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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第535回:ビクトリープレイス - SL人吉 1 -

更新日2014/12/25


人吉駅には駅弁の立ち売りがあると聞いていたけれど、売り子さんの姿が見当たらない。欲のないことだなあ。もうすぐ14時半。昼食時間帯は過ぎていた。しかし、列車に乗る人のなかには、空腹ではなくても駅弁が欲しくなる人もいるだろう。空腹ではなくても、食べたければ食べる。私も風ちゃんも、そうして大型化したわけで。まあ、褒められたことではないけれども。

実際に私たちは空腹である。湯前の100円イチゴも饅頭も、とっくに消化されている。駅に隣接して駅弁屋のビルがあり、片隅が店舗になっていた。ところがショーケースの中はほとんど空っぽだ。そうか、昼飯用の駅弁は売り切ってしまったのか。立ち売りさんもいないわけだ。
「もうこれだけなんです」
女性の店員さんが申し訳なさそうに立っている。ショームース内にぽつんと残された、栗めしという駅弁に見覚えがあった。
「これ、食べたな……30年前くらいに」
「えっ」、店員さんが声を上げる。たぶん、彼女が生まれる前だ。


推進運転で人吉駅ホームに入線

高校生の頃、親戚の会社でアルバイトをしてお小遣いを貯めて、ワイド周遊券を買って九州を巡った。八代から肥薩線に乗って人吉へ。そして昼飯に栗めしを買った。こんなに派手な賭け紙ではなかった気がするけれど、栗の形の容器を覚えている。懐かしくて即決。もっとも、ほかに選択肢はなかったが。

ホームに戻って列車の到着を待つ。14時38分発のSL人吉だ。石造り機関庫の方向から、茶色い客車を先頭にしてやってきた。ガラス面の多い展望室だ。客車は3両で、最後尾にハチロクがつながっている。こちらが熊本の方向だ。乗客たちがホームに集まり賑わっている。もちろん機関車が大人気。私が機関車の写真を撮った後、お客さんたちが機関車の横に立って交互に記念写真を撮っている。閑散としたローカル線のわびしさも良いけれど、列車の周りに笑顔が集まる風景もいい。


ヘッドマークも凜々しく

機関車の写真を撮った後は客室へ。お客さんたちが機関車に集まっているうちに撮っておく。このあたりの行動はいつもの手順。慣れたものだ。そして連れの存在は忘れている。一連の儀式の後、風ちゃんと合流した。そしてすぐに別れた。宮崎空港で指定券を手配したとき、この列車の私たちの席は離れていた。どこかの駅の窓口で空席を探して変更すれば良かったけれど、うっかり忘れた。SL列車はそれぞれのひとり旅である。まあそれもいいだろう。


水戸岡鋭治デザインの優雅な空間

私の席は2両目、進行方向右の窓際で、ボックス席の進行方向向きである。ギリギリで手配したにしては良い席だ。キャンセルされた席かもしれない。その席に鞄を置いて、3両の客車を探索してみた。4月2日、春休みのSL人吉は満席であった。変更を申し出ても、ふたり並んだ席は見つからなかっただろう。自分の座席を探す人、荷物を網棚に乗せる人で通路がふさがり歩きづらい。蒸気機関車の全盛期、幹線の急行列車はこんな風だったかもしれない。席に戻る直前に汽笛が鳴って、列車がゆっくり動き出した。


座席は座り心地良く、懐かしくて新しい

私の向かい側は若い女性だ。これは幸運かもしれない。楽しい旅になりそうだと思ったけれど、さっきからずっと祈りのポーズである。何のお祈りだろうか。この付近で誰かが亡くなったのだろうか。いや、供養にしてはSL人吉は華やかすぎないか……。どうも会話のきっかけをつかみにくい。

私は景色に集中した。石造り車庫を通り過ぎ田園地帯を進む。曇天の空。灰色の雲の手前に低い雲が流れる。その手前に蒸気機関車の白く太い煙が舞う。気温が低く、湿気が多いときは機関車の煙が太い。車内は人が多く、暖房も効いて窓ガラスが曇り始めている。今日は乗るよりも、機関車の撮影に適した気候かもしれなかった。


石造り車庫を通過

鉄橋を渡ったとき、祈りの女性の隣に男性が座った。連れ合いのようだ。ちょっとした会話は中国語だ。新婚旅行かもしれない。しかし女性はまた祈っている。イスラム教は1日5回の礼拝が決まりだと聞いている。しかし方向が定まっているはずで、列車の中はふさわしくなかろう。別の宗教だろうか。妙な習慣である。

最初の停車駅、渡(わたり)を過ぎると鉄橋を渡る。ダジャレのような話だが、ここから右手の車窓に球磨川が現れる。ようやく祈りが終わったようで、女性が顔を上げた。目が合う。しまった。勧誘されちゃうかもしれない。いや、それはないか。先手を打とう。こちらから話しかける。
「新婚旅行ですか」
なんですか、という顔をされた。隣の男性も怪訝そうな顔をする。やっぱり日本語は通じないか。ハネムーン? と言うと、違うと手を振って笑った。男性も照れくさそうである。そこから会話が始まった。私は中国語がわからない。彼女は少し日本語ができるようだ。


球磨川と並ぶ

日本語と英語の混じった会話をまとめると、高校受験のお子様がいらっしゃるとのこと。今回の旅は伊万里焼が主な目的で、特に鉄道好きと言うことではなく、旅の計画中にSL列車を見つけて予約したそうだ。今日は新八代から新幹線で福岡へ向かい、台湾へ帰るという。台湾の試験は5月だそうだ。祈りは受験の祈願だろうか。もしかして、お子さんが受刑勉強でピリピリしているから、親は遠慮して旅に出たとか? いや、それは聞かないでおこう。たぶん込み入りすぎて話が通じないだろう。


一勝地駅に到着

夫婦との会話が10分ほど続き、列車は一勝地駅に到着した。車内放送で停車時間は10分と案内される。他のお客さんたちが出口に向かう。向かい側の二人が怪訝そうな顔をするので、テンミニッツ、テイクピクチュアなどと身振り手振りで説明して、私も外へ出た。列車の写真を撮るなら途中駅のほうが良い。始発駅や終着駅では乗らない人も撮影に集まるけれど、多いけれど、途中駅で撮影する人は乗客だけだ。


縁起の良い駅名として人気だ

一勝地駅は縁起の良い駅名である。地名の由来は鎌倉時代にさかのぼり、この地域を治めた一升内下野守(いっしょうちしもつけのかみ)だという。明治時代に一升内が一勝地にあらためられた。明治維新後、市町村名の見直しが行われ、縁起の良い字が使われた。瑞祥地名というそうだ。一勝地駅の開業は明治41年である。すでに地名が変わっていたか、鉄道の開業に合わせたか、どちらだろうか。


駅舎はJAが入居している

機関車を撮った後は駅舎を撮る。窓口で縁起きっぷを売っている。私は自分用と土産用に3枚買って、ふと思いついてもう一枚買った。座席に戻ると奥さんだけ座っていた。出発まであと4分ほど。旦那さんが戻ってきて、交替で奥さんが出て行く。荷物の番をしているようだ。自分の荷物から目を離しても大丈夫という国は少ない。夫婦のやり方が正しい。もしかしたら、私の荷物も見てくれていたかもしれない。


運転席を見物する人々

列車が走り出したところで、私は夫婦に一勝地駅のきっぷを差し出した。「お子さんへのプレゼントです」と。しかしこれが通じない。「どういう意味か」と尋ねられた。ええと、縁起がイイって英語でなんと言うんだ。ラッキーアイテムか。受験のお守りはなんと言う? そもそも受験にお守りなど縁起をかつぐ習慣は日本だけだろうか。
「ファースト、ビクトリー、プレイス、イズ、ラッキー」
漢字をひとつずつ英語にして説得してみる。わかってくれよ。あなたたちだって漢字を使う国の人なんだから。

-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。
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ライフ>> 「鉄道」
発行:マイナビ

■著書
『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。』
~日本全国列車旅、
達人のとっておき33選~


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