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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

第262回:流行り歌に寄せて No.72 「有難や節」~昭和35年(1960年)

更新日2014/07/24

第253回での水原弘第257回での井上ひろしに続く、最後の「三人ひろし」の一人、守屋浩のご紹介である。

「チイタカタッタ チイタカタッタ 笛の音が」の『夜空の笛』や、「僕の恋人 東京へ行っちっち」の『僕は泣いちっち』といったリズミカルな言葉遊びの達人、浜口庫之助という師を得て、大ヒット曲を歌い、堀プロダクション(現在のホリプロ)の最初のスターとなったのが守屋浩だった。(浜口庫之助については、第109回『ビバ、ハマクラ先生!』をご参照いただければ)

前出の二人の「ひろし」が情感あふれる曲で人気を博したのとは少し異なり、どちらかと言えばとっぽく軽い感じの歌い手として、守屋は歌謡界に登場した。いわゆる「C調」という言葉が、とても似合う人である。

ところで、私はこの曲には忘れがたい思い出がある。昭和37年、私が小学1年生の秋のことだ思うが、父の会社の慰安会が長野県諏訪市の「北澤会館」というホールで催された。

これは父の務めていた電力会社の諏訪地区の社員、家族が、年に一度大きな舞台のある会館に集まり、社員が歌や踊り、楽器演奏などの芸を披露し、それを観ながら酒を飲んだり、弁当をつついたりするという、いわば娯楽の少ない時代の、お楽しみイベントだったように記憶している。

私も母と幼い妹と共に、バスでその会館に向かったのだが、その道中の車窓から、意外なものを目撃してしまった。警察署の閉ざされた鉄門の向こうで、風体怪しき男がそこから脱出しようともがいているのである(ように私には見えた)。

母と妹に確認したが、そんな男は見なかったと言う。私は不安で恐ろしい思いを抱きながら会館に向かった。会場に着き、しばらくジュースなどを頂きながら舞台を観ていると、間もなく父の出番になった。

当時32歳の父は、職場の同僚とともに浴衣姿で登場、『有難や節』に合わせて盆踊りを踊り出したのである。私は「父ちゃん、呑気に『ありがたや、ありがたや』なんて踊ってる場合じゃないよ。恐いおじさんが、お巡りさんの所から逃げだそうとしてるよ!」と叫びたい思いだった。

結局、私が見たのはそんな危険な状態の光景ではなかったらしい。その後、警察からの脱走者が出たというニュースは全くなかったという。けれども、私は半世紀以上経った今でもこの『有難や節』を聞くと、何だかあの日のとても不安な思いと、父の呑気に踊る姿が蘇ってくるのだ。

「有難や節」 浜口庫之助:作詞 森一也:作曲 守屋浩:歌  
1.
有難や有難や 有難や有難や

金がなければ くよくよします

女に振られりゃ 泣きまする

腹がへったら おまんまたべて

寿命尽きれば あの世行き

有難や有難や 有難や有難や


恋というから 行きたくなって

愛というから 会いたがる

こんな道理は 誰でもわかる

それを止めたきゃ 字を変えろ

有難や有難や 有難や有難や

2.
有難や有難や 有難や有難や

デモはデモでも あの娘のデモは

いつもはがいい じれったい

早く一緒に なろうと言えば

デモデモデモと 言うばかり

有難や有難や 有難や有難や


近頃地球も 人数がふえて

右も左も 満員だ

だけど行くとこ 沢山ござる

空にゃ天国 地にゃ地獄

有難や有難や 有難や有難や

3.
有難や有難や 有難や有難や

酒を呑んだら 極楽行きと

思うつもりで 地獄行き

どこでどうやら 道まちがえて

どなる女房の 閻魔顔

有難や有難や 有難や有難や


親の教えは 尊いものよ

俺もそろそろ 見習おか

おやじゃええとこで 酒呑んでござる

勉強ばかりじゃ 親不孝 有難や有難や 有難や有難や


さすが、ハマクラ先生。破天荒な詞を書かれるものである。まさにC調の調子に乗りきった言葉が続くが、その裏には、何かうら悲しい響きも籠もっている、そんな詞である。

作曲は森一也とあるが、厳密には「採譜」ということらしい。採譜とは、民謡など古くから口承で歌い継がれてきた歌を楽譜に書き取ることを言う。この『有難や節』は、元々名古屋近辺で歌い継がれていた俗曲の一つということである。

森一也は愛知県の出身、幼い頃からこのメロディーを耳にしていたのかもしれない。彼は西条八十に憧れて音楽の道に進み、作編曲、音楽の舞台の現場、音楽の教師など、生涯を通してその世界に生きた人である。また、その音楽解説の秀逸さは高く評価されている。

さらに、歌謡曲に精通し、西条八十、古賀政男、藤山一郎などの作詞作曲家、歌手についても造詣が深く、彼らの研究者としても第一人者であるという。著作も多数あり、今度私も大きな図書館でぜひ閲覧させていただきたいと思っている。

さて、今回You Tubeで、昭和36年の西河克己監督の日活映画『有難や節 あゝ有難や有難や』を観る機会を得た。私の父が呑気な顔をして踊っていたあの盆踊りを、その1年前、ラストの豊川稲荷の祭礼シーンで、守屋浩の歌に合わせて夥しい数の浴衣姿の踊り手が踊っていたのである。

何と16歳の吉永小百合も、照れくさそうに踊っていた。ハマクラ先生も登場し、どなたかによく似た風貌で、「有難や有難や」と手を合わせ、不思議な味を醸し出していた。

-…つづく

 

 

第263回:流行り歌に寄せて No.73 「硝子のジョニー」~昭和36年(1961年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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