第201回:流行り歌に寄せてNo.13 「星影の小径」~昭和24年(1949年)
"クルーナー唱法"という言葉があることを、最近知った。これは、英語の"crooner"から来ていて、意味は「おさえた低い声でささやくように情感をこめて歌う流行歌手」であり、ビング・クロスビーがその代表で、初期のフランク・シナトラもそう呼ばれていたらしい。
以前、このコラムにも登場した『星の流れに』の作曲者、利根一郎は、日本の流行歌を、このクルーナー唱法を使って歌ってもらおうと、ひとつの曲を書いた。それは、フランスのシャンソンに通じるような、とてもモダンなメロディーになった。
『星影の小径』 矢野 亮:作詞 利根 一郎:作曲 小畑 実:歌
1.
静かに 静かに 手をとり 手をとり
あなたの囁きは アカシヤの香りよ
アイ・ラブ・ユー アイ・ラブ・ユー いつまでも いつまでも
夢うつつ さまよいましょう 星影の小径よ
2.
静かに 静かに じっとして じっとして
私は散ってゆく アカシヤの花なの
アイ・ラブ・ユー アイ・ラブ・ユー いつまでも いつまでも
抱かれて たたずみましょう 星影の小径よ
アイラブユー アイラブユー いつまでも いつまでも
抱かれて たたずみましょう 星影の小径よ
作詞の矢野亮、「アイ・ラブ・ユー」という、当時としてはかなり斬新なフレーズを織り交ぜた、甘味で官能的な言葉で詞を紡いでゆく。そして、利根一郎に歌い手として指名された、小畑実の情感を込めたまさにクルーナー唱法が、この曲をうっとりと聴かせる名曲に仕上げている。
その小畑実、平壌の出身で、本名は康永桒疂カン・ヨンチョル)という。14歳の時に同じ平壌出身のテノール歌手、永田絃次郎に憧れて日本に渡ってきた。そして、日本音楽学校に入学して声楽を学んだ。
面倒を見てもらった秋田県大館市出身の小畑イクという、いわば恩人に因んで「秋田県出身の小畑実」と公称していたらしい。当時は出自を明らかにすることが甚だ困難な時代だった。
デビューは戦前だが、本格的な活躍を見せたのが戦後になってから、『長崎のザボン売り』『薔薇を召しませ』『アメリカ帰りの白い船』などの、私なども何回も聴いたことのあるヒット曲を歌っている。
この曲の後も『高原の駅よさようなら』他のヒットを飛ばしていたが、昭和32年(1957年)に一旦は引退し、実業界に移っていた。
しかし、昭和44年(1969年)頃の懐メロブームに乗って復帰し、その後は故国韓国でも本名で活躍するなど、昭和54年(1977年)に急性心不全で急死するまで、精力的に芸能活動を続けた。
その後、何人か実力のある歌謡曲歌手が出てくる在日朝鮮人・韓国人歌手の、先駆的な存在であったと言えるのではないか。
さて、原曲が男性歌手だったのに拘わらず、カヴァーしているのが皆女性歌手であることも、この歌の特徴であろう。資料を見ると、アイウエオ順にアン・サリー、辛島美登里、香西かおり、庄野真代、ちあきなおみ、根津歩、広瀬香美、美空ひばり、森昌子となる。
ちあきなおみは、このコラムに何回も出てくる昭和歌謡を集めた名盤『港の見える丘』(後にアルバムタイトルを『星影の小径』に変更)で、最初の曲として収録している。今や、ちあき盤も定番中の定番といえる。
アン・サリーのアンニュイな歌い方には、この曲がよく似合っている。歌の持つ"味"というものを、理解するのが上手な歌手のようだ。
今まで名前を知らず、今回初めて聴いてみたが、根津歩という若い歌手の歌唱もなかなか良い。横文字的な発音が少し気になるが、雰囲気だけに流されずに、歌を自分のものにしていると思う。
個人的な思いで言えば、私はこの曲を、いわゆるクルーナー唱法では小畑実の大先輩である霧島昇の歌唱で、ぜひ一度聴いてみたい。あの『胸の振子』のような雰囲気で歌ってくれれば、本家の小畑実もうかうかしていられないような名唱になるに違いないと、私は勝手に、楽しく想像している。
-…つづく
第202回:流行り歌に寄せてNo.14「午前二時のブルース」~昭和24年(1949年)
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