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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第228回:流行り歌に寄せてNo.40 「別れの一本杉」~昭和30年(1955年)

更新日2013/02/07

私の愛唱歌の一つである。と言っても、カラオケに行って歌ったことは一度もなく、私の中では、人に披露する類の曲ではない。

どこか心悲しさ(うらがなしさ)があるとき、本当に泣くわけにも行かないから、「泣けた 泣けた」と微かな低い声で、呟くようにして歌ってみる。すると、いくぶん救われたような気持ちにしてくれる、そんな歌であるようだ。

「別れの一本杉」 高野公男:作詞 船村徹:作曲 春日八郎:歌 
1.
泣けた 泣けた

こらえきれずに 泣けたっけ

あの娘(こ)と別れた 哀しさに

山のかけすも 鳴いていた

一本杉の 石の地蔵さんのよ

村はずれ

2.
遠い 遠い

想い出しても 遠い空

必ず東京へ ついたなら

便りおくれと 言った娘(ひと)

りんごの様な 赤い頬っぺたのよ

あの泪

3.
呼んで 呼んで

そっと月夜にゃ 呼んでみた

嫁にもゆかずに この俺の

帰りひたすら 待っている

あの娘(こ)はいくつ とうに二十(はたち)はよ

過ぎたろに


作詞家の高野公男は、昭和5年2月、茨城県西茨城郡北山内村生まれ。作曲家の船村徹は、昭和7年6月、栃木県塩谷郡船生村生まれ。

県は違っても、同じ北関東の比較的近郊の村育ちの二人が出会ったのが、東京は池袋にある東洋音楽学校(現:東京音楽大学)であった。高野は声楽科に、船村はピアノ科に籍を置いていた。

当時音楽学校に入れることのできるのは、かなり生活に余裕のあった家庭のはずだが、学生生活は困窮を極めたらしい。あまりにも腹を減らした船村が、高野の弁当の握り飯を勝手に拝借して食べてしまったことから、二人の友人関係が始まったという。

高野が、「焼け野原で歌う大衆の歌を作ろう」と提案し、二人は歌謡曲作りを志し、高野が作詞を、船村が作曲を担うことになった。

二人とも何とかデビューは果たしたものの、なかなか売れる曲に恵まれず、米軍キャンプをバンドで回ったり、流しをしたりしながら、何とか糊口を凌いではいたが、いい加減それも限界に近くなっていた。

そして、「最後のチャンスを」との思いで、キングレコードに売り込みに行った『別れの一本杉』が、文字通り起死回生の大ヒット曲になったのである。

船村徹は、その後、日本作曲家協会会長などを歴任するなど、歌謡界の大御所として大活躍することになるが、高野公男という名前は、あまりその後聞く機会がない。

それも当然のことで、この大ヒット曲を作ったあとコロンビア専属となり、『早く帰ってコ』など、船村とのコンビで望郷歌謡を手がけていたが、昭和31年9月、肺結核のため国立水戸病院で息を引き取ったのである。

『別れの一本杉』の発売から9ヵ月足らず、享年26歳の若すぎる死であった。高野の死を悼み、その年の11月、松竹でその短い生涯の足跡をモチーフに映画『別れの一本杉』が制作された。音楽担当は船村徹、劇の中に歌手役で春日八郎が出演している。

春日は、その昭和31年大晦日の「紅白歌合戦」でこの曲を熱唱した。わずか4ヵ月足らず前に夭折したばかりの高野への鎮魂歌となったことだろう。

この曲の春日の歌唱は、まさに絶品といえる。目を瞑って聞いていると、田舎の村はずれの杉の木の下での、まだ幼い恋の別れの光景が鮮やかに蘇ってくるようだ。

近代演歌のルーツとも言える『別れの一本杉』は、大物と言われる演歌歌手のほぼ全員がカバーしている。今回何人かを聴いてみたが、皆がまるで自分のオリジナル曲のように、素晴らしい歌唱を披露している。

そんなカバーの中で、やはり私が一番心を打たれたのは(反則と言われるのは重々承知の上で)船村徹の歌であった。ギターを抱えて、しみじみと、若くして逝ってしまった親友が作った詞を、一言ひとこと、とても大切に、慈しむようにしてメロディーにしていく。

すでに80歳を超えた船村が、もう失って60年近くなる友のことを「俺の高野」「俺だけの公男」と、今なお呼び続けていることは、同じ男としてかなり羨ましい思いがするのである。

-…つづく

 

 

第229回:流行り歌に寄せて 番外編1-1 ~昭和20年代を振り返って

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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