第333回:雪国の暑い夜 -特急つがる&急行はまなす-
東北新幹線"はやて29号"は、八戸駅で弘前行きの在来線特急"つがる29号"に接続する。どちらも29号だ。列車名の数字を合わせて一体感を強調している。しかしこれも来年までだ。東北新幹線が新青森まで開通すれば、東京と青森は一本の列車で結ばれ、"つがる"は消滅するはずだ。外は真っ暗で景色が見えないけれど、"つがる"に乗るという経験ができてよかった。このあたりの景色は開通後の新幹線で楽しむことにしよう。
"特急つがる" E751系。
"つがる"の車両は白い車体に赤いスカートの新型、E751系であった。新型といってももう10年くらい経っているはずだ。東北新幹線の未開通区間を接続するために作られた車両で、当初は盛岡と青森を結ぶ"スーパーはつかり"に使われた。新幹線が八戸まで延びたので八戸と青森を結ぶ"つがる"になった。新幹線が新青森まで到達したらどうなるのだろう。E751系の7は交流電化区間専用を示すから、直流電化の首都圏では使えない。青森と秋田を結ぶ特急"かもしか"は国鉄時代に作られた485系を使っているから、それを置き換えるかもしれない。
"はやて29号"は夜遅めの列車のせいか、お客さんのほとんどが盛岡駅で降りてしまった。私たちの車両はガラガラに空いていた。それでも八戸駅ではまとまった数の人々が降りて、ホームのエスカレーター前で行列を作った。その行列は八戸駅の出口方面と在来線ホーム方面に分かれる。在来線特急"つがる29号"は6両編成で、指定席車はたちまち満席になった。自由席からも人があふれてきて、指定席車で立つ人もいる。新幹線からの乗り換え客だけではなく、青森県内区間の利用者も多いらしい。東北本線の八戸-青森間は列車の本数が少ないから、お客が集中するとも言える。なにしろ1時間当たり普通列車1本、特急列車1本しかない。こんな区間に新幹線を通すのかと思う。新幹線が開通すると在来線は普通列車1本で足りる路線になるわけで、それを押し付けられる第三セクターが悲鳴を上げるわけだ。
夜の八戸駅構内。
私は母に窓際の席を勧めて"つがる29号"の発車を待った。しかし母は「いまのうちにトイレに行かなくちゃ」と席を立った。私も立ち上がらないと通路に出られない。「いまのうちにって」と言うと「だって、走っている間はトイレに行っちゃいけないんでしょ」と言う。「もしかして、昔の垂れ流し便所のことを言ってるの。いまどきそんな電車はないよ。タンク式だからいつでもいいんだよ」と言うと"あらそう"と言い残して行ってしまった。
どうもよくわからない。確かに昔は便器の穴から線路が見える便所が多かった。しかし、その便所には"駅の停車中は使用をご遠慮ください"というプレートが貼ってあった。同じ場所に汚物が落ちて臭気を放つし、人目のある場所にウンコが晒されてしまう。だから、垂れ流し式便所は、むしろ走行中の使用を推奨していたはずだった。母は旅立ちの高揚感が続いているようだ。
津軽の車内は暑かった。
満席の"つがる29号"が走り出した。車内は暑苦しい。これは満席のせいではなく暖房が強すぎる。そういえば"はやて"も暖房を効かせていた。ああそうか。北国だったなと思う。雪の降る地方の人々は、意外にもふだんは薄着である。なぜなら、クルマも建物も暖房が効いているからだ。私も信州の松本に住んだころはめったにコートを着なかった。クルマがコート代わりだった。寒さを我慢する場所はクルマを出てから建物に入るまでのわずかな時間しかない。私はそれをすっかり忘れて、冬の北国に行くのだと気を張って厚着をしている。暑さで頭の働きが鈍くなる。母はしばらく窓を眺め、やがて居眠りを始めた。私も眠りたいけれど暑くてだめだ。早く青森に着いてほしいと願っている。
21時49分に野辺地着。かすかに駅の案内放送が聞こえた。いわく"大湊線に乗り換える人は明日の朝までお待ちください"とのこと。すごい放送である。明日まで待つ人がいるのだろうか。待たせてくれる施設はあるのだろうか。これには母も驚いたようで、私に何か言いたそうである。"大丈夫、ほとんどの人は家族がクルマで迎えに来るよ"と言った。"それもそうね"と言って、母はまた目を閉じた。暑い。青森到着まで、あと20分の辛抱である。
急行"はまなす"に乗り継ぐ。
青森駅に定刻到着。22時18分。隣のホームに青い客車が並んでいた。私たちが次に乗る列車、札幌行き急行"はまなす"である。こんなに早くから入線しているなら、もう1本早い"はやて"でもよかったな、と思う。母を促して跨線橋の階段を上り、"はまなす"のホームに下りた。歴史のあるホーム。ブルートレインブームのころに作られた青い客車が連なっている。旅の雑誌で見開き扱いになりそうな、夜行列車の発車にふさわしい風景だ。私たちが予約した事跡は"のびのびカーペット"である。その車両は幸いにも、階段から近いところにあった。
青森駅は雪の中……。
ホームの端にうっすらと積もった雪に注意して、まずは母を案内する。「あら、フェリーみたいね」と言った。どこのフェリーかは聞かなかったけれど、そのとおり。カーペット席は船の桟敷席に似ている。急行"はまなす"は、かつての青函連絡船夜行便の需要を受け継ぐ列車である。青函連絡船に座席、カーペット席、寝台があったように、この列車にも寝台車、座席車、カーペット車がある。カーペット車の指定席利用金は通常の座席と同じだから、寝台料金に比べるとかなりトクだ。枕と毛布もついている。座席のほうもグリーン車のシートを使ってゆったりした配置になっている。どうせ乗るなら、珍しいカーペット席がいい。母には座席のほうが楽かもしれないと思った。しかし、こういう珍しい経験も話の種だし、私の旅は私の興味が最優先だし、ちょっとつらい思いをして、懲りてもらいたいとも思う。
今夜の宿は"のびのびカーペット"。
のびのびカーペット車内。
私は荷物を置いて「写真を撮ってくる」と言い残して外に出た。機関車を撮り、客車を外から検分し、自販機でペットボトルのお茶を買って戻った。寝台車は湿度が低く、のどが渇くことが多い。だから水分は多めに持ち込んだほうがいい。もちろん母はそれを知らないだろう。500mlのペットボトル4本を抱えてカーペット車に戻ると、母は体育座りの格好で待っていた。周囲は知らない人だし、どのように振舞っていいのか、わからないらしい。不安な思いをしたようで、上目遣いで見られると、なにか自分がとても悪いことをしたような気がした。やれやれ。
母は珍しい体験だと嬉しそうだった。
-…つづく
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