2004年2月1日、横浜駅と元町・中華街駅に地下鉄が開通した。
横浜高速鉄道みなとみらい線は、横浜からみなとみらい21地区を経由して元町・中華街に至る4.1キロの路線だ。東急東横線と相互乗り入れしており、渋谷とみなとみらい地区を約30分で結ぶ。東急東横線はみなとみらい線に直通させるため、ふたつ渋谷よりの東白楽から地下線に切り替えた。横浜から桜木町までのJR根岸線沿いの2駅間は廃止された。廃止は残念だが、ローカル線の廃止と違い、新しい路線に切り替えるための前向きな廃止である。そのせいか、何度も乗車した区間だけど、あまり惜別の情がわかない。
横浜駅はまだ改良工事中のようで、せっかく新線が開通したのに、地下自由通路からみなとみらい線への通路は狭い。人の流れに合わせて早足で改札に向かうと、壁一面の大きな行き先案内板に驚いた。コンコースも白が基調で明るく、きらびやかだ。ローカル線の旅が続いたせいか、なにもかも豪華に見える。
大きな案内看板の出迎えを受け。
みなとみらい地区は1991年にパシフィコ横浜、インターコンチネンタルホテル、みなとみらいさん橋が稼働した。開発のきっかけは1965年の"横浜都心部強化事業"で、私が生まれる前に発案され、26年かけてオープンし、それからさらに13年経っている。沿線には明治時代の貨物線跡を利用した遊歩道"汽車道"に立ち寄りたいが、まずは終点まで乗車して、乗車区間記録を更新しておきたい。
横浜駅のホームは、渋谷方面も元町方面も人が多い。大都市を結ぶ鉄道の、どっしりとした需要を裏付ける光景だ。元町行きの電車も渋谷方面から元町方面に向かう人がたくさん乗っている。地上に駅があった頃は、東横線の客のほとんどは横浜で降りてしまった。しかし、この電車からは半分程度の人しか降りない。
みなとみらい線の開業に当たり、横浜高速鉄道も車両を新造したけれど、やってくる電車はほとんど東横線の電車ばかりだ。私が乗る電車も東急の車両で、そこだけ新鮮味がない。発車間際、渋谷方面のホームに新型が到着した。あっちに乗りたいが方向が違う。
古い横浜市街の情景が描かれている。
みなとみらい、馬車道など、新旧の横浜を象徴する名前の駅をすぎていく。クルマで何度か来たところだが、地下鉄の車中からはどんなルートを走っているか想像できない。クルマで行くときは首都高速を使うし、みなとみらいと中華街では違うインターチェンジを使う。駐車場探しが面倒だから、地域内を巡ることはなく、どちらかひとつの場所を往復するだけだった。
横浜駅と中華街は隔たりのある場所という印象だったが、鉄道が通じてみれば、横浜と終点の元町・中華街駅までは約8分である。地下鉄ではなく、路面電車やモノレールのような、景色が見える路線だったらどんなに楽しいだろうと思う。もっとも、車窓より東横線と乗り入れるメリットの方が遙かに大きい。
元町・中華街駅はまさに中華街に隣接している。今までもJRの関内や石川町から徒歩圏だったが、通い慣れない人からは億劫な印象があった。しかしここは中華街の真横だ。駅の反対側は元町のショッピングエリアである。私はファッションに興味がないので、中華街を散策し、屋台風の店で安いラーメンを食べ、華正楼に寄った。華正楼は中華菓子の月餅で有名な店だが、私はここの肉まんが好物である。予想通り、かなりの人で混雑している。もっとも、昔から中華街は込んでいて、寂れたという話を聞かない。
旧正月から参詣の列が絶えない関帝廟。
クルマで食事に来ると、時間ごとに上昇する駐車場料金が気になって、そそくさと立ち去ってしまうけれど、今日はのんびり、中華街をくまなく散策してみる。気になりつつも通り過ぎていた関帝廟という神社にも寄ってみた。ここにまつられている神は三国志で人気武将、関羽である。信義の神様で、中国商人たちの心のより所となっている。
ゆっくりと街を歩くと、もうひとつ懐かしい建物を見つけた。旅館『オリエンタル』。中華街の老舗旅館だが、私の思い違いでななければ、ここは横浜を舞台にした刑事ドラマ『あぶない刑事(デカ)』で、主演の館ひろしが張り込みをした場面に登場した。
ドラマの舞台としても使われた? 旅館。
みなとみらい線で引き返し、馬車道駅で降りる。廃屋からテーマパークになった赤レンガ倉庫に近いところで、駅のコンコースもレンガ倉庫を模したもので、大きな壁に、オブジェとして古い機械が飾られている。地上に出て海側に歩き、運河越しにみなとみらいのビル群を眺め、汽車道を歩く。かつて線路だったところにレールが埋め込まれており、桜木町方面に向かって伸びている。
汽車道と横浜新都心を望む。
春の日差しは暖かく、やや強い風だが乾いていて爽やかだ。汽車道の途中には古い鉄橋が残されていて、1907年製という銘板があった。きっと絵本に載っているような小さな蒸気機関車が、小さな貨車を牽いてのんびり走っていたのだろう。その線路をまたぐように大きな建物がある。横浜国際船員センター
NAVIOS YOKOHAMAという、ホテルだ。その建物を通り過ぎて振り返ると、線路の先に赤レンガ倉庫が見えた。あそこが貨物埠頭だったのであろう。はじめからこっちの向きに歩いた方が楽しかったな、と思う。
汽車道は赤レンガ倉庫へ続いていた。
桜木町に向かって歩き続け、ランドマークタワーの鉄道模型店に立ち寄り、動く歩道で桜木町に向かった。地下鉄が走る前は、こちらがみなとみらい地区の表玄関であった。
桜木町は、明治5年に新橋と横浜に鉄道が開業して時の横浜駅である。だから貨物線の起点が設けられていた。ちなみに新橋駅は現在の汐留にあり、今の新橋駅は烏森(からすもり)と呼ばれていた。ここまで来たら、根岸線(京浜東北線)に乗り、汐留地区の再開発で発掘されて復元された旧新橋駅を見に行こうと思う。
桜木町駅で、廃止された東横線の桜木町駅を眺める。シャッターが降りており、広告や看板は取り外されて倉庫のようになっていた。「長い間ありがとうございました」という張り紙を見ると、未練などなかったはずの東横線の旧線が懐かしくなってきた。
歴史を閉じた東横線桜木町駅。
都心に向かう車窓から、もう錆び始めている東横線のレールを眺めた。今日は順路を間違えたと思う。これを見てから桜木町で降り、汽車道を通って歩いて中華街へ向かい、締めくくりにみなとみらい線に乗ればよかった。今度誰かを連れてくるときはこうしよう、と思う。もう中華街は身近な場所なのだから。
2004年2月22日の新規乗車線区
JR:0.0Km 私鉄:4.1km
累計乗車線区
JR:15,616.7Km 私鉄:2,682.6km
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