第246回:流行り歌に寄せて No.56 「からたち日記」~昭和33年(1958年)
昭和33年には、私がご紹介したいと思う曲が実に多くあり、発表順に書いているので、前回の7月に出た『星はなんでも知っている』から、11月に発売された今回の『からたち日記』までの間に、まだ何曲か残っている。
今月11月8日(2013年)に島倉さんが亡くなって以来、いろいろなところで追悼記事や番組が報じられているため、こちらはこの時期を外そうかとも考えた。けれども、ちょうど昭和33年をご紹介しているときでもあり、率直に弔意を表したいという思いから、繰り上げてこの曲を取り上げさせていただいた。
さて、今回多くの人々から「75歳で亡くなるのは、まだ早いのでは」という声が上がっていた。確かに今年の日本女性の平均寿命は86歳を越えているらしい。
しかし、9歳で歌手を志し、16歳で歌手デビュー。それから実に多くの経験をして生きてきた彼女には、私たちよりも数倍も密度の濃い来し方があったはずだ。おそらく普通の人であれば100歳を疾うに越えるであろう時間を生きてきたのではないか。私は、そんなふうに思う。
「からたち日記」 西沢爽:作詞 米田信一(遠藤実):作曲 島倉千代子:歌
1.
こころで好きと 叫んでも 口では言えず たゞあの人と
小さな傘を かたむけた あゝ
あの日は雨 雨の小径に 白い仄かな
からたち からたち からたちの花
〈台詞〉
幸せになろうね あの人は言いました
わたしは 小さくうなずいただけで 胸がいっぱいでした
2.
くちづけすらの 想い出も のこしてくれず 去りゆく影よ
単衣(ひとえ)の袖を かみしめた あゝ
あの夜は霧 霧の小径に 泣いて散る散る
からたち からたち からたちの花
〈台詞〉
このまま 別れてしまってもいいの
でもあの人は さみしそうに目をふせて
それから 思いきるように 霧の中へ消えてゆきました
さよなら初恋 からたちの花が散る夜でした
3.
からたちの実が みのっても 別れた人は もう帰らない
乙女の胸の 奥ふかく あゝ
過ぎゆく風 風の小径に いまは遥かな
からたち からたち からたちの花
〈台詞〉
いつか秋になり からたちには黄色の実が たくさんみのりました
今日もまた 私はひとりこの道を歩くのです
きっとあの人が帰ってきそうな そんな気がして
私の母の話を度々させていただいて恐縮だが、この『からたち日記』は、母の一番の愛唱歌だった。掃除、洗濯、炊事、家事をする間、ずっと口ずさんでいたものだった。
ただ、なぜか端折って歌う癖があって、例えば1番は、「こころで好きと 叫んでも 口では言えず たゞあの人と からたち からたち からたちの花」で終わってしまうのである。だから、本当の島倉千代子の歌を聴くまでは、子ども心にも「ずいぶんと短い曲なんだなあ」と訝しげに思ったものである。
幼少時代からいつも耳慣れた曲だったので、私もこの曲はその後も何回か繰り返し聴いている。叙情的で、美しいワルツだと思う。殊に(母からは一度も聞かされたこともない)台詞の部分と、そのバックに流れるメロディーが、とても好きだ。
1番、2番、3番の歌唱の後に語られる台詞は、それぞれ長さが違っているのが特徴だ。そして、その台詞にしっかりと寄り添うように流れるメロディーは、心情を映し出すかのように繊細に奏でられる。
それは、1番後は浮き立つような初恋の気持ちを表すように、明るいメジャー調で、2番後は一転マイナー調に変わるが、台詞の最後を追っていたわるようなメジャー調になり、3番後は再開に期待を持たせるようなメジャー調で結ばれている。『赤いグラス』などの作曲を手掛けた、編曲家・牧野昭一の手腕が光る。
作詞は、美空ひばりの『ひばりの佐渡情話』なども手掛けた西沢爽。この人は歌謡曲研究家としても、大変良い仕事を残されている。
作曲の米田信一、括弧書きしたように遠藤実のこの当時のペンネームである。最初遠藤は、西沢の詞にメジャー調とマイナー調の曲を載せた、二通りの作品を用意して島倉本人に選ばせたらしい。彼女が選んだのは、今私たちが聴き続けている、メジャー調の方だったのである。
西沢は平成12年に、遠藤は平成20年に、そして牧野は平成22年に、それぞれ他界している。かつて一緒に仕事をしてきた先生方を、島倉は一人ひとり寂しい思いで送り出したことだろう。
『この世の花』をこのコラムでご紹介したのは、ちょうど1年前の11月のことだった。その時、島倉千代子の大ファンだった、中目黒の居酒屋さんのマスターのことについて触れたが、あの方も今回かなり力を落とされているに違いない。
そのマスターが、いつも愛おしみをこめて「お千代さん」と呼びかけていた声を、今はっきりと思い出すことができる。マスターの許しを得て、今回一度だけその呼び方を使わせていただきたい。
お千代さん、本当にお疲れ様でした。亡くなる3日前までレコーディングをされていたという、あなたのプロフェッショナルの矜恃を最後まで持ち続けられたお姿に、心から敬意を表します。私も、必ず見習わせていただきます。どうか、安らかにお眠りください。
-…つづく
第247回:流行り歌に寄せて
No.57 「おーい中村君」~昭和33年(1958年)
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