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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第215回:流行り歌に寄せてNo.27 「街のサンドイッチマン」~昭和28年(1953年)

更新日2012/07/26

もう40年も前、私が街の遊びを覚えたてで、新宿の歌舞伎町あたりを夢中になって歩き回っていた頃、サンドウィッチマン(あるいはサンドイッチマン、歌の方はそう表記されているが、この項はこれで統一する)をよく見かけた。

彼らは一様に無表情で、大きな2枚の看板に挟まれて息苦しそうに立っていた。看板に描かれていた広告はパチンコ屋さんかゲームセンター、あるいは、キャバレー・ピンサロなどの風俗店のものが多かった。

時々、「お兄さん、この店どっちにあるの?」などと通行客などに問いかけられても、表情を変えることなく無愛想な小声で答えるか、指か首だけで方向を示すだけの人がほとんどだった記憶がある。

「街のサンドイッチマン」宮川哲夫:作詞 吉田正:作曲 鶴田浩二:歌
1.
ロイド眼鏡に 燕尾服(えんびふく) 泣いたら燕が 笑うだろ
  
涙出た時ゃ 空を見る サンドイッチマン サンドイッチマン
  
俺らは街の お道化者(どけもの) とぼけ笑顔で 今日も行く

2. 
嘆きは誰でも 知っている この世は悲哀の 海だもの
  
泣いちゃいけない 男だよ サンドイッチマン サンドイッチマン   

俺(おい)らは街の お道化者 今日もプラカード 抱いてゆく

3.
あかるい舗道に 肩を振り 笑ってゆこうよ 影法師
  
夢をなくすりゃ それまでよ サンドイッチマン サンドイッチマン   

俺らは街の お道化者 胸にそよ風 抱いてゆく


だから、私の見ていたサンドウィッチマンと、この歌とではだいぶ印象が違うのである。歌が歌われたのは約60年前のことだから、20年という時の隔たりによる違いなのだろうか。あの頃私の見ていた彼らには、自分が「お道化者」であろうとする意識がまったくないように感じられた。

歌に登場する彼には、「おどけなきゃやってられないよ」という思いが強くあるような気がするが、それは大きく言えば、人間の矜恃の問題なのかも知れない。

「悲哀の海」であるこの世の中で、サンドウィッチマンに身を窶(やつ)してはいても、せめて道行く人にとぼけ笑顔を振りまくことで、夢を捨てることなく、何とか矜恃を保っている。

派手な看板に挟まれながら、ただ無表情で数時間も立ち尽くしている方が、おどけることよりもはるかに辛く、哀しいことのように思える。それができてしまうのは、深い絶望感からか。

「うるさい、放っておいてくれ」。40年前の彼らから、そんな声が聞こえてきそうである。

ところで、この歌には実在のモデルがいたことはかなり有名な話である。当時、銀座界隈でサンドウィッチマンという職業の割には人品賤しからぬ風貌の紳士がいるという評判が立ち、特ダネの嗅覚を感じた新聞記者が調べたらしい。

そして、それが海軍連合艦隊司令長官をかつて務めた高橋三吉海軍大将の子息、高橋健二であることが判り、広く世間に報道されたのである。

健二は敗戦後勤務先である北海道汽船を解雇された。今まで親の威光によって得ていた多くのものを、父親が戦犯容疑をかけられたことですべてを失う。必死に頭を下げて求職活動を行なうも、雇ってくれる場所はない。

自殺を考え、ビルの屋上から下を見下ろしながら、自分に1週間だけの猶予を与え、この期間に何も探すことができなければ、ここから飛び降りて死のう、と決意する。幸いなことに、ギリギリ6日目にして、サンドウィッチマンという職業を思いついたらしい。そして、彼は2枚の看板に身を挟んで街を歩くことになった。

≪昭和24年の元旦、毎日新聞に掲載された『親子対談』という企画で、「親は獄中、息子は世の荒波で達観」と題した、巣鴨プリズムから出所してきたばかりの高橋三吉元海軍大将と息子健二との対談記事を、写真家の神立尚紀氏がご自身のブログで紹介されている。大変に興味深い内容なので、関心のある方は、ぜひ≫

以上のエピソードに喚起されて、宮川哲夫が詞を書く。そして吉田正が曲をつけ、その吉田と親交の深かった鶴田浩二の、最初の大ヒット曲になった。

身内話で恐縮だが、私の店の開店以来、大変にお世話になっている居酒屋さんがお隣にある。ここは自由が丘ではたいへん有名な老舗で評判の店だが、ここのオーナーの十八番(おはこ)が『街のサンドイッチマン』である。

カラオケでご一緒してリクエストすると、喜んでこの歌を披露してくださる。最近かなり歌唱の腕も上げてきたようだ。私は、「夢をなくすりゃ それまでよ」の部分の彼の歌い方が、好きだ。本当にそうだなあ、と思わせる説得力がある。

-…つづく

 

 

第216回:流行り歌に寄せてNo.28 「想い出のワルツ」~昭和28年(1953年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice


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