第299回:流行り歌に寄せて No.104 「明日があるさ」~昭和39年(1964年)
作詞の青島幸男は10年前、作曲の中村八大は24年前、そして歌を歌った坂本九は31年前に他界し、すでにこの曲を作った3人はみな故人となった。それもかなり以前に。このコーナーを書き続けていつも感じることは、時の流れの圧倒的な速さである。しかし、この曲が作られた当時は青島31歳、中村32歳、坂本が22歳。文字通り、洋々とした明日を持った若者たちであった。
『上を向いて歩こう』の歴史的な大ヒットを放った、作詞が永六輔である有名な「六八九トリオ」。「六八コンビ」としても『黒い花びら』『遠くへ行きたい』『こんにちは赤ちゃん』など、このコーナーでもすでにご紹介した名曲を続々生んでいるが、青島幸男の作詞と組まれることは、実は珍しいことらしい。
青島と言えば、『スーダラ節』を始め、『無責任一代男』『ハイそれまでョ』『だまって俺について来い』など、植木等やハナ肇とクレージーキャッツの曲の詞を手掛け、何となく皮肉が効いて、しかもいたって痛快な作品が多い。
この異なる個性がぶつかり合ってできた曲で、心に深く思う人がいながら自分の気持ちを表現することができずにイジイジと日々を送り、それでも明日に希望を繋ごうとする、健気ではあるが情けない男子生徒の心情を上手に描いている。
「そのうち何とかなるさ」という青島流の楽天主義が、中村の軽快なメロディーを得て、坂本のメリハリのある歌声で表現される。冒頭からずっと全編を通して奏でられるれるウッド・ベースの、生楽器のやわらかさを生かしたリズムの刻みが心地よい。
「明日があるさ」 青島幸男:作詞 中村八大:作曲 坂本九:歌
1.
いつもの駅でいつも逢う セーラー服のお下げ髪
もうくる頃 もうくる頃 今日も待ちぼうけ
明日がある 明日がある 明日があるさ
2.
ぬれてるあの娘コウモリへ さそってあげよと待っている
声かけよう 声かけよう だまって見てる僕
明日がある 明日がある 明日があるさ
3.
今日こそはと待ちうけて うしろ姿をつけて行く
あの角まで あの角まで 今日はもうヤメタ
明日がある 明日がある 明日があるさ
4.
思いきってダイヤルを ふるえる指で回したよ
ベルがなるよ ベルがなるよ(トゥルルルルッ) 出るまで待てぬ僕
明日がある 明日がある 明日があるさ
5.
はじめて行った喫茶店 たった一言好きですと
ここまで出て ここまで出て とうとう云えぬ僕
明日がある 明日がある 明日があるさ
6.
明日があるさ明日がある 若い僕には夢がある
いつかきっと いつかきっと わかってくれるだろ
明日がある 明日がある 明日があるさ
実はこの曲は昭和38年12月1日にリリースされたものであるが、昭和39年2月3日から日本テレビで始まった音楽バラエティ番組『明日があるさ』のテーマ曲として使われたため「昭和39年の楽曲」としているケースもある。今回はそれに倣って掲載し、本来の発売日順から外れてしまったことをお赦しいただきたい。
そのテレビ番組『明日があるさ』は日本テレビの名プロデューサー・ディレクター秋元近史の演出によるものである。彼は草笛光子の『光子の窓』のフロアディレクターを担当した後、あの大ヒット番組『シャボン玉ホリデー』の演出を手掛けている。
『明日があるさ』は日本楽器(現ヤマハ)の一社提供番組で、坂本九がホストを務め、全体をミュージカル仕立てにした番組で、九重佑三子、大貫あけみ、ジャニーズ、クール・キャッツ、園まり、そして青島幸男が出演していた。
さて、曲の方は馴染みやすく誰にでも親しまれるため、多くの人々にカヴァーされている。中でも平成13年(2001年)のウルフルズ版と、花紀京、ダウンタウンら吉本興業の面々によるユニットRe:Japan版のものが有名である。
双方とも日本コカ・コーラの缶コーヒー『ジョージア』のCMソングに使われたもので、『ジョージアで行きましょう』。コピー及び制作は福里真一によるもの。このCMと同テーマで、ほぼ同じ役者を使った同タイトルの日本テレビのドラマができたり、ウルフルズとRe:Japanがユニットを組み、同年のNHK紅白歌合戦に出場したりと、とにかくこの年には驚くほどのリヴァイバル・ヒットとなった。
ウルフルズ版は福里真一が替え歌を作っており、Re:Japan版では青島が新たに歌詞を加筆している。またこの年、青島自身もセルフ・カヴァーし、『明日があるさ-青島幸男作品集-』に収録している。他にも彼の個性が発揮された作品が並んでいるとのことで、個人的にはこれは是非聴いてみたい。
冒頭に坂本九の死から31年と書いたが、昨年8月12日で御巣鷹山での日航ジャンボ機墜落事故からまる30年を経過した。昭和60年のこの日、坂本は渋谷にあるNHK505スタジオでNHK-FMの番組『秋一番 坂本九』の番組収録の公開録音を行なっていた。
彼は『すてきなタイミング』『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』などを、スタジオに集まったファンの前で熱唱した。この仕事の後、彼は羽田空港に移動し、羽田発18:00のJAL123便に搭乗した。
収録された番組は9月になって放送され多くの人の心を打ったが、実は放送でオンエアされていない、スタジオでのアンコール曲、つまり最後に彼が歌った曲が『明日があるさ』であったという。
-…つづく
第300回:流行り歌に寄せて No.105「恋の山手線」~昭和39年(1964年)
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