第31回:基幹産業のお膝元 -茨城交通-
更新日2003/11/13
『鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ』を使える日は3日間。1日目は上州から信州の東側へ、2日目は名古屋から南信州をかすめた。3日目はどうするか。関東地方のJR線にはほとんど乗車済みだが、未乗区間を探すと、水戸から郡山に抜ける水郡線の一部区間が残っている。水戸周辺には茨城交通と日立電鉄という小さなローカル私鉄がある。そういえば、常磐線にも久しく乗っていない。
上野発5時10分の常磐線各駅停車に約2時間も揺られ、水戸の次の勝田で降りる。水戸といえば偕楽園や納豆や黄門様で、なんとなく田舎町のイメージが強いが、勝田駅は近代的なガラス張りの駅舎だ。乗り継ぎまで時間があるので、駅前広場から駅舎を眺めると、宇宙戦艦のようでもある。ただし町並みは予想と違わぬ様子だ。
勝田駅は特急が停まる主要駅。
勝田は工業都市で、かつては勝田市だったが、1994年11月に漁業が盛んな那珂湊市と合併して"ひたちなか市"になった。勝田の工業とは日立製作所の水戸工場、勝田工場、茨城工場で、駅の西側に広大な面積を擁している。また、駅の南側には日立工機と陸上自衛隊がある。近代日本の国力増進に貢献した町であり、立派な駅にふさわしい歴史がある。ちなみに勝田工場が稼動した1961年に、日立は全自動洗濯機を開発し、実験用原子炉を完成させた。私の母や祖母もそうだが、家電売り場では今でも「モーターは日立」と言う人がいる。日本にとって日立という会社は大きな存在だ。世代にわたり品質を語り継がれるとは、戦後の産業を牽引した実績だと思う。
茨城交通湊鉄道線のホームはJRと併用している。JR側とは柵で仕切られ、改札口もホームの面積も狭く、肩身が狭そうだ。そこに2両編成のディーゼルカーが到着すると、都心の電車並みに大勢のお客さんが降りてきた。2両編成にどうすればこれだけ乗れるのだろうと思うほどだ。彼らの通過を待たなければ改札口に入れない。時刻は7時20分。通勤ラッシュである。
折り返す列車も同じくらいの乗客がいる。今度は通学ラッシュだ。中小私鉄の台所は苦しいだろうと察するが、この賑やかさに安心する。車両も比較的新しく、加速がいい。赤字ではあろうけれど、企業グループのバスや不動産事業を圧迫しない程度に済んでいるのかもしれない。
茨城交通のホームは狭い。
次の駅は日工前。企業名がそのまま駅になっている。が、勝田駅とは対象的な無人駅だ。線路脇に盛り土があるなと思ったら、それがホームだった。セーラー服の少女がひとり乗った。次の金上も同様で、駅というよりは停留所である。ここで市街地が終わり、車窓の緑が増えて農村地帯になる。ふたたび住宅街に入ると那珂湊で、有人の立派な駅だ。高校生のほとんどが降りてしまった。
ここから列車は北へ進路を向ける。太平洋岸に沿っているはずだが海は見えない。海水浴で人気の大洗海岸の北側になる。夏などは海水浴客も乗るのだろうか。車窓は住宅が目立つ。もしかしたら、勝田駅付近よりも海岸沿いの人口比のほうが高いかもしれない。
終着駅の阿字ヶ浦着は7時55分。まだ授業に間に合うのか、折り返しの列車に高校生が乗る。この駅は現在無人駅になっているせいか、高校生が四方から駅の構内に入っている。駅周辺は住宅で、雑貨屋すらない。路地の向こうに神社が見える。色あせた看板地図を見ると、海までは徒歩15分といったところだ。列車の本数が少ないので海へは行かず、折り返しの列車に再び乗った。
無人の終着駅、阿字ヶ浦。
那珂湊で下り列車とすれ違うため数分停車する。下り列車は3両編成で、中間に朱色とクリーム色の古いディーゼルカーが挟まっている。これは北海道で走っていた旧国鉄の車両で、塗装パターンも元のままだ。まだこんな車両が走っているのかと懐かしくなる。
その列車の扉が開き、大勢の高校生が降りてきた。勝田でも感じたことだが、どうしたらこんなにたくさんの客が乗れるのだろう。制服の色から察するに、2種類の高校があるようだ。高校がふたつとは、かなり大きな規模の町だ。はつらつとした姿がホームを埋め尽くす。この鉄道で、いくつもの青春の思い出が生まれている。
那珂湊駅は通学ラッシュ。
-つづく…
■第31-33回
の行程図
(GIFファイル)