坂下から中央本線で中津川に戻る。ここからバスで木曽山脈を抜けて、飯田に向かい、飯田線を南下する日程だ。中津川から飯田の間は中央高速道路が通じ、木曽山脈を『恵那山トンネル』で横断する。このトンネルは自動車用としては世界第2位の長さだという。そこを走る高速パス『いいなかライナー』が日程の鍵になった。
木曽谷から伊那谷へ高速バスで移動。
当初の予定では、東京駅から東海道線の始発に乗り、日中の東海道を眺め、豊橋から飯田線を乗り通して岡谷に向かう計画だった。飯田線は愛知県の豊橋から伊那谷に沿って北上し、諏訪湖の手前にある長野県の辰野まで、195.7kmの長大なローカル線だ。起点から終点まで乗りとおすと6時間もかかる。各駅停車で6時間とは禅の苦行のようだが、景色や客層の変化を観察するのも一興だ。
しかし、ふと地図上の飯田線から目を離すと、中央本線の長い未乗区間が横たわっている。時刻表の地図によれば、中津川から飯田にはバス路線がある。ならば、この長い未乗区間をまとめて乗ってしまおうと、再度時刻表を繰った結果、今回の日程が組み上がった。恵那山トンネルのおかげで、木曽越えはたった1時間である。
坂下の記憶は薄れてしまったが、飯田は学生時代に一泊している。夜の散歩に出た時に、レンタルレコード店で珍しい盤を発見したが、下宿から遠いために借りなかった。そんな思い出がある。メインストリートがリンゴ並木だったことも覚えている。飯田は精密工業の他にリンゴで知られる土地だ。土産物店で大きなリンゴをひとつ買った。遅い朝食のつもりである。
改札口側のホームに天竜峡行きの電車がいる。この電車は駒ヶ根が始発で、この飯田で30分も停車していた。飯田のひとつ手前の駅から、ひとつ先の駅まで行く人がいたら腹を立てそうだが、そういう人はいないらしい。この電車に約30分揺られると天竜峡である。そこから先へ行く列車に乗りたいが、発車は1時間半後になる。長い待ち時間だが、おかげで昼食と天竜峡見物の時間ができた。
景勝地天竜峡は、天竜峡駅のすぐそばにある。改札を出て小さな駅前広場を過ぎ、左に曲がって踏み切りを渡り、観光案内所、蕎麦屋、3軒ほどの土産屋を過ぎると橋がある。この橋の下が天竜峡だ。徒歩3分もかからない。橋の北側はごく普通の川で、畑や建物も多く興ざめだが、南側は別世界のような美しい峡谷になっていた。
駅から徒歩2分でこの景色。
天竜峡の観光の名物といえば、天竜ライン下りである。細長い木舟が流れに任せて下っていく。急所になると船頭さんが長い棹を挿して巧みに船を操るという。のんびりした風情で、乗ってみたかったけれど、船に乗ればその区間の飯田線を乗り残してしまう。そうかといって、未乗区間を往復する時間はない。都会の電車とは違い、ちょっと往復するだけでも時間がかかるのだ。
それにしても、次に天竜峡に来る機会はあるだろうか。電車に乗る目的の旅とはいえ、名高い景色を見過ごしていいのだろうか。逡巡しながら、やはり乗らないことに決め、名残惜しく橋の周辺を散策した。
やがてモーターボートの音が聞こえて、振り向けば、さっき川を下った貴船が勢いよく上ってきた。川を下るときはモーターを隠しておき、客を降ろしたたあとでこうして上ってくるのである。なんだがズルイような気がする。手こぎの舟の風情もない。昔は人足たちが船を背負って上ってきたし、後年はトラックの荷台に乗せていたという。確かにモーターボートのほうが合理的だけれど、舞台から楽屋が丸見えになったようでがっかりした。せめて日暮れにこっそり運べばいいのに、と思う。
駅前の商店を眺め、駅の近くの蕎麦屋に入った。辛味大根の漬け汁で食べるざるそばを注文する。蕎麦ちょこに、大根おろしょを絞った白い汁が入っていた。ここに醤油を垂らして味を付ける。確かに辛い。店の主人が、無理せずに、普通の大根おろしの汁を加えて調整するようすすめてくれた。そのまま食べる人は稀らしい。主人の手が空いて、本物の蜂の子は少なくなった、昔の鮎はうまかった、という話に相づちをうつ。これが蜂の巣だと見せてくれたけれど、美味そうだとは思えない。図鑑を見ているような気分だった。
辛味大根の汁と醤油で食べる蕎麦。
天竜峡から豊橋まで116.2kmの距離を、飯田線の電車は3時間半かけて走る。下り坂が多いとはいえ、かなりスピードを出している。こんながんばって走っても3時間半もかかる。駅の数が50もあるからだ。川沿いに人が住み、その集落に沿って駅を作るからだ。皇太子妃殿下の実家と同じ小和田という駅は、周辺に家が1軒しかないと報じられたこともある。私が乗った列車もちゃんと停車した。
そんな小駅を覗けば、どの駅からもちゃんと乗り降りがある。3両の電車の席が埋まり、私の隣と向かいに年配の女性が座った。途中の駅で仲間が合流し、10人ほどのグループになる。
「やかましくてごめんね、湯谷で降りるけ」
「元気がいちぱんですから」そう言うと、嬉しそうに笑う。
戦時中の動員で、軍の工場で働いた。そのときの仲間と年に一度、泊まりがけで温泉に行くのだという。戦後60年、女学生の動員なら彼女たちは70歳を越えている。飯田線も開通60周年だという。開通したばかりの鉄道で、彼女たちは軍の工場へ向かったのだ。
「工場では何を作ったんですか」私も話に混ぜてもらった。
「なんだかねぇ、ネジみたいなもの」ひとりが即答する。
「毎日、毎日ね。バカ仕事だわ」そういうと、皆が笑う。
単純な仕事だからバカ仕事なのか、青春時代をネジに捧げたにもかかわらず敗戦し、報われなかったからバカなのか。バカという一言に、ずいぶん重みがあるようだ。今日は幸せそうだが、彼女たちの60年は、どんな人生だったのだろう。
豊橋までは各駅停車で3時間半もかかる。
それからたった数駅先の湯谷温泉で老女のグループが降り、静かになった。ここから先、豊橋着は午後4時ごろである。まだ明るいが、私はそこから各駅停車だけで東京に帰る予定になっている。
■第28-30回
の行程図
(GIFファイル)
2003年10月8日の新規乗車線区
JR:219.1Km 私鉄:0.0km
累計乗車線区
JR:15,428.1Km 私鉄:2,284.4km
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