品川発23時53分の『ムーンライトながら』に乗り、4時22分に豊橋に着いた。豊橋鉄道の路面電車に乗りたいが、始発まであと1時間半もある。せっかく豊橋に来たのだから『豊橋』を見たい。駅に掲げられた地図を確認し、まだ暗い街に出た。さすがに吐息が白く、首筋から冷気が入ってくる。コートのフードを被ると少しマシになった。しかし、両掌から体温が逃げていく。道沿いのコンビニエンスストアで、安い手袋とコーヒーを買った。
30分ほど歩いて橋に着く。整備された道だから街灯もあり、漆黒の闇というほどではない。橋を渡り、川沿いに歩いて、少し離れて橋の風景を眺める。丸い月が川面を照らし、橋を黒く浮かび上がらせている。片側2車線、コンクリート製のがっしりとした橋だ。
月光に浮かぶ"新"豊橋。
教育委員会が設置した説明板によると、この地に村を築いた最初の人々は浅井長政の一族だと書かれている。私は歴史が苦手だけれど、織田信長と浅井長政の因縁は知っている。今日の旅は信長や秀吉など、戦国の有名人が活躍したところを東から侵入する形になるはずだ。学校でもっと歴史を勉強していれば楽しい旅になったと思う。後で調べると、この豊橋からすこし下流にいくと元の豊橋の跡があり、石碑もあるという。新しい橋を見て、豊橋に来たつもりになってしまった。史跡を巡る旅をするつもりはないとはいえ、間の抜けた事である。私はいったいなにをしているのかと思う。
しかしこのときの私は十分に満足しており、駅に戻る足取りも軽かった。歩道にあるマンホールのフタには、花火、渡し舟など、豊橋の名物が彫られている。次はどんな絵だろうと楽しみに歩くうちに駅に着く。照明に凝ったデザインは宝石箱のようで美しい。
光に彩られた豊橋駅。
始発電車まであと30分。コンビニで肉マンと温かなお茶を買ったが、吹きさらしのベンチでは身体が冷えてしまう。駅前電停に行くと、地下に下りる階段があり、風に当たらずに済みそうだ。きっと路上で生活する人も同じ気持ちだろうと階段を降りてみたが、無人であった。おかげで落ち着いた朝食時間を過ごす。
腹が満たされ、あたりを見渡すと駐輪場入り口がある。ちょっと覗いてみるとかなり広い。2段式の自転車置き場が遠くまで並んでいる。いったいここには何台の自転車が入るのだろう。呆然と眺めていると、奥の方に警備員らしき人がいた。
おはようございます、と挨拶して、市内電車に乗りに来たと自己紹介する。鉄道ファンだと名乗るのは気恥ずかしいが、不審者だと思われるよりはずっといい。この設備について聞くと、駐輪容量は1,800台ぶんで、地下通路を挟んだ反対側にも同じ規模の設備があり、合わせて3,600台を収容可能とのことであった。昼間使う人と夜だけ使う人をうまく調整しているので、契約者は設置台数の倍近くなるという。そういえば外には放置自転車の類がまったくなかった。
「これだけの設備を整えるとは、豊橋は豊かな土地ですね」
と言うと、初老の警備員氏は誇らしげな笑顔を見せた。放置自転車に悩む自治体の担当者は見学する価値があると思う。
駅前広場の地下は巨大な駐輪場。
地上はまだ暗い。目を凝らすと、大通りの向こうから光が近づく。そして路面電車特有のキーキー、ゴトコドという音が大きくなる。やってきた車両はかなり古いものだった。しかし塗装は広告がらみできれいに化粧しており、車内も塗りたてで清潔感がある。丁寧に整備されている様子がわかり、嬉しくなる。
運転士が電停に設置された窓口のシャッターを開ける。そこには切符自販機が格納されていた。その自販機で一日乗車券を購入する。手のひらくらいの大判な切符が出てきた。400円であった。
大通りを行く路面電車は堂々としたものだ。道幅が広いと都市は豊かにみえる。高層建築が少ないので空が大きく、気持ちがいい。国道1号線を東八町まで走り、そこからやや道が細くなる。電停もホームがなくなり、路面に描かれた指定場所に停車する。
競輪場前には電車の営業所がある。前方を別の電車が塞いでいる。しばらく停車したのち、前の電車が回送のまま発車した。それを追うようにこちらも出発する。終点の赤岩口に着く頃、ようやく辺りが明るくなってきた。赤岩口は赤岩山の登山口という意味だと推察するが、記念切符に書かれた案内によれば徒歩30分である。ちょっと寄ってみる、という距離ではない。
赤岩口終点に古い電車が佇む。
赤岩口には電車庫がある。乗ってきた電車が折り返すまで、入り口に立ち止まって眺めた。豊橋鉄道は古い電車が多く、今は無き名古屋市電や東京都電の車両がある。博物館で余生を過ごしてもいいほどの古参だが、すべて冷房装置が取り付けられている。
折り返して次の伊原駅で降りる。支線に乗り換えようと思うけれど、電停に時刻表がなく、どれだけ待たされるかわからないので、支線の終点の運動公園まで歩いた。少し歩けば、もう目指す電停がみえている。この支線は昭和50年代に開通した新しい路線だ。マイカーが普及した頃に新線を作っていることからも、この街に路面電車が定着していることがわかる。
歩いていくうちに電車に追い越されたが、こちらもほどなく終点に着き、折り返す時刻までに間に合った。おかげで30分ほど旅程が繰り上がる。ゆとりの少ない旅程を組んでいたので幸いした。
広々とした駅前の大通り。洒落た街灯兼架線柱が並ぶ。
-…つづく
■第43回~47回
の行程図
(GIFファイル)