碧南駅を境に三河線の様子が変わった。廃止予定区間のレールバスは静かだったけれど、知立へ向かう電車は賑やかだ。しかし、車窓はどこまでも似たような住宅街で平凡である。廃止予定路線の車窓のほうが、存続路線より興味深いとはどういうことだろう。
休日なのに学生服も多く、買い物に行くのか親子連れもいる。私が乗った電車は知立どまりだが、新名古屋まで直通する急行電車もあり、名古屋都市圏への通勤路線になっている。同じような景色の連続は催眠効果があるようで、私は居眠りをした。
気が付くと知立駅だった。三河線の知立駅は、海側の路線と山側の路線が合流する形になっていて、海線と山線を直通する列車はない。だからここで乗り換えだ、と思ったら、車掌さんの放送があり、この電車は知立から猿投行きになるという。電車は知立から逆方向に走り出し、いま走ってきた海線と別れ、名鉄本線をくぐって山側に出た。が、景色はあまり変わらない。居眠りが続く。
豊田市近郊は工業地帯。
眠らずに車窓を見れば、なにかおもしろい物があったかもしれない。見逃した景色を思うと悔しいけれど、足元から温められて心地良い。浅い眠りと弱い覚醒の間をさまよって、まるで酩酊状態である。夜行列車に乗り睡眠が浅かったうえに、早起きしたために、睡眠時間が足りない。しかしそのお陰で居眠りが気持ちいい。
電車はいつの間にか高架区間を走っている。いや、ずっと高架区間だったのかもしれない。工業地帯に入り、しばらくすると豊田市に着く。世界に名だたるトヨタ自動車の本拠地である。巨城のような本社ビル群があるかと想像していたけれど、自動車工場の屋根とトヨタの看板が見えるだけだ。旭硝子の工場のほうが目立つ。
電車区間の終点の猿投駅は、4月から終着駅になる。構内は広く、車両基地を兼ねているようだ。電車の向こうにディーゼルカーが並んでいる。ここから西中金までの末端区間もレールバスのワンマン運転である。末端区間が廃止されると、これらのディーゼルカーはどうなるのだろう。地方のローカル私鉄に売られていくのだろうか。まだ新しい車両のようだし、活躍の場所があるといいのだが。
夕方近くなり、車内は学生服が数名。所要客と見られるご婦人が数名。ふだんはこの程度の乗客なのだろう。ただし今日はそれ以上にカメラを持った男性が多い。私と同類の人々である。大学生くらいの年代のグループが乗っていて、彼らは冗談を飛ばしあって賑やかである。男女合わせて10名ほどで、行楽にしては地味だ。廃止路線が珍しくて見物に来たのだろうか。
山側の廃止路線もレールバスだった。
私は運良く運転台の真横に立った。前方の景色が見えるし、立っていれば居眠りはできない。廃止される路線の最後を見届けたいという、使命感にも似た心情がそうさせる。居眠りのお陰で体力を回復したせいもあるけれど。
勾配の多い区間を行くせいか、同じディーゼルカーでも、海線の車両とは外観が少し違う。低いエンジン音を出しながらゆっくりと発車し、勾配をぐいぐいと上っていく。こちらのほうが駆動に力強さを感じる。車窓はいままでの三河線とはまったく異なり、住宅が減って草木が増えた。
次の三河御船駅のそばに、洒落たマンションが立っていた。まだ新しい建物である。この物件はさしずめ駅から5分以内の優良物件のはずだ。しかし、入居したとたんに駅が無くなってしまう。都会の住民ならさぞやガッカリするだろうけれど、ここでは気にならないのかもしれない。もともと1時間に1本しか走っていないし、このあたりに住む人は、少なからずトヨタ自動車の恩恵を受けているはずだ。むしろ、早くレールを剥がして道路を作って欲しいと思っているかもしれない。勝手に想像して、そして納得してしまう。
ディーゼルカーは山道を行く。
この区間は、さらに延長して足助(あすけ)町を結ぶ計画だったという。しかし、山岳路線の建設コストと輸送客との兼ね合いで計画はストップした。車窓はいままでの三河線のイメージを払拭するような険しさになっている。
枝下と書いて"しだれ"と読む風流な名の駅をすぎると、ダムとなっている矢作川に沿い支流の川をいくつか渡りながら山に分け入る。気温が下がったせいか窓ガラスが曇り、トンネルをふたつ抜けると終着駅の西中金である。
矢作川と並んだ。
西中金は、谷間の小さな場所に作られた窮屈な駅だ。線路はホームからすこし先に伸びていて、ややカーブして終わっている。レールの形が、途方に暮れて断念したまま、という心情を示すかのようだ。もっと先へ行きたいが、これ以上どうすればいいのか。併走する道路は片側1車線の国道で、クルマが途絶えることがない。
この道は名古屋と飯田を結ぶ飯田街道で、沿岸部から内陸部へ塩を運んだルートである。江戸時代から明治にかけて、つまり、馬や人足が物流を担った頃は最短ルートだった。しかし、技術が進み大量輸送時代になると、整備された道路や鉄道に迂回するようになり、険しい峠道は敬遠された。
これは私の予想だが、宿場町の足助は鉄道と道路の整備に期待を寄せたはずだ。しかし、工事の難所が多く、谷間に鉄道と道路のどちらを通すか、という選択に迫られたときに、既にある街道を潰してまで鉄道を通そうとはしなかったのだろう。そして、半端に残された
"作りかけの鉄路" は、利用客も少なく使命を終えるのだ。
西中金に駅前広場はなく、駅舎を出るとすぐに飯田街道である。レールバスが降りた客たちが駅からはみ出すと、たちまちクラクションが鳴る。駅に寄り添うように商店があり、そこで私は空腹を満たすための菓子を買った。レジに座っている店番のお爺さんに品物を見せると、座ったままで妻を呼んだ。奥から世間話をしていた老婆が出てきて会計する。これからしばらくは、廃線を訊ねる人々で賑わうのだろう。しかし、そのあと、この店はどうなるのか。
谷の中の西中金駅。
店を出て、鉄道が断念した谷間を見る。
渋滞の車列の先にある、足助と言う町はどんなところだろうか。
行ってみたいという気持ちと、未知のまま空想したい気持ちの両方が強まってきた。しかし、足助行きのバスはすでに行ってしまった。歩道の狭い国道を、クルマに遠慮しながら歩く気にはならない。
私は結局、いま乗ってきたばかりのレールバスに戻った。大学生風のグループも含めて、ほとんどの乗客が戻ってきた。
-…つづく
■第43回~48回
の行程図
(GIFファイル)