美濃町線の新関と終点の関は約200メートル。広い道路を踏切で渡っただけで景色が変わった。市街地から田園になって、長良川鉄道の関駅は緑が多く、静かな佇まいである。降り立った人のほとんどが深呼吸し、背伸びする。陽射しは強いが、ときおり涼しい風が吹く。5月5日にふさわしい、絶好の行楽日和だ。
レールバスを眺める。稼働していないようだ。白い車体は汚れ、塗装も褪せ、連結器が錆びている。車体に灌木が押しつけられていた。ここに留置されているあいだに灌木が成長したのであろう。この車両は1986(昭和61)年に長良川鉄道が発足したときに導入された。18年前である。鉄道車両の寿命は30年といわれているが、レールバスは車体にバスの部品を使っている。バスの寿命は15年で、この車両は現役終了なのだろう。静かに引退を待っている。
駅舎は反対側のホームにある。小さな段を下りて、2本の線路を渡っていく。列車本数が少ないからできることで、地下道や跨線橋よりも楽だ。バリアフリーではないけれど、駅員さんやほかの乗客が手を貸せばいい。ほんの2、3段だから負担にならない。
窓口で一日乗車券を購入すると、最新版の時刻表をくれた。4月にダイヤ改正があったようで、列車本数が増えている。関始発の列車があることから、名鉄美濃町線からの接続を考慮しているようだ。早起きしたおかげで、今はまだ午前10時50分。終点の北濃行きは11時26分だが、私は10時56分発の美濃市行きに乗った。
えんじ色のレールバスに乗って北へ向かう。お客さんは座席の8割程度だ。長良川鉄道は旧国鉄の越美南線だった。赤字ローカル線廃止の流れで第三セクターに変わり、平行する長良川から社名を頂いた。地図を見ると、越美南線の終点、北濃駅の先にJRの越美北線がある。越は越前、美は美濃、つまり、このふたつの路線はつながって、岐阜と福井を結ぶ越美線になる予定だった。残り15kmの峠区間を残して分断されたままだ。北側はJRに引き継がれたものの、北陸新幹線の開通に合わせた廃止が噂されている。
長良川鉄道で北へ向かう。
レースバスは山へ向かって上っていく。力強いエンジン音が聞こえる。11時05分、美濃市駅着。次の発車は11時38分だ。約30分で何が見られるだろうか。築堤の上のホームから、薄暗い階段を下り、トンネルをくぐって駅舎を出た。
正面に"和紙とうだつのまち"という看板がある。"うだつ"は、漢字で卯建と書く。火災の延焼を防ぐために、建物の境に建てられた壁である。乾燥する地方ならではの防火施設だが、居住や商売など、建物本来の目的には直接関係がないため、しだいに装飾的な意味合いが強くなったという。"うだつ"は、構造上2階に作られる。だから、2階建ての家が持てない、火災で守るべき財産がない家にはうだつがない。これが"うだつが上がらない"の由来である。
案内地図によれば、うだつが残る町並みまで歩いて行けそうだ。しかもその先に美濃市駅のとなりの梅山駅がある。ここからうだつの町経由で梅山に行き、そこから列車に乗る手もある。美濃市から梅山まで乗り残してしまうけれど、どうせ帰りに通る。
そう思って歩き出し、300メートルほど進むと、意外にも駅があった。電車が2台停まっている。はて、ここには他に鉄道はなかったはずだが、と近づくと、廃止された名鉄美濃町線の美濃駅跡であった。電車は保存車両で、駅舎はおもちゃ屋さんに改装されており、電車やクルマのおもちゃが並んでいた。壁には在りし日の美濃町線の資料が掲げられており、しばらく足を止めた。電車の中にも入ってみた。線路の先は撤去され、駐車場と畑になっている。
旧名鉄美濃駅跡。
結局、旧美濃駅で時間を費やし、美濃市駅に戻った。うだつの上がる町は見逃した。北濃行きのディーゼルカーから目を凝らしたけれど、黒い瓦屋根は見えるものの、うだつまでは判別できない。いかにもうだつの上がらない旅人の体たらくである。
北濃行きの列車は2両編成で、乗客は多い。行楽の装いが多く、休日らしい雰囲気だ。途中の"みなみ子宝温泉"駅に行くのだ。この駅は駅舎に隣接して温泉浴場があり、露天風呂、檜風呂、釜風呂があるらしい。予想通りほとんどの乗客はここで降りた。ホームには人があふれているけれど、上り列車を待っているのか、この列車には乗り込まない。今回の旅は帰りの時間を気にしなくていいので、気軽に立ち寄れそうな"足湯"に惹かれたが、人手に圧倒された。
ディーゼルカーは長良川に沿って走り、徐々に標高を上げていく。この路線は長良川鉄道に改名して正解だったと思う。越美南線ではどこにあるかピンと来ないけれど、長良川は鵜飼い漁で有名だ。漁ができる川は清流なわけで、清流であれば川を汚す建物がないといる。つまり、景色に期待できるということだ。
長良川に沿って走る。
沿線は新緑の迷彩模。
この路線は眺望への期待を裏切らない。山肌の新緑の見事なこと。濃緑と黄緑が迷彩塗装のように複雑な模様を描いている。濃緑は山間部に多い針葉樹で、黄緑は平野部に多い広葉樹であろう。山と平野の境界線ならではの、珍しい景色ではなかろうか。山の行楽といえば春の桜、秋の紅葉が筆頭だが、この新緑は観光資源に値すると思う。長良川鉄道はトロッコ列車やお座敷列車を運行し、温泉を絡めた観光に力を入れている。第三セクターの珍しい成功例だ。
車窓の白眉は終点の北濃付近だ。長良川の谷間の向こうに、雪の残った山がちらりと見え隠れする。長良川の源流を発する大日ヶ岳である。あそこに積もった雪が火山岩の山肌に吸収され、清らかな水に磨かれて長良川にそそぐ。終着駅からはその姿は見えないが、駅を出て、しばらく川沿いに下ると、絵はがきのような美しい風景があった。川の水は美しく澄み、岩場の影に小さな魚が見えた。
終着駅付近。
駅に戻る。ホームの向こう側にターンテーブルがあった。蒸気機関車の方向を変える装置で、使われていないはずだが、塗装が施されている。こういうものを近くで見る機会はめったにないから、線路に降りて近づいてみた。しばらく眺めていると、もうひとりおじさんがやってきて、このターンテーブルは日本で2番目に古く、アメリカ製であることなどを教えてくれた。塗装は今年に入ってから行われており、今でも手動で動くという。
この設備があれば、SLの走行も可能だな、と思う。美濃市駅でトロッコ車両を見かけたので、SLと組み合わせれば愉しそうだ。トンネル内でお客さんも煤だらけになるけれど、服を汚したくないならカッパを貸し出せばいい。肌と嗅覚でSLを楽しめる路線はないから、きっと人気が出るだろう。
ホームで挨拶してくれた運転士さんに、ターンテーブルとSLの話をしてみた。
「SLが走っても、ここにはなんもないから」と笑う。
なんもない、そんな風景が、今、どれほど貴重なことか。
日本で2番目に古い転車台。
-…つづく