下仁田駅から小海線の始発駅の小諸へ行くには、西武鉄道の高速バスが便利らしい。池袋から上田に向かうバスが、下仁田、軽井沢、小諸などに立ち寄るのだ。インターネットで調べると、予約が必要で満席とのことだった。しかし、下仁田で一人でも降りれば私の席はあるだろう。バスの案内所で問い合わせてみようと思った。
しかし、下仁田の駅前はこぢんまりとして、大型バスが発着できるようには見えない。案内図もなく、乗るつもりもないのにタクシーの案内所に聞くには申し訳ない気もする。結局、上信電鉄で高崎に戻った。今度は最後部の座席に座り、窓を全開にして景色を眺めた。気温も上がってきたし、ここなら風が入っても迷惑をかけないだろう。もっとも、迷惑をかけるほど乗客はいなかった。
各駅停車限定のフリー切符を利用すると、高崎から小諸へ行くには、信越本線で横川まで行き、バスで軽井沢へ出て、旧信越本線のしなの鉄道に乗り継ぐコースになる。新幹線開業後、平行する信越本線は廃止され、軽井沢から篠ノ井までは第三セクターのしなの鉄道が引き継いだ。碓氷峠区間は撤去されている。
しかし、碓氷峠区間廃止の見返りに運行されるバスは本数が少なくて使いにくい。だからこそ下仁田から西武バスに、と思ったが当てが外れた。気が進まないが新幹線に乗る。電車とバスを乗り継げば、待ち時間を含めて2時間かかるところを、新幹線ならたった17分。それはありがたいけれど、運賃と自由席特急料金を合わせて2,530円かかる。たった17分しか乗らないのに、ずいぶん割高だ。
新幹線は時間短縮の最後の手段。
しかもこの区間はトンネルばかりで景色がほとんど見えない。スピードの恩恵をたっぷり享受しても不満だとは、なんだか自分でもよくわからない理屈である。徹夜で寝不足のせいだ。
新幹線『あさま515号』を待つ間に、今朝、立ち喰い蕎麦屋で逃したラーメンを食べた。名物駅弁のだるま弁当を作っている業者だ。叉焼は柔らかくうまかったが、ラーメンそのものは大げさに褒めるほどではないと思った。これもきっと寝不足のせいだろう。
行楽シーズンの軽井沢は賑やかだ。信州大学の学生だった頃、この駅はもっと鄙びた佇まいだった。新幹線が開通してから、駅はビルになり、周辺にアウトレットモールやショッピングセンターが建ち並んだ。かつて、在来線特急で2時間半もかかった行楽地が、いまや東京から1時間10分の日帰りレジャースポットになった。
その軽井沢の賑わいにもかかわらず、しなの鉄道の長野行き電車は空いている。しなの鉄道は観光客と関係なく、地元の人のための生活の足として残された。それでも観光開発には力を入れていて、イベント列車を走らせている。駅構内には『信州牛食べつくし列車』が停まっていた。車内の装飾は手作りのようだ。
しなの鉄道の車両はJRから譲渡されたもので、近郊型と急行型があるらしい。私が乗る列車は急行型で、リクライニングシートでゆったりできる。各駅停車にしては贅沢な設備だ。小諸までは5駅24分、運賃は420円。車窓は浅間山を望む素晴らしさ。景色にお金を払うわけではないけれど、この420円はバーゲンのように安い。
しなの鉄道から浅間山を眺める。
小諸駅から、いよいよ今回の旅の目的、小海線である。八高線と同じ、白と緑に塗られたディーゼルカーが待っていた。車内の座席はほぼ埋まっている。観光客らしい人が多い。終着の小淵沢まで2時間以上の行程だが、どれほどの人が乗りとおすだろうか。
2時間の乗車に備えて、ホームの自販機でジュースを2本買う。車両にトイレがあることも確認した。東京近郊の路線とは違い、列車の間隔が1時間以上あるから、トイレや喉の渇きのためにうっかり途中下車すると、予定が大幅に狂ってしまう。
私はふたり用の向かい合わせ座席に座った。この車両の座席配置はユニークで、片側に4人用の向かい合わせ座席、反対側にふたり用の向かい合わせ座席を配置して、通路を広く取っている。ドア付近はロングシートだ。景色を見やすいように向かい合わせ席をつくりつつ、通学や通勤の混雑にも対応できる。走りの力強さは八高線でも体験済みで、ローカル線の輸送を熟慮した車両だと思う。
小海線は小諸から中央本線の小淵沢を結ぶ78.9kmの路線だ。東京近郊の八高線より短いとは以外だが、佐久盆地から千曲川に沿って上っていき、筑摩山地と関東山地の谷間をゆく山岳路線である。途中にある野辺山駅はJR路線のなかでもっとも標高の高い駅として知られている。沿線にペンション村として知られる清里があることから、高原列車のイメージを持つ人も多いだろう。私もそうだった。
ところが、小諸から乗ると予想外にも生活に密着した路線である。沿線には住宅やショッピングセンター等が多い。乗客のほとんどは地元の人々で、新幹線の接続駅の佐久平でほとんど降りてしまい、代わりに同じくらい乗ってきた。次の岩村田のそばには、小さいながらビジネスホテルが建っている。佐久市は中山道と佐久甲州街道の合流地点として栄えたところだ。関東に出るにも甲府に出るにも険しい峠が待っている。こから旅立つ者はこの地で体調を整え、峠を越えた者達はここで疲れを癒したのだろう。
人口6万7千人余の佐久市は、新幹線と高速道路の開通により活気づいている。佐久盆地は千曲川を水源とし、鯉やマスの養殖や農業で栄えてきた。現在はハイテク産業の誘致にも成功しているそうで、昭和40年代から人口は増加し続けているという。
7分間も停車する中込からは、ジャージを着た中学生らしい集団で賑わった。小海線はここまで車掌が乗務するが、ここから先はワンマン運転になる。どうやらここが市街地の境界になるようで、ディーゼルカーが唸りを上げて登坂しはじめる。山裾が近づいてきた。列車は千曲川に近づいたり離れたりしながら、進路を左右に振っている。まるで上りやすいところを探しているようだ。
野辺山までは千曲川に沿う。
小海を出るといよいよ本格的な山道になる。沿線は林になり、ときおり開けた場所に出ると、そこは畑になっている。列車はかなりスピードを出しているようだ。エンジン音が止むと、コトン、コトンとリズミカルな音が聞こえる。そんな景色をと音に包まれて、私はときどき居眠りをした。
暗くなると景色が見えないから朝早く出かけたわけで、眠ってしまうとはもったいない。しかし、クルマやバイクとは違い、眠っていても移動している。なにも心配いらない。目を覚ますたびに窓からの眺めが変化するのも楽しい。この昼寝は、実はとても贅沢なことではなかろうか。
気がつくと野辺山駅が近づいていた。JRの標高最高地点の記念碑がある。なんとなく、空が近くにあるような気がする。行楽客がたくさん乗ってきたので、私は占領していた4人掛けの席を譲り、列車の最後部に立った。ワンマン運転なので車掌室の半分が開放されていた。だいぶ日が傾いてきたが、素晴らしい展望だ。林の中に線路が伸び、その向こうには八ヶ岳が見え隠れする。野辺山を境に、私が想像した通りの高原鉄道になっていた。
清里付近には線路際までコテージが建っていた。私のような鉄道好きが避暑に来るのかもしれない。そんなことを思ううちに、頭がすっきりしてきた。ときおり、気の早い紅葉が現われて去っていく。写真を撮ろうにも揺れているし、下り坂になったせいかスピードも早く、シャッターが間に合わない。
私は手前の景色の写真を撮りはじめた。まだ紅葉には早い時期だが、線路際の薄が見事である。色こそ地味だが、列車が起こす風と戯れるように揺れている。それは列車に別れの挨拶をしているようにも見えた。徹夜明けで寝不足のせいかもしれないが。
高原鉄道に、まもなく秋が訪れる。
■第26-27回
の行程図
(GIFファイル)
2003年10月5日の新規乗車線区
JR:139.8Km 私鉄:33.7km
累計乗車線区
JR:15,211.0Km 私鉄:2,284.4km
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