第345回:記憶の上書き -大井川鐵道本線 1-
高校時代に大井川鐵道のSL列車に乗った。しかし印象は薄い。それは大井川鐵道に罪はなく、その周辺に嫌な印象が重なったからである。まず同行した連中がくだらなかった。私は高校時代、半年ほど写真部に所属しており、大井川鐵道の旅はその合宿だった。この写真部がつまらなかった。顧問は偏屈な爺さん教師だったし、同期の連中は女生徒を被写体にすべく追い回してばかり。撮影技術の向上も理論も芸術性もなく、ただのカメラ小僧たちであった。
そんな連中が、なぜか「大井川鐵道で合宿する」というのでついて行った。ところが彼らは道中でジュラルミンのカメラバッグを振り回し、一度は子供の頭に当ててしまい、その反省もなく何度も他人にぶつけそうになっていた。彼らはそれをまったく気にしない。おまけに、帰途では持ち物がなくなったと泣きだす始末。なんとも稚拙な連中だと呆れた。私は今も重装備のアマチュアカメラマンに良い印象を持たない。それは、この写真部の記憶が残っているからだ。結局、こんな連中とは付き合えないと、合宿後の新学期に退部届を出した。
もっとも、私が品行方正だったというわけでもなかったらしい。大井川の禍々しい記憶にはもうひとつ、宿泊先の民宿の逸話がある。私たちは就寝前にミーティングを行った。20時ごろだった。1年生の私は下っ端の義務として、民宿の主の居間へ行き、湯と茶葉を頼んだ。主の老人は、その場では快く了承し、あとで届けると応えた。しかし、しばらくすると、なにやら怒鳴り散らす声が聞こえ、何事かと耳を澄ませば、こんな時間に茶を出せなどという客は非常識だと罵っていた。今風に言えばブチギレであった。
私たちは意味がわからず困惑した。結局、顧問の教師が事を収めたように思う。今の私なら、「偏屈爺い同士で丸く収まった」と笑い飛ばすところだけれど、当時の私は世間のわたり方を知らぬ高校生であった。ただ一人、良心的な先輩が、「君は悪くない、茶を頼んだ僕らが悪かった」と言ってくれたような記憶がある。いったい、民宿で20時に茶を望む行為が、そんなに悪いことであろうか。今でも不思議で仕方がない。私と大井川鐵道はこんな記憶で紐付けされていて、結局、どの区間に乗ったかすら定かではない。
そんな理由から、大井川鐵道には行きたいような、行きたくないような気持ちであった。なぜか私の乗車記録上は千頭まで乗っているけれど、これも怪しい。千頭から井川までのトロッコ列車区間は未乗のはずだから、いつか本線も乗りなおしたいと思っていた。なにしろこんなくだらない記憶を理由に行かないなんて馬鹿げているし、前述のように、この記憶においては大井川鐵道にはまったく非がない。トラウマとまでは言わないけれど、この心境には、「あらためて乗りに行って、楽しい記憶を上書きする」という処方が正しかろう。
東海道線の東京駅始発はJR東海の特急用電車373系。
2010年8月。記録的な酷暑のある日。私は青春18きっぷの1回分を消費して、東京駅から東海道線の普通列車に乗った。早朝、05時20分発の静岡行きである。静岡まで乗り継ぎがなく楽な上に、JR東海の特急用車両が充当されるという変わり種だ。通好みの列車だけあって、発車時はほぼ満員。途中からは立ち客も出るほどであった。この列車に3時間以上も乗って静岡で乗り継ぐと、大井川鐵道の接続駅である金谷に09時19分着。SL列車は10時02分発だから都合がいい。
今回、大井川行きを決心したきっかけは3Dカメラである。仕事でPC用の3D再生システムを取材したとき、そのセットがモニター、ビデオカード、メガネのセットで10万円以下と聞いて驚いた。ゲームも写真も動画も3Dで見せてもらった。3D写真と動画を撮影できるカメラが4万円ちょっとという値段で買えると知った。コンパクトカメラの上級機種程度の価格である。これは面白いと手に入れて、3Dを撮るならSLだろうと考えた。
SLならやはり大井川鐵道が本場である。私は今回、ふだん使っている高倍率のコンパクトカメラと3Dカメラを持って出かけた。もちろん常識人であるから、固いジュラルミンのカメラバッグなど持たない。小さなやわらかいバッグで日帰りである。あの民宿の爺はもうこの世にいないであろうけれど、どうしても大井川鐵道沿線で泊まる気分にはならない。
大井川鐵道は電車も価値あり。
金谷駅で東海道線の電車を降りた客は20人ほど。大井川鐵道のホームはJRにくっついているけれど、まだ列車の姿はない。私も含めた乗り継ぎ客はいったん駅舎を出て、あらためて大井川鐵道の駅舎へ進んだ。静岡の夏が酷暑であるとは承知の上で、予想通りの暑さである。駅舎に冷房はないけれど、日陰がありがたい。観光鉄道らしく、駅舎のほとんどを土産物販売所が占めている。汽笛の音が出る笛が人気らしく、早くもピーとかポーとか辺りが賑やかだ。
SL列車は事前予約が推奨されている。私は出発日が定まらなかったので予約していなかった。もっとも、当日は空席があれば発券してくれるし、空席がなくても立ち席券を販売するというから問題はない。満席ならSL列車には乗らず、電車で先回りして見るだけでもいいと思っていた。訊けば幸いなことに空席があった。夏休みとは言えお盆明けの平日だからかもしれない。合わせて本線と井川線共通のフリーきっぷを求めると、8月は販売しないそうだ。Webサイトにそんな但し書きがあったかな、と思いつつ、本線のみのフリーきっぷを買った。
この設備で普通列車とはうらやましい。
SL列車の発車まであと30分ある。ほとんどの客がSL列車の到着を待っているなかで、私は先に改札を通った。09時45分発の普通列車に乗るためだ。大井川鐵道といえばSLを連想するけれど、実は普通列車にも見所がある。もともと都会の私鉄からの譲渡車が多く、往時の看板列車が余生を送る鉄道でもある。有名なところでは小田急の初代ロマンスカー、3000形も大井川鐵道に在籍していた。現在は元近鉄特急と元京阪特急の車両が主に運行されている。SL目当ての人々にも懐かしい電車に注目してもらいたいけれど、ただの古い電車に見えてしまうらしい。大井川鐵道では鉄道ファンと観光客の境目が見えるようだ。
町並みを眺めつつ新金谷へ。
やってきた電車は元近鉄特急の16000系だった。近鉄伝統のオレンジと紺の塗装である。客室は空調が整っていて、ひんやりと心地よい。この車両には私一人だけ、後ろの車両に地元の乗客が一人。ガランとした室内で、リクライニングシートを倒してくつろいでいたら、車掌氏が通りすがりに、「となりの新金谷止まりですがいいですか」と声をかけてくれた。金谷の町の中心は新金谷のほうだ。そこで大井川鐵道は東海道線へのアクセス便として、一駅だけの列車を設定しているらしい。「はい」と、私は笑顔で応じた。私の目的は、その新金谷駅構内の車両見物である。
入れ替わりに金谷へ向かったSL列車。
大きな窓、静かな特急電車の旅……は僅か4分で終わった。近鉄特急が新金谷駅の構内にはいると、すぐにSL列車が逆向きに走り出し、金谷駅方向に消えて行った。私はホームからSL列車を見送った。構内にはやはりさまざまな車両が留置されていた。じっくり観察したかったけれど、駅舎の手前の構内踏切で係員が待っている。私は小走りにそこへ向かい、改札を通り抜けた。しかし旧型客車の群れが気になる。乗車時に早めに改札を通れば、SLに乗る直前にじっくり見られるだろう。
新金谷駅。
車軸で作ったベンチがあった。
構内に旧型客車がたくさん並ぶ。
テレビによく登場する展望車。
実は西武鉄道の電車を改造した車両。
車庫を見やれば、元南海ズームカーなどが見える。
-…つづく
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