第268回:流行り歌に寄せて No.78 「山のロザリア」~昭和36年(1961年)
スリー・グレイセスと言えば、私は「ワッ、ワッ、ワーッ、輪が三つ、ワッ、ワッ、ワーッ、輪が三つ、ミツワッ、ミツワッ、ミツワ石鹸」、「オー・マイカラー、アサヒペン、マイ・ホーム、アサヒペン」などのCMソングを、まず思い浮かべてしまう。
殊に三木鶏郎の手によるミツワ石鹸の方は、バトンガールと呼ばれる人形たちが本当に歌って踊っているような、ピッタリとイメージにはまった素晴らしいCMだったと今でも思っている。そして、ときどきYouTubeでの画像を閲覧している。
他にも「ランラン、ラランラーン」の『愛のスカイライン』のCM、「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは明治」の初代CM。また、TVドラマ『時間ですよ』の美しいハーモニーや、TVアニメ『魔法使いサリー』『さすらいの太陽』のテーマ曲も、彼女たちの声によるものだ。
メンバーは、リーダーでアルト担当が石井(後に森本)政江、その妹である石井(後に星野)がメロディーを担当し、長尾(後に白鳥)華子がソプラノを受け持っていた。清廉で柔らかく、知的でやさしさのあるコーラスである。
昭和33年に結成され、ダーク・ダックス、ボニー・ジャックスを手掛けた名プロデューサー小島正雄に徹底的に鍛えられて、昭和34年にデビューを果たす。翌々年、この『山のロザリア』が歌声喫茶を中心にヒットをし、ミリオン・セラーにまでなった。
その後NHK紅白歌合戦に出場するなど活躍していたが、昭和42年にはそれぞれの結婚、出産などを理由に活動を休止していた。しかし、それから22年後の平成元年、CM音楽プロデューサー大森明男との再会により再結成をした。アメリカ合衆国での公演なども行なっており、現在でも幅広い範囲で、精力的に活動をしている。
「山のロザリア」 ロシア民謡 丘灯至夫:日本語詞 スリー・グレイセス:歌
1.
山の娘ロザリア いつもひとり歌うよ
青い牧場日暮れて 星の出る頃
帰れ帰れ もいちど 忘れられぬあの日よ
涙流し別れた 君の姿よ
2.
黒い瞳ロザリア 今日もひとり歌うよ
風に揺れる花のよう 笛を鳴らして
帰れ帰れ もいちど やさしかったあの人
胸に抱くは形見の 銀のロケット
3.
一人娘ロザリア 山の歌を歌うよ
歌は甘く哀しく 星もまたたく
帰れ帰れ もいちど 命かけたあの夢
移り変わる世の中 花も散りゆく
4.
山の娘ロザリア いつもひとり歌うよ
青い牧場子山羊も 夢を見る頃
帰れ帰れ もいちど 忘れられぬあの日よ
涙流し別れた 君の姿よ
『山のロザリア』と言えば、私の家族がハイキングに行ったときに、父がよく歌っていたのを思い出す。中学の時の音楽の教科書に載っているのを見て、ロシア民謡であったことを知る。
原曲は『アレキサンドロフスキー』という名のワルツ曲で、ロシアの宮廷舞踊曲として生まれた。一説には、ロシア皇帝・アレキサンドル2世を称えて作られた曲だとも言われているようだ。
その曲を聴いて、山村に住む一人娘の哀しい恋の物語にもっていったところは、やはり作詞家・丘灯至夫の類い希な想像力だろう。確かにロシア民謡には哀愁を帯びた響きがあって、感傷的な詞がよく似合う。この詞によって、メロディーの方も私たち日本人にとってさえ、なぜか懐かしく心に沁みこんでくるのだ。
作曲家の遠藤実と組んで島倉千代子の『襟裳岬』の詞を書いた年、そして同じ遠藤との作品で名作『高校三年生』が作られた2年前に『山のロザリア』を書いている。毎日新聞記者と、日本コロムビア株式会社の専属作詞家という二足のわらじを履いて、丘44歳、まさに働き盛りの頃の作品である。
関鑑子による『カチューシャ』、楽団カチューシャによる『ともしび』など、歌声喫茶から広まったロシア民謡の訳詞は、いわゆる左翼系の人や団体の手によるものが多い中で、丘はその立場を異にしている。
さて、今回このコラムを書いていて思ったことがある。心に残る名曲というのはいくつかの要素が重なってできるものだということだ。
元々のロシアの舞踊曲に、日本の作詞家がまったく新しい解釈で命を吹き込み、名プロデューサーに厳しく育て上げられた女性3人コーラスグループによって歌われ、歌声喫茶を中心に世の中に広まっていった。
そのことだけで、すでに一つの物語になっているのだという気がしてならないのである。
-…つづく
第269回:流行り歌に寄せて
No.79 「北帰行」「惜別の歌」-その1~昭和36年(1961年)
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