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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

第265回:流行り歌に寄せて No.75 「おひまなら来てね」~昭和36年(1961年)

更新日2014/09/11

五月みどりと言えば、アンチ・エイジングの旗手のような人で、来月には75歳を迎えるというのに、いわゆる美しさを保ち続けている。また、恋多き女という印象も強く、三度結婚離婚をくり返し、その度にテレビのワイドショーに大きく取り上げられて、巷を賑わせてくれている。

もちろんご本人が好きでくり返しているわけではないだろうし、本人には叱られそうだが、この人には何か世間を何度も騒がせる素質のようなものが備わっている気さえしてくるのだ。ブラウン管の前で大泣きして見せても、少し時が過ぎればケロッとして笑顔で再び登場してくるような、そんな底抜けの明るさを持った人だと思う。

私は彼女の歌はほとんど知らないと思っていたが、今回このコラムを書くに当たり追ってみると、取り上げた曲の他には『一週間に十日来い』『コロッケの唄』『熱海で逢ってね』など、彼女の歌とは取り立てて認識しなかったけれど、耳慣れた曲がいくつかあった。

「おひまなら来てね」 枯野迅一郎:作詞 遠藤実:作曲 五月みどり:歌  
1.
おひまなら来てよネ 私淋しいの

知らない 意地悪

本当に一人よ 一人で待ってんの

酒場の花でも 浮気なんかいやよ

来てね来てね 本当に来てよネ

2.
おひまなら来てよネ 私せつないの

知らない 意地悪

女は惚れたら 何にもいらないの

私の負けなの みんなあんたに上げる

来てね来てね 本当に来てよネ

3.
おひまなら来てよネ 私淋しいの

知らない 意地悪

電話じゃ言えない 大事な話なの

死ぬほど好きなの これが本当の恋よ

来てね来てね 本当に来てよネ


昭和14年に東京都江戸川区平井の精肉店を営む両親の下、8人の兄弟姉妹の一番上として五月みどり(出生名:大野ふさ子)は生まれた。実弟にプロボウラー西城正明、実妹に女優の小松みどりがいる。

昭和31年、16歳の時に出場したニッポン放送『ものまねのどじまん』で見事に優勝し、その年の5月に五月みどりの芸名で初ステージを経験している。翌々昭和33年11月、コロムビアレコードから『お座敷ロック』でデビュー、さらに3年後の昭和36年5月に、この『おひまなら来てね』が大ヒットとなった。

この曲は、当初、神戸一郎の『瀬戸の恋人』のB面としてレコーディングされたのだが、それまでの歌手になかったコケティッシュな容貌と、いわゆるちりめんビブラートを効かせた甘く色気のある声質が、男性ファンを虜にしたのだと思う。

彼女は昭和31年に芸能人としてデビューしてから、ヒット曲が出るまでに5年はかかっているのだから、それ程順風を受けていたわけではなさそうだ。16歳から21歳の女の子として、最も楽しいはずの時期に営業を続けたのだろう。しかも、その間、彼女は都立深川高校に通いしっかり卒業している。

芸名をつけたのが昭和31年5月だから、「五月」だったのだろうか。5年後、昭和36年のやはり5月に大ヒット曲を出しているのだから、この人にとって「5」はラッキーナンバーと言えるかも知れない。

さて、作曲の遠藤実については、この後も何回か登場する大作曲家だから機会を見て書かせていただくが、今回は作詞家の枯野迅一郎について少し触れたいと思う。

枯野は本名を渡部龍夫と言い、長崎県の人である。時代は遡って、昭和9年に開催された「長崎国際産業観光博覧会」の、今で言うイメージソングを公募し採用されたのが、渡部龍夫作詞の『長崎博覧会の歌』であった。

彼はその頃、長崎市内の歯科医院に住み込み、歯科技工士として生計を立てていた。翌昭和10年、前述の博覧会の歌の実績を買われ、レコード会社から長崎に関する歌の作詞の依頼がくる。

彼は長崎港のいくつかの箇所を具に取材し、詞を作ったのが『長崎行進曲』。作曲が大村能章、歌が東海林太郎という、当時の第一人者との仕事となった。そして、この曲はその後数多く生まれる長崎を題材にした歌の中の「歌謡曲第1号」という記念すべき一曲ともなった。

それを機に、彼は筆名を枯野迅一郎として長崎を離れ上京する。しかし、その間大きな戦争を挟み、次のヒット曲である『おひまなら来てよね』まで26年間がかかった。それまでどのようにして生計を立てていたのか、気になるところである。

枯野は、五月の他に美空ひばりの『坊やの終列車』など、何人かの歌手に歌詞を提供しているが、その後の消息については今回調べられなかったのが残念に思う。

-…つづく

 

 

第266回:流行り歌に寄せて No.76 「銀座の恋の物語」~昭和36年(1961年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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