第235回:流行り歌に寄せて
No.45 「13,800円」~昭和32年(1957年)
ムード歌謡の帝王として、長い間君臨することになるフランク永井の、最初のヒット曲が意外にもこの曲なのである。
フランク永井は、小さい頃から歌手に憧れ、10代の最後の時期に宮城県の松山町から、東京で仕事をしていた兄を頼って上京してきた。進駐軍のキャンプ地でのトレーラー運転手などのアルバイトを経て、アメリカ軍のクラブ歌手になる。
ジャズなどを歌って稼いでいたが、その時の契約金が月100ドルだったそうで、日本円にすると36,000円。この歌のタイトル『13,800円』は昭和31年当時の大卒の男子の平均初任給ということだから、同じくらいの年で、彼らの3倍近くは稼いでいたことになる。
昭和30年、日本テレビの「素人のど自慢」で優秀な成績を収めたのをきっかけに、同年9月ジャズのスタンダード『恋人よ我に帰れ』でビクターからのデビューを果たし、幼少時からの夢を実現した。
しかし、ジャズナンバーがなかなか売れず、周囲の勧めで歌謡曲歌手になっていくのだが、有楽町そごうのキャンペーンソング『有楽町で会いましょう』などの大ヒットを飛ばす、その直前の時期の曲が、この『13,800円』なのである。
「13,800円」 井田誠一:作詞 利根一郎:作曲 フランク永井:歌
1.
もっこかつげや つるっぱしふるえ
歌え陽気に 炭坑節
黒いダイヤに 惚れたのさ
楽じゃないけど 13,800円
たまにゃ一杯
たまにゃ一杯 呑めるじゃないか
2.
からのトラック 思いきりとばしゃ
ビルの谷間に 灯がともる
今日もとにかく 無事だった
嫁を貰おか 13,800円
ぜいたく云わなきゃ
ぜいたく云わなきゃ 食えるじゃないか
3.
明日は日曜 お弁当持って
坊や行こうぜ 動物園
ママもお猿を 見たいとさ
一家だんらん 13,800円
笑って暮らせば
笑って暮らせば 何とかなるさ
4.
クイズ解こうか ラジオを聞こか
親子三人 手をつなぎゃ
夢も結構 わいてくる
これが浮き世さ 13,800円
泣きごと言うのは
泣きごと言うのは 止そうじゃないか
このコラムで3回前にご紹介した『若いお巡りさん』及び『若い職長さん』と同じ、井田誠一、利根一郎コンビによる作品である。若い市井の職業人の日常を書かせたならば、井田誠一の右に出る作詞家はいないかも知れない。
ただし、この『13,800円』は、何だか不思議な曲である。まず、大卒男子の初任給である金額がタイトルの割には、1番は「畚(もっこ)担いだり、鶴嘴振るったり」する炭坑夫を歌っている。もちろん、大卒の炭坑夫がいないわけではないが、少しだけ首をひねってしまう。
2番は、どうやら街中を走る配送会社の運転手のようだ。そうか、そろそろ嫁でももらい、つましく生活していきたいと考えているのかなと思ったら、3番では嫁どころか、男の子供もいて動物園に行こうかなどと歌い出す。
それならば、これはそれぞれ別の人の生活を歌ったものと解釈した方が良いかと考えていると、今度は3番と4番はどうやら同じ一家を歌っているようなのである。う~ん、よくわからない。
よくわからないけれど、そんな曲を「○○節」「△△音頭」のような、実に気楽な乗りでフランク永井が歌っているのがとてもよいのである。思わず、手拍子をしながら一緒に歌い、踊り出したくなるような曲なのである。
蛇足ながら、大卒男子の平均初任給(100円未満切り捨て)は、昭和30年 12,900円、昭和40年 24,100円、昭和50年
91,200円、昭和60年 144,500円、平成7年 194,200円、平成17年 196,700円と、10年毎に見てきて、直近の平成23年は205,000円。
昭和の時代は、ぐんぐんと鰻上りに上がっていた給料が、昭和、平成の推移期にあったバブルの時代を過ぎた後は、ずっと横這い状態。平成7年から17年の10年間では、わずか2,500円、直近の値でも同じ比較で1万円しか上がっていないのは、やはりかなり厳しい状態と言えるだろう。
店を経営していて、経済の立て直しはやはり必要なことだと、肌身で感じている。ただし、"アベノミクス"などという、なんの根拠も持たないあさはかな紛い物に、期待する思いはさらさらないけれども…。
-…つづく
第236回:流行り歌に寄せて
No.46 「逢いたいなァあの人に」~昭和32年(1957年)
|