常磐線は大甕で日立電鉄と接続する。大甕は "おおみか" と読む。甕の字はふつう "かめ"と読むが、辞書によると "みか" と読む場合はとくに酒を醸造する用途になるそうだ。大甕駅から近いところに大甕神社があり、さぞ酒飲みの神が祀られているのだろうと思ったら、大和朝廷が派遣した武神、建葉槌神(たけはつちのかみ)だという。
日本書紀によると、大甕山には甕星香香背男という神がいて、地域の人々に慕われていた。しかし朝廷には従わず、鹿島神宮の武甕槌神(たけみかつちのみこと)と香取神宮の経津主神(ふつぬしのみこと)を蹴散らし、建葉槌神と死闘の末に破れた。甕星香香背男は反体制の英雄だった。地元の英雄で反体制なら、大酒飲みに違いない。
車体が汚れて、せっかく入った広告も見づらい。
日立電鉄のホームは人も少なく静かだ。しかしなぜか飲み物の自動販売機がたくさんある。かつて売店だった場所を自販機で埋め尽くしたのだろうか。ローカル線の駅にしては多すぎるような気がする。外に目を向ければ引込み線には古い電車が留置されていた。赤い塗装は地下鉄丸の内線の旧型車両を連想させる。しばらくして、同じ色の電車がやってきた。これで起点の鮎川へ向かう。
2両編成の電車は空いていた。乗客はお年寄りが数人。通勤通学の時間を外せば、ローカル線はこんなものだろう。窓ガラスがかなり汚れて、侘しさがいっそう増す。事後に知ったことだが、日立電鉄は鉄道の廃止を検討しているらしい。持て余している事業につくと、窓の汚れにまで手が回らなくなるのだろうか。悲しいことだが、そういうスタンスで営業すると乗客も離れていくだろう。従業員にも乗客にも愛着を持たれない、古い車両が気の毒に思える。
この電車のプロフィールを見ようと、連結部分の壁に近づく。たいていの場合、隣の車両へ向かう通路の壁に、製造工場を示すプレートがあるはずだ。そこには"神戸 川崎車両 昭和36年"という板と、"京王電機 平成6年"という板が並ぶ。元は京王電鉄だったのだろうか。いや、それにしては小さいな、と車内を見渡すと、窓のそばに非常灯を見つけた。地下鉄丸の内線という予想は的を射ていたようだ。
車内は清潔で安心。
地下鉄車両の名残の非常灯。
昔の地下鉄銀座線と丸の内線は、走行中に車内の明りが消えた。そのときに点灯する非常灯がこれである。地下鉄銀座線と丸の内線は、トンネルを小さくするために架線を張らず、線路の脇に電力供給のためのレールを敷いて、電車はそこから給電していた。これを第三軌条方式という。駅のホームの真下に給電レールがあると、万が一お客さんが落ちたときに感電する危険がある。そこで、駅にさしかかる前に給電レールの位置を変える。そこで停電状態になるのだ。
しかし、日立電鉄は架線集電だ。ということは、中古の地下鉄車両を購入して、わざわざパンタグラフを設置したのだ。線路の幅が違うので、台車も交換したはずである。ずいぶん苦労して手に入れた車両だと思う。そのまま走らせられる中古車両もあったと思うが、こちらの費用のほうが安かったとすると、たぶん車体はタダ同然だったのではないか。コスト削減のための涙ぐましい努力が窺える。
歴史をひも解くと、日立電鉄は儲かった時期がまったく無いという、気の毒な鉄道である。前身の常北電気鉄道は、停滞した常陸太田の勢いを取り戻すためという悲壮な決意で太田-大甕間を開通させた。そこまでの道のりも順調ではなく、資金不足が理由で何回も工事を中断したという。大甕から北へは太平洋戦争がきっかけの延伸で、日立の工場で働く人を輸送する目的だった。これは戦時特需で採算度外視の計画だったが、資材不足となり終戦を迎えた。それでもなんとか鮎川まで到達したけれど、そこから先、日立駅には届かなかった。
汚れた窓越しに対向列車を見る。
常に資金不足に悩まされた日立電鉄は、日本で初めて鉄道のワンマン運転を実施したり、駅の駐車場を開放してパーク&ライドを導入したりと、先取の精神が旺盛だ。そんな努力を続けても廃止を検討せざるを得ないとは、もう限界ということだろうか。大企業日立の手によって、新しい地域交通として策を出しても良さそうだ。個人住宅のリフォームブームに便乗して、路線全体を低コストで快適な乗り物にリニューアルし、ショーケースとしてアピールすれば、世界じゅうの地方自治体から注文が来ると思うのだが。
数人の老人達は鮎川ひとつ手前の桜川で降りて、私一人だけ残った。車窓から大きな病院が見える。ここまでの間、見晴らしのいい高台や、遠くに海が見える区間もあったけれど、窓が汚いのでよくみえない。景色を見ると疲れるとは悲しい。大企業日立グループの経営とは信じられない。鮎川駅付近も見るべきものはなく、小さな駅構内で電車を眺めて折り返した。ここは常磐線の線路の横にあり、轟音を立てて貨物列車が通過していく。ここに常磐線の駅があれば便利なのに、と恨めしい。
鮎川から大甕に戻り、そのまま終点の常北大田まで乗りとおす。海岸沿いの区間から内陸へ向かい、やや雰囲気がかわる。住宅が途切れることは無いけれど、海沿いのように密集する地域は少ない。途中にはひどくゆっくり通過する鉄橋があった。老朽化で速度が抑えられているのだろう。日立電鉄の鉄橋はどれも施工から70年以上経過し、架け替え費用もままならず。安全上の問題も廃止したい理由だという。
天気の良い、のどかなローカル線の旅のはずだったが、窓が汚いだけで、なんでも侘しくみえてしまう。風情だとは割りきれぬ感がある。
私の部屋も窓ガラスを磨いたほうがいいかもしれない。
終着駅の常北太田。駅名に旧社名が残る。
-つづく…
■第31-33回
の行程図
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