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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

第275回:流行り歌に寄せて No.85 「若いふたり」~昭和37年(1962年)

更新日2015/02/12


『二人は若い』が昭和10年に発表されたディック・ミネと星玲子によるデュエット曲ならば、『若いふたり』は、太平洋戦争を挟んで27年後に出た北原謙二によるドドンパ歌謡のひとつである。

以前にこのコラムでご紹介した通り、渡辺マリの『東京ドドンパ娘』を始め「ゥン チャ チャララ ラッチャ」(と聞こえる)のリズムスタイルのドドンパ(都々逸とルンバを足した和製造語)は、実に聴いていて心地よい音楽だと思う。

北原謙二は大阪府の出身で、浪商高校(在学中は野球部に所属)卒業後、最初は「鈴木栄治とブルー・カウボーイズ」の一員として大阪・難波にある音楽喫茶「ナンバ一番(いちばん)」で歌っていた。

「ナンバ一番」はシャンソン、ウエスタン、ロカビリーを始め、毎晩ライヴが開催されていた60年代の大阪を代表する音楽喫茶で、後のグループ・サウンズ時代を築いたオックス、ザ・タイガースもこの店から輩出されている。

同喫茶で歌っていた北原謙二は、コロムビアレコードのスカウトマンの目に止まり、昭和35年5月に上京、そしてレッスンを積んだ後、翌昭和36年7月に『日暮れの小径』で銀座みゆき通りのジャズ喫茶「テネシー」でデビューし、初のレコード・デビューも果たした。

『日暮れの小径』は師匠筋である鈴木栄治の作曲による作品で、童謡も取り入れた郷愁を誘う曲であった。同年に出された3枚目のシングル『忘れないさ』はドゥーワップ調の名曲でスマッシュ・ヒットした。実は私はこの曲が大好きで、このコラムで取り上げようと考えたが、資料がなかなか見つからず断念してしまった。

そして、北原謙二の名を広く世に知らしめたのが、遠藤実がドドンパ・リズムを使って作り上げた『若いふたり』で、この曲は大ヒットした。

「若いふたり」 杉本夜詩美:作詞 遠藤実:作曲 北原謙二:歌 
1.
君には君の 夢があり 

僕には僕の 夢がある   

ふたりの夢を よせあえば    

そよ風甘い 春の丘     

若い若い 若い二人の ことだもの

2.
君には君の 歌があり  

僕には僕の 歌がある   

ふたりの歌を おぼえたら    

たのしく晴れる 青い空    

若い若い 若い二人の ことだもの

3.
君には君の 道があり  

僕には僕の 歌がある   

ふたりの道は 遠いけど    

昨日も今日も はずむ足     

若い若い 若い二人の ことだもの


《さて、作曲の遠藤実については、この後も何回か登場する大作曲家だから機会を見て書かせていただくが、今回は作詞家の枯野迅一郎について少し触れたいと思う。》

10回目の『おひまなら来てね』のコラムで、私は上のようなことを書いた。今回も「枯野迅一郎」を、そのまま「杉本夜詩美」に変えて書いてみようと試みたが、この作詞家については『若いふたり』の作詞者として以外、何一つ資料が見つからなかった。

どこかに、その人となりについて一行でも触れているものがないか調べてみたが、どこにもひっかからない。お手上げである。このコーナーの85回目にして、おそらく初めてのことだろう。今後何か分かったことが出てきたら、必ず記したいと思う。

さて、北原謙二は同年の大晦日、この『若いふたり』でNHK紅白歌合戦に初出場した。翌年も『若い明日』(石本美由起:作詞 昭和38年)で連続出場することになる。

その後の『若い君若い僕』〈谷由美子とのデュエット曲〉(三浦康照:作詞 昭和39年)、『若い太陽』(三浦康照:作詞 昭和40年)など「若い」のつくタイトル曲は、作詞家は代わってもすべて遠藤実の作曲である。遠藤はとにかく北原に「青春歌謡」をたくさん歌わせたかったのだろうなあ、という気がする。

もうひとつ、よく知られたヒット曲『ふるさとのはなしをしよう』は山本譲二もカヴァーしている名曲で、年配の方々がカラオケで歌っている姿を時々拝見することがある。

北原は平成3年3月に51歳の時、高血圧による脳内出血で倒れたが、その後懸命なリハビリを粘り強く続け、左半身マヒを克服し、車椅子に乗りながらもステージに復帰する。ついには、奥さんの肩につかまりながらも立って歌うこともできるようになったという。

そしてディナーショー出演や福祉施設などの慰問を積極的にこなしていたが、平成17年1月26日、虚血性心疾患によりこの世に別れを告げた。享年65歳。今からちょうど10年ほど前のことである。

-…つづく

 

 

第276回:流行り歌に寄せて No.86 「遠くへ行きたい」~昭和37年(1962年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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