電車は長良川を越えるとすぐに左折して専用軌道に入り、忠節駅に着いた。忠節駅は岐阜市内線の終点であるとともに、揖斐線の起点駅でもある。線路が4本も並ぶ堂々とした配線だ。このうち2本は揖斐線の折り返し用になっている。しかし、ほとんどの電車は市内線に直通するので、実質的には2本の線路しか稼働していないと思う。使うとしても留置線の代わりだろう。
私が乗っている電車も揖斐線に直通するけれど、停車時間はかなり長い。路面区間の電車の遅れを考慮したダイヤかもしれない。今日は休日で、市内線から乗っていた客が降りると、車内は私しか残らなかった。のんびりとした静かな時が流れる。
しばらくすると、私が座っているロングシートの前方に、5歳くらいの男の子が座った。バッグから小さなゲーム機を出して遊んでいる。一人で乗ったのだろうか。不安げな様子はなく、電車に乗り慣れた様子だ。やがて遠くから名前を呼ぶ女性の声が近づいてくる。彼女は男の子を見つけると、駅に迎えが来ている、というようなことを言っている。母親のようだが、彼女は乗らないらしい。
男の子は母の顔を見ず、ゲーム機を見つめながら頷くだけだ。手応えのない反応にいらだち、母は同じことを何度も繰り返し言う。発車の時刻になり、電車の扉が閉まると、ようやく母は沈黙した。男の子は下を向いたままである。ふたりの距離が離れていく。
路面電車が専用軌道に乗り入れる。
名鉄揖斐線は岐阜市の忠節駅と揖斐郡揖斐川町の本揖斐駅を結ぶ路線だった。しかし、2001年(平成13年)に本揖斐駅と黒野駅間が廃止されて、現在は黒野駅が終点になっている。黒野駅からは谷汲線が分岐し、谷汲山華厳寺の参詣の便を担っていたが、これも本揖斐方面と同時に廃止された。電車はどん詰まりの黒野駅へ向かって走っている。住宅街に入り込み、この地域に鉄道と暮らしが密着していた時代の名残が見て取れる。列車は15分間隔で走っているから、利用者は少なくないはずだ。しかし、路面区間が廃止になれば岐阜の中心に直通できず、存続の意味がないのだろう。
揖斐には行かない揖斐線は、駅名がおもしろい。忠節の次は近ノ島で、これはごんのしまと読む。次の駅が旦ノ島、だんのしま。難読駅名に分類できそうだ。なぜ島という地名がついたのか。このあたりは河川が幾条にも流れており、土地が島のように見えたのかもしれない。揖斐線は伊勢湾に注ぐ河川群と交差しているのだ。
そうか、鉄橋か、と思った。最近廃止される路線の原因に鉄橋の架け替え費用がある。年度ごとの赤字は自治体が補填してくれるけれど、鉄橋を架け替えるほどの資金援助は難しい。鉄橋を架け替える予算で、いくつかの道路橋が作れたり、舗装路を増やしたりできるからである。揖斐線にも、そんな古い鉄橋があったのだ。
少年の頭越しに前方を眺めると、
電車は鉄橋を渡ろうとしていた。
ふたつの“島”を抜けて、次の駅は尻毛、しっけと読む。艶っぽい名前である。尻毛駅の北側が上尻毛、南側が下尻毛だ。毛の字は植生に適し、農作物がよく育つ地域に多い。これは上毛電鉄に乗ったときに調べた知識である。尻は川尻など、地勢の終点を示す場合に多い。そこから推理すると、おそらくここは濃尾平野の農耕の北限だったのではないか。真面目に考えるとそうなるけれど、周囲の店やアパートには尻毛を冠したものが多い。電話で住所を説明するときは、やはりオシリのケと言うのだろうか。
もっとも、神奈川県には尻手駅がある。こちらは尻に手だからいっそう猥褻である。電話で住所を説明するときは、やはりオシリのテと言う。これは実際に聞いたことがある。言う方も聞く方もなんとも思わなかった。馴染んでしまえば、そんなものだろう。
尻毛の次の駅が又丸、またまるだ。こうなると冗談で名付けた地名としか思えない。が、道や川が分岐する姿に由来するのだろう。
住宅がやや建て込むと北方町である。北方東口、北方千歳町、美濃北方の3駅に停まる。駅間は短く、700メートルほどだ。岐阜へ20分、大垣へ30分、名古屋へ1時間の距離にあり、川運に恵まれ、古くは都市への農産物の供給、近年はベッドタウンになっている。揖斐線の前進は岐北軽便鉄道で、この会社がまず着手した路線が忠節とここ、北方の間だった。1914年(大正3年)のことである。
北方3駅で人の出入りがあったけれど、忠節から乗っている男の子は降りない。寂しさを紛らわせたいのか、ラップにくるんだ丸いおにぎりを食べている。私が初めて一人で電車に乗った時を思い出す。あのとき私は父の実家に遊びに行った。幼い冒険心から、一人で電車に乗りたいと我が儘を言った。どんなふうに家を出て、祖父の実家で何をしたのかは覚えていない。しかし、一人で電車に乗り、バスに乗り換えたときに少し不安になったことを覚えている。
乙女も恥じらう? 尻毛駅。
電車はまた鉄橋を渡った。この川は根尾川といい、下流で揖斐川に合流する。その揖斐川は木曽川と並んで伊勢湾に注ぐ。堂々たる河川で、鉄橋も長い。廃止直前になれば、この鉄橋も撮影名所になるだろう。廃止の原因が撮影名所になるとは皮肉だ。
鉄橋を渡り終えると揖斐郡大野町になる。根尾川から用水を何本も巡らせた農業地域である。商工業にも力を入れており、将来は東海環状自動車道によって発展が期待されている。その晴れやかな未来予想図に、残念ながら鉄道はない。揖斐線は町役場から1km離れ、三水川の鉄橋の手前、黒野で終点となった。構内はかつての分岐駅の面影を残している。どこまで残っているのかわからないが、本揖斐と谷汲へ向かう線路が見える。
途切れた線路を眺める。
結局、男の子は終点まで乗っていた。線路の向こうの駅舎に、少し年上の女の子が立ち、男の子の名前を呼んでいる。一緒に改札を抜けると、ふたりは父親とおぼしき男性と自動車に乗った。子供をひとりで電車に乗せるくらいなら、自動車で母親の元へ迎えに行けば良さそうなものだ。それをせず、揖斐線に載せた理由は、私の子供の頃のように電車に乗りたかったからだろうか。それとも、電車によって隔たりを作りたい親の心情だったのか。
ゴールデンウィークの最終日。彼にとって、消えゆこうとする揖斐線は、どんな思い出として残るのだろうか。
古い電車が留置されていた。
-…つづく