■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。



第1回:さよならミヤワキ先生。
第2回:17歳の地図、36歳の地図
第3回:駅は間借り人?
-都営地下鉄三田線-

第4回:名探偵の散歩道
-営団南北線・埼玉高速鉄道-

第5回:菜の花色のミニ列車
-埼玉新都市交通ニューシャトル-

第6回:ドーナツの外側
-東武野田線-

第7回:踊る猫伝説
-横浜市営地下鉄-

第8回:相模原銀河鉄道
-相模鉄道いずみの線・本線-





■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第9回:複々線から単線へ
     -特急『りょうもう1号』・東武鉄道桐生線-

更新日2003/06/05


東武鉄道は粋なことをやるものだ。旅人にとって東武と言えば日光へ行く電車であり、日光行きと言えばスペーシアという特急列車を想起する。スペーシアは浅草と日光を1時間50分で結び、車両は私鉄特急用としてはトップクラスの豪華さで知られている。その日光行きスペーシアに乗るには、1,320円の乗車券の他に特急料金が必要で、休日は1,400円、平日は1,300円だ。ところが東武鉄道は、スペーシアのほかに快速列車を運転している。こちらは特急料金不要で、浅草から日光までの所要時間は約2時間10分。途中の停車駅が多いので20分余計にかかるけれど、これなら1,320円で日光へ行ける。尾瀬や会津方面への接続もいい。

6月1日、早朝の浅草駅で、私は6時20分発の快速列車を見送った。車両は豪華ではなかったけれど、席がすべて4人がけのクロスシートになっていた。グループ旅行ならこちらのほうが楽しいかもしれない。リュックを背負ったお年寄りが多かった。台風4号は昨夜のうちに温帯低気圧になり、雨は止んでいるが曇天のままだ。


早朝の浅草界隈。曇天だが雲の流れが速い。晴れるかも?

 
私が魅力的な快速列車に乗らない理由は、お目あての列車が赤城行きの特急『りょうもう1号』だからである。今日はこの列車で赤城へ行き、そこからわたらせ渓谷鉄道に乗り、上毛電鉄で前橋へ出て、帰りは東武鉄道の太田、館林地区のローカル線を探訪する。ほとんど電車に乗りっぱなしの強行軍で、効率の良いルートを検討するため、昨日は一日じゅう時刻表を眺めて過ごした。それはとても楽しい作業で、空想の旅のようだった。だから今日は旅の2日目のような心境である。

しばらくすると、特急りょうもう1号がホームに入った。白い車体に赤い帯を巻き、堂々とした雰囲気だ。車内は2人がけのシートがズラリと並び、窓も大きく、通勤電車とは格段の違いがある。特急券に示された座席番号は4号車20番で、進行方向左側の窓際だ。特急券の自動販売機は、ひとりで買うとなるべく窓際を割り当てる仕組みだ。欲を言えば対向列車が見える右側がよかった。残念だが、自動販売機には鉄道好きを見分ける機能はない。


浅草駅で買った『鳥めし』

席に座り発車を待つ。改札口の横の売店で、朝食用に購入した駅弁をテーブルに載せて眺めている。駅弁なんて久しぶりである。鉄道旅行の象徴と言ってもいい。やっと旅らしくなってきた。そんな感慨に浸っていると、急にお腹が空いてきて、走りだす前に食べ始めた。6時40分に発車するときには、食べ終わった空箱を片付けていた。特急列車は浅草駅を出て、急カーブをゆっくりと走り、墨田川を渡る。大いなる助走である。橋を渡り切るとぐんぐん加速して、こちらの気分も高揚してきた。

実は『りょうもう』に乗るのは2回目だ。といっても、1回目は30年ほど前になる。祖母の妹が太田に居て、祖母と母と私とで泊まりがけで花見に行った。私はこどもだったから花見などはどうでもよく、『りょうもう』に乗りたくて付いて行った。当時、りょうもう号は急行だった。それでも特急のような赤い車両で嬉しかった。そんなわけで、東武伊勢崎線の太田までは私の乗車路線リストに含まれている。けれども、ほとんど薄れかけた記憶であるし、覚えていたとしても今とは違う景色だっただろう。

10分ほどで北千住に着いた。ここから相互乗り入れしている地下鉄日比谷線が合流し、北越ヶ谷までの複々線区間になる。19キロメートルにわたる複々線区間は私鉄では最長の距離で、東武鉄道はこの区間を各駅停車用と準急以上の高速列車用に使い分けている。つまり、走行中に特急列車が各駅停車を追い越せる。東武鉄道でもっともダイナミックな区間だ。私が乗っている車両は乗客が少なくて、この区間だけ右側の席を拝借しようかと思った。しかし、早朝なので追い越しは少ないだろうと思う。というのは言い訳で、早起きと満腹感でかなり眠くなっているから面倒だ。30年前の杉山少年なら、まちがいなく右側の窓にかじりついていたと思う。

通勤の大動脈だからこその複々線で、車窓にはマンションや住宅が延々と続いていく。北越谷を通過しても住宅が多い。しかし、都心から離れるに従って、建物は低くなる。春日部を過ぎると田畑も目立つ。春日部は2ヵ月ほど前に東武野田線で通った。あのとき、東武野田線は人口分布図のドーナツの外側にあたる、と書いた。まさしくその通りの車窓である。水田の向こうに観覧車が見えて、東武動物公園駅に着いた。

ここから先は記憶が曖昧だ。田畑と住宅が続き、景色が単調になってからは睡魔との戦いであった。足利市に着くとやっと山が見えて景色に変化が出てくる。関東平野はなんて広大なんだろう。太田駅に着くと眠れなくなった。ここから先は東武桐生線に入る。未乗区間だからしっかり景色を見ておきたい。単線区間のせいか、停車駅が多く、時刻表で通過となっている駅にも停まって対向列車を待つ。ついさっきまで複々線区間を駆けていた電車も、ここまで来るとのんびりしたものである。


雨の赤城駅。駅舎は小さいながらも瀟洒な建物だった。

 
終着駅の赤城到着は8時30分。関東平野は雨が少なかったけれど、ここではときどき強く雨が降る。私は折りたたみ傘を広げてわたらせ渓谷鉄道の大間々駅へ向かって歩き始めた。地図で見ると約800メートルの距離である。雨のため足元に気を使うし、日曜の朝なので商店も閉まっている。けれど、かつての栄華を偲ばせる民家がいくつか残っており、退屈はしない。座りっぱなしの身体には良い運動であった。


大間々は古くから栄えた街だ。
これは天明7(1787)年創業の醤油屋さん。

つづく…
6月1日の行程略図(PDFファイル)