第258回:流行り歌に寄せて No.68 「霧笛が俺を呼んでいる」~昭和35年(1960年)
いきなりの身内話で恐縮だが、私の愚息はある意味親孝行である。保育園、小学校はもちろん、今まですべて家のすぐ近くの学校に通っていて、今は砧公園を挟んで向こう側にある成城大学へ自転車通学している。大学へ自宅から自転車通勤というのは余り聞いたことがなく、下宿代も、交通費もかからないことは、家計には大きな救いとなっている。
つまらないことから書き始めたが、その成城大学、愚息が入学した頃調べてみたところ、多くの芸能人が卒業していることに驚いたものである。
田村正和・亮兄弟、高橋政弘・政伸兄弟、森山良子・直太朗母子を始め、トレンディー・ドラマ時代を担った鈴木保奈美、鶴田真由、現在のドラマでよく顔を見かける及川光博、小澤征悦なども卒業生。かなりの数の芸能人がこの大学の出身者である。
そんな中で、赤木圭一郎も成城大学へは通っていたが、卒業生にはなれなかった。昭和14年5月8日生まれの彼は、神奈川県立鎌倉高校から、昭和33年に成城大学に入学した。ところが3年生に在学中の昭和36年2月14日に、日活撮影所内でゴーカートを運転中、誤ってブレーキとアクセルを踏み違え、大道具倉庫の鉄扉に激突、一週間後の21日に息を引き取ってしまったのである。21歳の若さであった。
「霧笛が俺を呼んでいる」 水木かおる:作詞 藤原秀行:作曲 赤木圭一郎:歌
1.
霧の波止場に帰って来たが
待っていたのは悲しいうわさ
波がさらった港の夢を
むせび泣くよに岬のはずれ
霧笛が俺を呼んでいる
2.
さびた錨にからんで咲いた
浜の夕顔いとしい笑顔
きっと生きてるどこかの町で
探しあぐねて渚に立てば
霧笛が俺を呼んでいる
3.
船の灯りに背中を向けて
沖を見つめる淋しいかもめ
海で育った船乗りならば
海へ帰れとせかせるように
霧笛が俺を呼んでいる
赤木は成城大学に入学した昭和33年の8月に、日活映画に第4期ニューフェースとして入社する。同年、石原裕次郎主演の『紅の翼』にエキストラ出演をし、これが映画デビューとなる。
その後、城南大学ラグビー部員(いかにもという感じ)などという役名が付くか付かないかの配役が続くが、昭和34年鈴木清順監督の『素っ裸の年齢』で初主演を果たす。そして、翌昭和35年からの『拳銃無頼帖シリーズ』の華麗なガン捌きで裕次郎、小林旭に次ぐ「第三の男」として脚光を浴びるようになった。
甘く、どちらかと言えばバタ臭い風貌ながら、年齢の割には落ち着きのある、それでいて退廃的な雰囲気を持つ彼が繰り広げるアクションは、多くのファンの心を掴んだ。
「赤木は俺よりも身長は低く、運動神経のほうもよくなかったけど、拳銃を構え股を開いて立つと人が変わり、そんなハンデをまったく感じさせなかった。逆に、嫉妬を覚えるくらいスマートだったよ。それこそ都会的なチンピラの、ジーパンはいて革ジャン着て、オープンカーに乗っかって、なんて格好させたら天下一品。実に絵になった。」
"ライバル"小林旭が、後年、その著書『さすらい』の中で触れた赤木圭一郎評である。
さて、『霧笛が俺を呼んでいる』は昭和35年、山崎徳次郎監督による同名の日活映画の主題歌で、ポリドールレコードから発売されている。
《蛇足ながら、デビューしたて(映画は4本目、日活では2本目)の吉永小百合がこの映画に出演している。オープニングのタイトルバックに、吉永小百合と書かれた配役名のとなりに小さな字で(新人)と書いてあるのが、今見れば微笑ましい感じがする。》
映画の冒頭、霧笛が鳴る中で赤木が船のタラップを降り、車に乗り込むシーン。それを観るだけで、彼の放つ匂いを充分に感じることができる。この時まだ20歳であることには、ただただ驚かされるが。
昭和35年は、このコラム『アカシアの雨がやむとき』の項で触れたが、60年安保で日本全体が揺れた年である。とともに、日本映画全盛の時期でもある。映画館の中では、アクション映画の大立ち回りに多くの若者たちは熱狂し、外に出れば、デモ行進の列の中に多くの若者たちが飛び込んでいる。
きっと、それが共存していた時代だったのだろう。『霧笛が俺を呼んでいる』と『アカシアの雨がやむとき』が同じ水木かおる作詞、藤原秀行作曲であることは、偶然とは言えないと思う。
-…つづく
第259回:流行り歌に寄せて
No.69 「潮来笠」~昭和35年(1960年)
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