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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第238回:流行り歌に寄せて No.48 「チャンチキおけさ」~昭和32年(1957年)

更新日2013/07/11

戦後、日本が国際的な国になるために、その開催が大きな意味を持った昭和39年の東京オリンピックと、昭和45年の大阪万国博覧会。

この二大イベントのオフィシャル・テーマソング『東京五輪音頭』と『世界の国から今日は』は、それぞれ多くの歌手たちの競作だった。その双方を歌い、最もヒットしたのが三波春夫である。というよりもこの二曲、私たちリアルタイムで聴いた人間にとっても、三波春夫以外の歌手はイメージできないのである。

昭和14年、16歳の時に、浪曲師としてデビューした。芸名は南條文若(なんじょうふみわか)。本名は北詰文司(きたづめぶんじ)というそうで、なぜか方向が逆転しているのが面白い。

昭和19年、21歳の時には陸軍に召集され、旧満州国に渡り、翌年終戦の直前に中立条約を破棄して侵攻してきたソ連軍に捉えられ、捕虜となってしまう。それから4年間、過酷なシベリアでの抑留生活を余儀なくされるのである。

昭和24年9月、ようやく解放され日本に帰国し、すぐに浪曲界に復帰した。しかし大衆が歌謡曲を求める時代になっており、浪花節はその流れからは、徐々に置き去りにされていくものに変わっていたのだ。

逡巡をくり返しながらも、ついに彼は浪曲師としての道を断念し、三波春夫の芸名で、歌謡曲歌手として再スタートを計る。

昭和32年4月、三波自身が作った『メノコ船頭さん』を彼の最初の歌謡曲として世に出したが、残念ながらあまりパッとしなかった。

そのすぐ後に、素人作詞家の投稿作品に曲を付けた『チャンチキおけさ』を出したところ、これが20万枚を超える大ヒットとなり、同じ作詞家によるB面の『船方さんよ』もヒット曲になった。

「チャンチキおけさ」 門井八郎:作詞 長津義司:作曲 三波春夫:歌 
1.
月がわびしい 路地裏の  

屋台の酒の ほろ苦さ  

知らぬ同士が 小皿叩いて チャンチキおけさ  

おけさ切なや やるせなや

2.
一人残した あのむすめ 

達者でいてか お袋は 

すまぬすまぬと 詫びて今夜も チャンチキおけさ 

おけさおけさで 身をせめる

3.
故郷(くに)を出る時 持って来た

大きな夢を さかずきに

そっと浮べて もらすため息 チャンチキおけさ

おけさ涙で くもる月


「素人作詞家」と書いたのは、門井八郎(大正2年-平成5年)という作詞家。彼は逓信省東京逓信局の経理マンとして勤務する傍ら、詩作に励んだり、佐藤惣之助、長谷川伸の門下生となり、小説を学んだりしていた。

三波の歌謡曲歌手としての初の大ヒットは、即ち作詞家としての門井にとっても同じことだった。彼はその後、アイ・ジョージの『赤いグラス』のほか、田端義夫や石原裕次郎などの歌手の詞を手がけている。

一方の作曲家、長津義司(明治37年-昭和61年)は戦前からのベテラン作曲家。昭和10年初頭から、エノケン、田端義夫、淡谷のり子などに曲を提供している。

三波との出会いの後は、もっぱら彼の曲を作り続けている。ことに三波の作詞(ペンネームは北村桃児)、長津の作曲による『長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄葉蕃』は圧巻とも言える大作である。

この『チャンチキおけさ』も、『佐渡おけさ』をベースにした軽妙な節回しが、かえってしみじみとした思いを抱かせる秀作だと思う。『佐渡おけさ』を使ったのは、三波が新潟県出身だと言うこととも関連があるのかも知れない。

詞の方もしみじみしている。この曲の発売当時は"鍋底不況"と言うことで、日本全国景気の悪さに辟易としていたようである。望郷の念を持ちつつも帰るに帰れず、都会の片隅の居酒屋で安酒を呷る。

私は、殊に「知らぬ同士が 小皿叩いて チャンチキおけさ」のフレーズが好きである。お通しか何かで出てきて空になった小皿を、割り箸で小さく叩くときの「チン、チン、チン」という侘びしげな音が聞こえてくるような気がする。

「チャンチキ」とは摺鉦のことで、真鍮でできている小さな鉦。これを撞木という棒で叩くと、まさに小皿を割り箸で叩くのと同じような音がする。

そんなことを書いているうちに、子どもの頃、ご飯茶碗を箸で叩いて音を出していたら、母親にきつく叱られてしまったことを、何十年かぶりに思い出してしまった。

-…つづく

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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