豊橋鉄道はJR東海道線の豊橋駅を基点とし、北の市街地を行く路面電車と、南西の渥美半島をゆく鉄道路線 "渥美線"
を持っている。市内電車を踏破したら、次に目指す路線は渥美線だ。渥美線には訪問したい駅がある。杉山駅。私の苗字と同じ名前の駅である。
杉山性は静岡を中心に東西に分布しているようだ。もう20年も前の話だが、静岡駅の地下通りには、杉山産婦人科と杉山葬儀社の看板が並んでいた。杉山一族はゆりかごから墓場まで、人生をトータルコーディネートできるのかと、なにやら愉しい気分になった。
苗字に詳しいサイト『日本の苗字7000傑』によると、杉山性は中臣鎌足を起源とする藤原氏の末裔だ。その発祥は三河国渥美郡杉山邑である。まさに豊橋鉄道杉山駅の辺りが私のルーツであるらしい。しかし、私の家柄は自慢できるほどの人物がいたわけでもなく、祖父の祖先は神奈川県二宮町で漁師だったと聞いた覚えがある。
それはともかく、同じ名前の駅というだけで親近感はある。どんなところなのか見てみたい。駅名標と記念写真を撮ってみたいし、相手にとっては迷惑だろうけれど、駅長さんにも挨拶したい。
美しく整備された豊橋駅前広場の端に、渥美線の新豊橋駅がある。JRの駅に間借りせず独立した駅を持っている。しかし構えは簡素で線路1本ホーム1面のみ。朝の陽射しは差し込まず侘しい。
豊橋鉄道の新豊橋駅。
そこに銀色の電車が停まっている。くさび型の前面デザインが特長的な形をしているが、私には見慣れた車両だ。この電車はかつて東急東横線、田園都市線で活躍した7500系で、現在も一部の電車が東急池上戦で活躍している。東急が新車を投入したため、余剰となった車両が豊橋鉄道に譲渡されたのである。
乗り込むとすぐに発車時刻となり、電車は静かに走り出す。中古とはいえ、かなり力強く加速する。この車両は車体のすべてがステンレスで作られ、当時としては画期的な技術が投入された。車体が軽く、塗装の手入れが不要で、丈夫で長持ちする車両だった。東急東横線では8両編成で急行にも起用されていたが、現在は3両編成で、単線区間をのんびり走っている。幸せな余生である。
豊橋鉄道渥美線は、大正時代から昭和初期にかけて渥美電気鉄道が敷設した鉄道である。この鉄道には渥美半島の経済的発展のほか、豊橋から伊勢神宮への経路を短絡する目的があった。陸路で伊勢湾を迂回すると6時間かかる行程が、渥美半島から船で渡ると3時間になるという計算であった。さらに途中の高師、半島先端の伊良湖には軍事施設もあり、軍事輸送も意図されていた。
ところが、戦時統合により名古屋鉄道に編入され、さらに昭和初期の不況により伊良湖の軍事施設には至らなかったため、逆に不急不要の路線に認定されてしまう。線路を資材として供出させられてしまい、現在の路線はその残りの部分である。全通していれば、軍事輸送に活躍しただけではなく、伊勢観光の回遊ルートとして現在も賑わったに違いない。
元東急電鉄のステンレスカーが走っている。
現在の渥美線の役割は、豊橋、名古屋経済圏への通勤輸送が主である。沿線は農業が盛んだが、宅地開発も進んでいるらしく、吊り広告や駅の看板に不動産関係が多い。ワンマン運転ではなく、車掌が乗務しているから、それなりの乗客数があると思われる。
電車の運転本数は1時間に上下4本ずつで、地方鉄道としてはかなり便利な部類である。駅に着くたびに対向列車とのすれ違いが行なわれるところを見ると、これ以上の増発は無理だろう。土曜日の朝だから乗客は少ないけれど、それでも座席の8割ほどの乗客数だ。
住宅街を抜けて、大学前駅に着く。馬術場が見える。ここには愛知大学、愛知短大のほか、近くに高校がふたつ、小学校がふたつ、中学がひとつある。また市街地になり、突然、左側に森林が現われる。高師緑地公園である。が、渥美線建設の経緯を知っていると、たぶんここは軍事施設だったのだろう。
その森を抜ける直前に留置線があり、丸みを帯びたクロスシートの電車が停まっている。こちらは名鉄電車の中古である。豊橋鉄道は戦後名鉄から独立したが、現在も名鉄グループのメンバーである。そのため、名鉄との相互乗り入れ構想があるという。高師駅には電車庫があり、ほかにも銀色の電車がいくつか停まっていた。
無人駅もあるようだ。いくつかの駅で、車掌さんが車内で切符を売ったり、運転士席近くまで来て、降りるお客さんから切符を回収したりしている。ここで私は少々不安になってきた。途中下車する予定の杉山駅は有人駅だろうか、それとも無人駅だろうか。
どうか杉山駅は有人駅であってほしい。駅員さんと記念写真を撮りたい。あるいは、駅員さんにお願いして、私の記念写真を撮ってもらいたい。図々しい性質だから、乗降客に頼んで取ってもらってもいいけれど、休日の朝に電車に乗る人は、はっきりとした出かける用事のあるお客さんばかりだろうから気が引ける。
沿線風景に田畑が増えてきた。終点に向けて沿線の人口は少なくなるだろう。杉山駅は終点から数えて5つ目である。無人駅かもしれない。下車客が私ひとりだったら、記念撮影がやっかいだ。
老津の次が杉山である。先頭の車両に行き、運転台の真後ろに立って前を見つめる。杉山駅の手前に分岐機がある。列車がすれ違いできる設備がある駅だ。有人駅かもしれない。対向列車はまだ来ない。そのとき、うしろの車両から車掌さんが急ぎ足でやってきた。
杉山駅。待合室のデザインが凝っている。
杉山駅到着。運転士がドアを開け、車掌さんが先にホームに降りる。降りる客は私を含めてふたり。車掌さんに「無人駅なんですね」と話しかける。不思議そうな顔をするので、「ここは私の苗字と同じ名前の駅なんですよ」と言ってみた。ああそうですか、と一言だけ残して扉を閉めてしまった。素っ気ない。そういう客が多くて慣れているのかもしれないが、寂しい。
対向列車を待って、私が乗ってきた電車が発車する。私は静かな朝の無人駅にひとり残された。寂しい上に肥やし臭い。駅の東側に畑が広がっている。西側は住宅地だ。ホームに沿って駐輪場、そして10台分ほどの駐車場がある。豊橋鉄道はパーク・アンド・ライドを推進しており、杉山駅の駐車場は月極で3,150円である。
駅名標を撮影したり、上り線に渡ったり、小さな待合室への出入りを繰り返していると、隣の雑貨屋から主人が出てきた。怪しまれたのかもしれない。なにかひとつ買い物をしてみようと近づくと、乗車券販売所という札がかかっている。
同じ名前の駅だから、記念に切符が欲しいと頼んでみる。ほうほう、そうですか、と言いながら切符に日付印を押してくれた。切符の委託販売は、豊橋鉄道全駅のうち、この1軒だけになってしまったそうである。寒いところを申し訳ないけれど、記念写真のシャッターを押してもらう。店主の苗字を訊ねたが、杉山ではなかった。
次の電車を待つ間に電話ボックスに入り、電話帳を眺める。杉山駅周辺に住む杉山さんは少ないようである。藤原氏の末裔たちは長年の間に離散してしまったようだ。
次の電車が到着する。運転士が扉を開けて、私を一瞥してまた閉める。対向列車を待つ間、車内が冷えるので扉を閉めておくのだ。私は対向列車の写真を撮りたいので乗らなかったが、この電車に乗って終点まで行くつもりである。電車が来て、運転士がこちらを見る。乗ります、というと扉を開けてくれた。さっきの電車のように車掌さんがいる。閑散とした時間に、ここから下り方向の電車に乗る人は珍しいのかもしれない。挙動不審でスミマセン、ここ、僕と同じ名前の駅なので、と低姿勢でいいわけをすると、若い車掌さんは、ああ、どうもどうも、と笑ってくれた。
終着駅三河田原の駅前に、
古いが洒落た造りの建物があった。
●参考サイト
日本の苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net/
-…つづく
■第43回~47回
の行程図
(GIFファイル)