第259回:流行り歌に寄せて No.69 「潮来笠」~昭和35年(1960年)
昨年の4月から放映されていた大人気番組、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』に出演して、古稀とは思えぬ姿を見せていた橋幸夫。彼が17歳になって間もなくの頃、昭和35年7月にビクターから発売されたデビュー曲である。
「御三家」と呼ばれた他の二人、舟木一夫が昭和38年6月、西郷輝彦が昭和39年2月のデビューだから、橋はそれよりかなり前に世に出ている。実年齢も橋は舟木より1歳、西郷よりは3歳年長である。
実は橋は、ビクターの前にコロムビアのオーディションで不合格になっているが、もしコロムビアからデビューしていたら、その時の芸名は「舟木和夫」になっていたという面白いエピソードもある(実際の舟木はコロムビアから「和夫」と提示されたが、本人の希望で「一夫」となったとのこと)。
「潮来笠」 佐伯孝夫:作詞 吉田正:作曲 橋幸夫:歌
1.
潮来の伊太郎 ちょっと見なれば
薄情そうな 渡り鳥
それでいいのさ あの移り気な
風が吹くまま 西東
なのにヨー なぜに眼に浮く潮来笠
2.
田笠の紅緒が ちらつくようじゃ
振り分け荷物 重かろに
わけはきくなと 笑ってみせる
粋な単衣の 腕まくり
なのにヨー 後ろ髪引く潮来笠
3.
旅空夜空で いまさら知った
女の胸の 底の底
ここは関宿 大利根川へ
人にかくして 流す花
だってヨー あの娘川下潮来笠
ところで、潮来の伊太郎というのは実在人物かと言うと、どうやらそうではないらしい。作詞家の佐伯孝夫の創作による架空の人物ということになるのだろうか。
潮来笠とは、潮来の農家の女性が被っていた田笠のことを言うらしい。歌の意味は、渡世人の伊太郎が、勝手気ままに旅を続けるように見えて、実は故郷潮来に残してきた女性のことが忘れられない。潮来笠の紅緒が目に浮かんだり、後ろ髪引かれる思いがしたり…。そして人目を忍んで関宿から利根川の川下にある故郷へ、そっと花を流す…。そう言ったところだろうか。
今回、具に歌詞の内容を追っていって、初めて恋心を歌った歌だということが分かった。今までボンヤリと聞いていたので、潮来笠とは伊太郎という渡世人が道中に被る編み笠(旅笠)のことだと思っていた。まだまだ誤解していることが多い。
また、いつもと同じようなことを何度も書くようで恐縮だが、このような内容の歌を、やっと17歳になったばかりの「男の子」が歌っていたのである。今との世代観の違いに驚いてしまう。
『潮来笠』によって橋は、その年昭和35年に新設されたレコード大賞新人賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも出場を果たす。華々しいデビューだった。そしてこの曲は、同年に出された『潮来花嫁さん』とともに、水郷潮来を一躍全国に知らしめる役割も果たしたのである。
さて、このデビュー曲以来、彼は『喧嘩富士』『木曽ぶし三度笠』『磯ぶし源太』『沓掛時次郎』『すっとび仁義』など、立て続けにいわゆる"股旅歌謡"でヒットを飛ばしている。時代がポップな曲を求めていて、ロカビリーや三人ひろしなどが流行っていた時代に、なぜ復古調とも言える"股旅歌謡"が受けたのだろうか。今回考えてみたがよく分からなかった。
発売元のビクターも最初は『潮来笠』で行くことに難色を示し、吉田正も売れない時の保険として同じ佐伯孝夫と組み『あれが岬の灯だ』という現代風の曲を用意していたという(実際に『あれが岬の灯だ』は、橋の2枚目のシングル・レコードになった)。
そんな橋も、昭和37年の『江梨子』あたりから曲調を変えてゆき、同じ年の吉永小百合とのデュエットで日本レコード大賞を獲得した『いつでも夢を』で、幅広いジャンルが歌える歌手であることを証明した。
そして、御三家の他の二人が登場してきた頃からは『恋をするなら』『チェッ・チェッ・チェッ』『あの娘と僕~スイム・スイム・スイム』といろいろなリズム・スタイルを取り入れた"リズム歌謡"という形を確立していく。因みに上記3曲は、順に"サーフィン・リズム"
"サブロック・リズム"そして"スイム"というダンス・スタイルのリズムを取り入れている。
けれども、そんなヒット曲の合間に『大利根仁義』『八州喧嘩笠』『残侠小唄』などの"股旅歌謡"をしっかりと出して、そちら側のファンの心も掴み続けていたのはさすがだと思う。
-…つづく
第260回:流行り歌に寄せて
No.70 「再会」~昭和35年(1960年)
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