなっただけで、もともとスイッチバックの駅ではなかった。かつて、行き止まりの先に名寄本線が通じていた。その線路は北に向かった後にオホーツク海沿岸の紋別を経由、さらに西へ曲がって宗谷本線の名寄駅に接続していた。これが札幌と網走を結ぶ最初の鉄道ルートであった。その後、山岳地帯を貫く短絡ルートとして石北本線が開業し、遠軽駅の南側から接続した。この後、国鉄の赤字ローカル線廃止策によって名寄本線が消滅。遠軽はスイッチバック型の駅になった。
もうすぐお昼である。ザンギ丼である。私は3号車の1階に向かった。予想したとおり、ロビーは親子連れで賑わっていた。中国語が飛び交い、その会話が中断し、母親たちは警戒心あふれる表情で私を見上げた。私はなぜか海外旅行で観光地を逸脱した気分になった。カウンターにいたアテンダントの微笑に安堵する。しかし、ザンギ丼は網走で積み込むため、上り列車でしか提供されないという。提供されるメニューはホットコーヒーとフライドポテトなどとのこと。私は早弁を後悔した。座席に戻り、それを母に伝えると、仕方ないわね、と言った。あまりがっかりしていない。かに飯で満腹になり、私が散歩している間にうたた寝をしていたらしい。すっかり汽車旅を満喫していた。
ラウンジは親子連れで賑わっていた。
このあたりの区間の乗車は初めてではない。もう25年も前に北海道ワイド周遊券で旅している。たしか、池北線で北上し、北見から遠軽、遠軽から名寄本線で興浜南線、バスに乗り継いで興浜北線というルートだった。北見の駅前に東急デパートがあって、見慣れた東急マークをこんな遠い場所で見つけるとは、と嬉しかった。しかし、これらの路線も東急デパートも、今はなくなった。あの時は秋。今は真冬。景色も新しく感じる。
美幌を発車した後、観光案内の放送があって、女満別駅から先の左手に網走湖が見えるという。この時期は氷が張っていて、ワカサギ釣りや氷上テント、そり等を楽しむ人が多いとのこと。そこで左の窓ばかり注目してしまい、西女満別駅付近の女満別空港を見逃してしまった。右の車窓の道路を隔ててすぐの場所のはずだった。網走湖は木立に遮られてよく見えない。この木々はおそらく防雪林で、雪国の平野部に見られる。あとでネットで航空写真を見てみたら、線路の女満別空港側も防雪林が植えられていた。たぶん車窓から飛行機は見えなかっただろうと思う。
凍った網走湖。
石北本線はいったん網走湖から離れ、また姿を見せる。線路はまっすくだけれど、このあたりは地面が湖面に突き出している。地図にも呼人半島と記載されている。半島を抱える湖は珍しいのではないか。もっとも、網走湖のあたりはもともと海であったという。今も潮の満ち引きで海水が入り込み、比重の違いで底に海水層、湖面に淡水層ができる。海水層が栄養を作り出すため、淡水側の魚介類がよく育つそうだ。
再び現れた網走湖は氷面がよく見えた。青や黄色のテントが立ち、氷上で遊ぶ人も見える。この時期、網走湖の氷の厚さは50cmにもなるという。湖に50cmの氷が張るなら、流氷だって期待してよさそうだ。しかし、網走の流氷到来は減っているらしい。過日、流氷観光船を予約したときも、あまり期待できないという返事であった。網走港からの流氷観光船は、16時30分に出航する"サンセットクルーズ"がある。夕日に照らされた赤い流氷を観られるという。その便を希望したけれど、流氷のない時期は取りやめになる可能性が高いと言われ、その前の15時30分の便を仮押さえした。この便は流氷がなくても湾内遊覧船として出航すると言う。
網走駅に到着。
13時21分、流氷特急は定刻で網走駅に到着した。母をホームに待たせて列車を撮る。改札を出て、まずは流氷観光船の案内所に電話した。やはりサンセットクルーズは運休とのことだった。15時30分の出航の前に、"博物館網走監獄"を見物しにいく。サンセットクルーズを使うなら3時間を見込めたけれど、船が繰り上がったから、待ち時間は2時間しかない。博物館まではバスで数分、ただし便が少ない。ここは母の提案でタクシーに乗った。私はバスより高いタクシーをあまり使わない。しかし、運転免許を持たず、最近は徒歩を好まない母は、タクシーを使い慣れているらしい。時間もないので母に従った。
早足で網走監獄を巡る。
急ぎ足で博物館を巡って、またタクシーで観光船のターミナルに向かう。窓口で予約番号を告げると、今日は流氷が来ていないがいいか、と言われ、それでもいいと応えると、料金を若干差し引いてくれた。そこまでしなくても、と思うけれど、流氷観光船という看板を出している以上、流氷が来ないと苦情が来る。その対策かもしれない。振り返れば乗船口には長い行列ができていて、韓国語と中国語が飛び交っている。網走は国際的観光地であった。
母と列に加わり、なんとなく遠慮がちに日本語で会話する。流氷はないらしい、というと「やっぱりそうでしょうね」と言った。平然としているけれど、かなり落胆していることだろう。初めて訪れた私でもがっかりしている。母は2度目で、また観られない。時期をもう少し遅くしたら良かったのかもしれない。しかし、この時期しか時間を作れなかった。来年かその次の年、三度目の正直ツアーをやろうか、と思った。
流氷観光船"おーろら"
ところが、船が沖へ出て行くと、海上に薄い板が現れた。廃工場の割れた曇りガラスのような、それが流氷の切片だった。切片はしだいに大きくなり、卓袱台、畳ほどの大きさになっていく。それはカクテルのスノースタイルのように、氷の淵に雪を載せていた。まちがいなく流氷である。デッキに出ると、薄い流氷たちが後方へ流れていった。客室に戻って母をデッキに連れ出す。「前に来たときよりはこんな氷もなかった」と言った。
私たちが想像した流氷は、巨大な氷塊がぶつかって音を立てたり、船の周りを真っ白に取り囲んだりする。その理想には程遠いけれど、まさしくこれは流氷であった。私は今回の旅の最大の責務を果たした気がした。
沖合の折り返し地点に流氷があった。
-…つづく
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