第244回:流行り歌に寄せて No.54 「あいつ」~昭和33年(1958年)
前回の『嵐を呼ぶ男』のドラマー白木秀雄と、ヴォーカリストの笈田敏夫もそうだったが、今回の『あいつ』の作詞、作曲者であり、ヴィブラフォン奏者である平岡精二、そして歌っている旗照夫もヴォーカリストであって、みな日本を代表するジャズ畑の人々である。
この年昭和33年、ここは1958年と言うべきか、本国アメリカでのジャズシーンを振り返ってみると…。まず新年早々1月には、日本のジャズ喫茶でずっとリクエストNo.1であり続けた名盤、ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』が録音される。
2月にはジョン・コルトレーンの『ソウルトレーン』が、3月にはキャノンボール・アダレイの『サムシン・エルス』が、4月にはマイルス・デイヴィスの『マイルストーン』が発表され、今でも人々の心を捉えている名演が、毎月続々と世に出されていた、まさにジャズの全盛期だったと言える。
因みに『嵐を呼ぶ男』は2月、『あいつ』は4月にリリースされている。
「あいつ」 平岡精二:作詞・作曲 旗照夫:歌
1.
ゆうべあいつに聞いたけど あれから君は独りきり
悪かったのは僕だけど 君のためだとあきらめた
だからあいつに言ったんだ もしも今でも僕だけを
想ってくれているならば 僕に知らせてほしいんだ
2.
どんなに君に逢いたくて 眠れぬ夜も幾度か
逢いに行けない今の僕 思い浮かべる君の顔
あいつもゆうべ言っていた 悪かったのはお前だと
あいつに言ってもらいたい 僕を許すとそれだけを
この曲は何回か聴いたことがあって、"古い歌謡曲にしては、なかなかしゃれた曲だなあ"と思っていたが、作者の平岡精二(昭和6年8月13日~平成2年3月22日、享年58歳)については、まったくと言ってもよいほど知らなかった。
今回改めて聴いてみて、ヴィブラフォン奏者らしい、ソフトで響きのある音色、セブンスコードを多用し、時にはナインス、ディミニッシュト・セブンスコードを織り交ぜるなど、いかにもジャジーな曲の作り方であることに気付いた。この曲がそのままヴィブラフォンの演奏曲になったとしても、それは充分素晴らしいと思う。
平岡は他に、ペギー葉山の『爪』も作詞・作曲している。あの"もうよしなさい悪い癖 爪を噛むのはよくないわ"という有名なフレーズの曲。これも、しっとりジャズ・ヴォーカル風である。
同じペギーでも、だいぶ趣の違う"蔦のからまるチャペルで 祈りを捧げた日"で始まる『学生時代』も平岡の作品だが、こちらは二人がミッション・スクールの青山学院の出身者であることによるようだ。
平岡は『あいつ』の発表から干支一回り後の昭和45年、自身の『ナイトクラブの片隅で』というアルバムの1曲目でセルフ・カヴァーしているが、これがさすがに渋い出来なのである。
歌い手の旗照夫(昭和8年12月2日~)、私のイメージはNHK教育テレビ『おかあさんといっしょ』のメンバーとしての彼の存在だ。
『あいつ』を歌った翌年の、昭和34年10月から『おかあさんといっしょ』の放送は開始されていて、彼は初代からのメンバーであり、当時はそう呼ばれていなかったはずだが、後に言う"うたのおにいさん"のような存在であった。
まだ保育園児だった私は、この番組の人気コーナー『ブーフーウー』とともに、旗の歌う多くの歌を楽しみにしていた。彼がジャズ歌手として活躍していたことを知ったのは、それから20年以上後のことであった。
旗は、日本コロムビア専属歌手として昭和30年から3年間で20枚以上のシングル・レコードを発売しているらしい。そして、コロムビア最後の録音がこの『あいつ』だが、実は『想い出』という曲のB面としての録音だったそうだ。
そんな、最初はおとなしめに世に出てきた『あいつ』だが、実に多くの人がカヴァーしている。平岡のセルフ・カヴァーは前述した通り、他の男性陣では三島敏夫、フランク永井、水原弘、石原裕次郎、布施明など、女性陣も越路吹雪、松尾和子、ちあきなおみなどの、まさに錚々たる実力者揃いのメンバーである。
"うん、自分でも歌ってみたい"と私も秘かに思うのだが、この曲はかなりハードルが高そうである。ジャジーな旋律というのは、まず音程をしっかりと把握すること、これが大変難しい。
かつて?の鈴鹿ひろ美と同様、"移ろいやすい音程"を持つ私にとっては、膨大な量の"歌い込み"が不可欠のようだ。
-…つづく
第245回:流行り歌に寄せて
No.55 「星はなんでも知っている」~昭和33年(1958年)
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