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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第223回:流行り歌に寄せてNo.35 「月がとっても青いから」~昭和30年(1955年)

更新日2012/11/29

NHKに『思い出のメロディー』という番組がある。1969年(昭和44年)から始まった番組で、毎年8月に放送され、今年で第44回目を迎えた、まさに長寿番組である。

何回も書いていることだが、私の両親も大変歌好きだったため、おそらく第1回目からこの番組を見ていて、私も親と同居していた頃、つまり番組が始まった当初の第6回目くらいまでは、一緒になって見ることが多かった。

その頃のこの番組では、霧島昇、藤山一郎、灰田勝彦、淡谷のり子、平野愛子、二葉あき子(現在は、すべて故人)など、このコラムに何回も登場してくるような当時でもベテラン歌手と、北島三郎、森進一、五木ひろし、都はるみ、由紀さおり、いしだあゆみなどの、当時の売れっ子歌手が競演していた。

その中で、私が一番印象に残っているのが、菅原都々子の『月がとっても青いから』である。資料を調べると第5回からの出場とあるから、私が高校3年生の時分、1973年(昭和48年)のことである。

誠に失礼ながら、やたらと濃い化粧をしたおばさんが、やたらと高い声を張り上げて歌っている。「昔の人の古い歌だなあ」という印象であった。

ところが、当時まだ彼女は45歳、歌っている曲も18年前のものであった。今に置き換えれば、小泉今日子(46歳)や森高千里(43歳)、工藤静香(42歳)あたりが、1994年(平成6年)に歌った曲を聴いているということになる。

今の高校3年生にとって、彼女たちは少なくても「おばさん」に映るかも知れないが、彼女たちの当時の曲を「昔の人の古い歌」とは思わないのではないか。1955年から1973年と、1994年から2012年とでは、音楽界の発展のスピードが大きく違う気がする。

「月がとっても青いから」 清水みのる:作詞 陸奥明:作曲 菅原都々子:歌 
1.
月がとっても青いから 遠まわりして帰ろう

あの鈴懸の 並木路は
 
想い出の小径よ 腕をやさしく組み合って

二人っきりで サ帰ろう

2.
月の雫(しずく)に濡れながら 遠まわりして帰ろう

ふと行きずりに 知り合った
 
想い出のこの径 夢をいとしく抱きしめて

二人っきりで サ帰ろう

3.
月もあんなにうるむから 遠まわりして帰ろう

もう今日かぎり 逢えぬとも

想い出は捨てずに 君と誓った並木みち

二人っきりで サ帰ろう


作曲家の陸奥明(むつあきら)は、菅原都々子の実父であり、本名を菅原陸奥人(むつと)と言う。

『江ノ島悲歌(エレジー)』『アリラン/トラジ』『佐渡島悲歌(エレジー)』などを歌い、"悲歌(エレジー)の女王"と異名をとっていた都々子だが、エレジーものに翳りが差し始めた頃、父が彼女のイメージ・チェンジをはかるために書かれたのが、この『月がとっても青いから』であった。

それが、当時の市場の規模の狭さでは考えられないほどの100万枚を突破する大ヒット曲となり、同じ年の年末では同タイトルの日活映画も封切られた。父が作曲し、娘が歌った曲の中では、おそらくこれを超えるものはないだろう。

浅草のオペラ歌手でありながら、新聞記者をしていたこともあり、作曲家としても名を馳せた陸奥明の生涯は大変興味深いものがあるので、別の機会にじっくり調べてみたい気がする。

さて、当の菅原都々子も色々と面白い足跡を残してている。

1927年(昭和2年)8月15日に青森県三本木町で生まれる。9歳の時にオーディションのために単身上京。古賀政男に気に入られ、古賀久子の名をもらって養子となり、その養父の作曲した『お父さんの歌時計』で歌手デビューを果たす。

12歳の時には養子縁組を解かれ、今度は上京してきた実父の元で「菅原都々子」で再デビューすることになる。終戦を迎えたのが、ちょうど18歳の誕生日であった。

彼女を語るときにどうしても外せない事項は、栄えある第1回NHK紅白歌合戦(1951年=昭和26年1月3日放送、都々子23歳)で紅組先行のトップバッターとして歌を披露したこと。

その歌のタイトルは『憧れの住む町』。今年で63回目を迎える紅白歌合戦の、最初に歌われた記念すべき曲となった。さらに特筆しなくてはならないのは、昨年8月に二葉あき子が亡くなったため、現在存命する唯一人の第1回NHK紅白歌合戦出場歌手になったことだ。

85歳になった彼女は、現在、『特定非営利活動法人 名曲慰問団』の名誉顧問であり、老人福祉施設を訪ね歩き、ボランティアとして、自らがマイクを握り熱唱し続けている。

そのお姿をYou Tubeで拝見したが、驚くほど若々しく美しかった。40年近く前に「昔の古い歌を歌うおばさん」という印象を持ってしまったことを今さらながら悔い改め、その言葉を撤回させていただきたいと、心から思っている。

-…つづく

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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