10月14日の鉄道記念日に向けて、JR各社は『鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ』を販売する。有効期間は10月4日から19日までの任意の3日、JRの普通列車に限定で、値段は9,180円。1日あたり3,060円だ。乗りつぶしの旅を再開してから、やや私鉄偏重の気がするので、今回はこれを使ってJR線にたくさん乗ろう。
東北本線の赤羽駅を5時59分に発つ、埼京線の川越行きに乗る。早起きが辛いと徹夜したので、眠い。空は白みはじめており、それを見て、朝だと身体に言い聞かせる。しかし時折気を失い、駅に停まるたびに目を覚ます。大宮駅では終点と勘違いしてホームに飛び出し、あわてて車内に戻った。赤羽線が埼京線に変わって以来、このルートで大宮に来たことはなかった。大宮駅のホームは地下になり、電車は川越線に乗り入れる。川越線は20年前と変わらず単線のままだ。10両編成の通勤電車が単線を行く様子は珍しい。
川越駅から先へ、八王子行きの電車に乗り継ぐ。東武東上線の新木場行きが見えた。私が乗ってきた埼京線の電車も折り返して新木場に行く。こちらはりんかい線経由である。川越と新木場にはなにか縁があるのだろうか。なにしろ眠いから、目に入るものをきっかけに脳を刺激してみる。
八高線高麗川駅。左が高崎行。右が八王子行。
高麗川で降り、八高線で高崎へ向かう。八高線は八王子と高崎を結ぶ92kmの長い路線だが、列車の運行形態は高麗川を境にする。八王子方面は電化され、川越線に乗り入れる通勤路線になった。しかし、ここから高崎方面は非電化のままで、列車の数も少ない。
わざわざ高崎まで大周りをした理由は、この非電化路線が未乗区間だからである。すでに2両編成のディーゼルカーが待っていた。車体は白地に黄緑の帯という配色で、新しい車両のようだ。車内は高校生が多い。日曜日だが、クラブ活動だろうか。
列車は秩父山地の東側を縁取るように走っていく。高校生の集団は越生(おごせ)で降りて、車内は急に静かになった。越生には東武鉄道が乗り入れている。私が乗った列車はここで7分も停まり、ローカル線らしい雰囲気になってきた。車窓には稲田が目立つ。今年は冷夏で米が不作という。本来なら黄色の稲穂の波になるところが、青い葉が残っているから黄緑色にみえる。穂は上を向いている。
少しずつ秩父山地が近づいてくる。
北に向かうにつれて緩やかな上り勾配が続く。好天で秩父山地がくっきり見えた。ディーゼルカーは唸りをあげ、力強い走りだ。20年前に八王子から乗ったディーゼルカーは、朱色の無骨な車両だった。あれはガリガリと大きな音がするわりには遅かった。それが今では電車のような快速ぶりで、浦島太郎のような気分である。
児玉という、やや大きな駅を出ると建物が増えてくる。高崎への通勤圏に入ったようだ。右から高崎線の線路が近づくと北藤岡駅。ここを出るとすぐに高崎線に合流する。八高線の終着駅は次の倉賀野で、さらにひと駅走って高崎まで行く。昔の朱色のディーゼルカーなら、スピードが遅く遠慮がちに走るだろうが、この車両は速いから颯爽としている。むしろ、やっと勢い良く走れると喜んでいるようでもある。機関車がたくさん並び、新幹線の高架も合流すると、高崎駅の広い構内に入った。
信越本線と上越線が分岐する高崎は、古くからの交通の要衝である。線路の数、ホームの配置、そびえ立つ新幹線の駅など、どれを取っても風格を持っている。その高崎駅の南の端に、上信電鉄のホームがある。次の発車まで約30分あるので、ホームの立ち喰い蕎麦で朝食を取った。週刊誌でこの店のラーメンが褒められたらしく、壁に拡大コピーも貼られているが、食券販売機では売り切れとなっている。ちくわ天うどん350円を食べた。
上信電鉄は明治30年に高崎から下仁田まで開通した。社名から察するに、上州と信州を結ぶ計画だったのだろうか。地図を見ると、下仁田から西に進み、西牧川に沿って長野県佐久市に抜けられそうだ。現在は川沿いに国道254号線が通じているが、当時の鉄道は峠を超えられなかったのだろうか。国道254号線の北方約20Kmのところには、かつて信越本線の難所として知られた碓氷峠がある。
上信電鉄のホームの手前に精算所があり、ここで下仁田までの切符を買う。フリー切符があると係員が言うが金額が聞き取れない。たぶん往復運賃より少し高い程度だろうと思い、勧めを断って片道切符を購入した。もしかしたらバスで小諸に抜けられるかもしれないと思ってのことだった。切符を受け取り、窓口から離れようとするとフリー切符のチラシが貼ってある。片道切符は1,080円。フリー切符は1,100円で、往復すればほぼ半額になってしまう。私は窓口に申し出て、気恥ずかしいが切符を取り替えて貰った。
上信電鉄の電車。塗装は「こんにゃく畑」の広告だ。
ホームに褪せた紅色の電車が到着した。上り電車の乗客が降りると車庫に引き上げて、代わりに派手な塗装の電車が来た。塗装はこんにゃく加工食品メーカーの広告であった。車両の交換は面倒なことだが、1日何回か走らせる契約があるのかもしれない。この車両は全長20メートル、扉が片側に3つある。普通は扉を4つつくるところを3つにするのは、かつての西武鉄道の車両の特徴で、果たして車内には所沢工場のプレートが貼ってあった。
2両編成で高崎を出発し、新幹線の線路を眺めつつ南下する。ここは関東平野の北限で、すこしずつ勾配を上っていく。ワンマン運転で、無人駅ばかりだから運転士さんは忙しい。停車してドアを開け、乗務員室から車内へ入って降車から運賃を受け取る。無人駅では運転席の後ろのドアしか開かない。高崎商科大学前という駅では、ホームの後ろに立っている老人に呼びかけ、踏み切りで遮られたおばさんたちに「乗るの?
じゃ、待ってるから、そこくぐって来て」と声をかけている。急げとは言わない。
長髪の若い運転士さんは温厚な人柄のようで、余所者の私から見ても好ましい。しかし、途中の駅で精算しようとした少年たちのひとりが、高崎までの切符は捨てたと告げると顔を曇らせた。JRでキセルした疑いもある。「捨てちゃダメだよ、精算できなくなっちゃうから。いちおう有価証券なんだし」と諭す声が聞こえる。あんなにいい人を困らせるなんて、と私が代わりに腹を立てている。
製糸産業で栄えた富岡市に入ると、正面に妙義山が現われる。その威容はすこしずつ車窓の右側に移って大きくなる。カメラを構えるが、線路のそばの立木や架線柱に邪魔される。木が多い理由は上州のからっ風を避けるためだろうか。ちゃんと写真を撮りたければどこかの駅で降りればいいことだから文句は言うまい。
妙義山が少しずつ大きくなってくる。
しかし、立木や架線柱よりも窓ガラスの汚さが問題だ。からっ風が砂を吹き付けるのだろうか。せっかくの晴天なのに、景色が黄色のフィルター越しになる。窓を開けるには肌寒い気候だから、他のお客さんに迷惑をかけてしまう。特に惜しいのは、最後の千平と下仁田の区間で、鏑川を見下ろす景色が見苦しいことであった。ここはおそらく、上信電鉄の車窓のハイライトだと思われる。運転士さんの人柄に好ましさを感じただけに残念なことであった。
-…つづく
■第26-27回
の行程図
(GIFファイル)