第514回:銀色の寿司 - 井原鉄道 小田 ~ 神辺 -
バスで小田駅前に戻り、コンビニでおにぎりなどを買う。ふたたび駅舎のような観光案内所に立ち寄った。管理人氏は不在のようだ。昼休みかもしれない。彼の言葉を信じて、あやうく逆方向のバスに乗るところだった。文句を言いたいわけではない。きっと彼は新山への行き方を知らない。今後、井笠鉄道記念館を訪れる人を迷わせないために、彼に正しいバス停の場所を知らせたかった。

井原線の旅を再開
井原鉄道の旅を再開する。民家の3階までに相当しそうな階段を上り、列車を待つ。12時37分発の神辺方面行き。夢やすらぎ号ではなく、銀色の気動車が到着した。行き先方向幕に福山と書いてある。この列車は神辺から先、福塩線に乗り入れて福山まで行く。井原線は岡山県と広島県をまたぐルートである。東端は伯備線と共用で、西端は福塩線に乗り入れる。沿線は福山、つまり広島県との結びつきが強いという。
小田から先も高架と築堤であった。見晴らしがよい。目立った建物や山は見えないけれど、低空飛行のようで楽しい。昼食はおにぎりとお茶。安くついているけれど、この景色を見ながら食べれば、なんとなくリゾートのカフェにいるような気分でもある。

見晴らしの良い風景が続く
井原駅に着く。駅舎の屋根は丸みを帯びたドーム形だ。正面の形はわからないけれど。列車の窓、つまり建物の裏から見ると、にぎり寿司のような形である。その屋根に三角錐の塔が載っている。ガリか醤油差しか。ここで数人降りて、同じくらい乗った。車内はボックス席に少し空きがある程度だ。1両のワンマン運転。冷房が利いている。朝は暖房だった。晴天だから、これからもっと気温が上がるかもしれない。
井原市は岡山県の西端で広島県に接する。東西に流れる小田川を水源として発達した地域だ。北は吉備高原、さらには中国山地に続く。南にも低い山が連なり、盆地のような地形である。人口は約4万3千人。市の公式サイトによると、約340年前から綿を栽培し、繊維業の町でもあったという。織物は江戸時代は山陽街道を行く参勤交代の用品とされ、明治時代は学生服の服地を国内外に出荷した。

井原駅。にぎり寿司1カンに見える
昭和三十年代以降、全国に先駆けてデニム生地の生産を始める。服地の海外輸出を通じて流行に敏感だったから、米国製のジーンズの流行を察知できた。もとより厚みのある生地の生産技術と、藍染の技術があった。現在は国産のジーンズの7割が井原産とのことである。井原駅構内には井原被服協同組合がアンテナショップを開店し、ミシンを置いてオーダージーンズを作ってくれるという。なるほど、洒落た建物に見合うテナントが入っているわけだ。
列車はデニムの街をいく。車窓は建物が増えている。子守歌の里高屋という駅があった。ここで生まれた子守歌は、「ねんねこしゃっしゃりませ~」ではじまる曲だ。この地方に伝わる歌を山田耕作が整えてから広まったという。関東に生まれ育った私には、「ねんねんころりよ」の江戸子守歌のほうがなじんでいる。それでも、「ねんねこしゃっしゃりませ」の部分だけはリズムを知っている。なぜかは思い当たらない。

そしてまた低空飛行
子守歌の里高屋駅を出ると県境を越える。峠でもなく川でもない。なんとなくけじめのない境界だ。線路は旧山陽道に沿っている。旧街道なら国境に関所があったかもしれない。そう思って調べてみたら、織田信長と豊臣秀吉が天下統一の際に各地の関所を廃止してしまったそうだ。関所の復活は江戸時代になってから、江戸を囲むように作られた。そして現代。道路のほうは行政区域を示す標識があるはずだ。しかし列車からは見つけられなかった。
広島県に入って最初の駅は御領である。これも何の領地かと思う。大名か、江戸幕府か、天皇か。せっかく高いところを走っているから、なにか古い寺社でも見つかれば手がかりになりそうだ。そんな思いで車窓を眺めると、寺社ではなく銀色のドームが見えた。井原駅の外観に似ている。銀の寿司がもうひとつ。携帯端末で地図と航空写真を調べる。中学校の体育館だった。設計者は井原駅と同じ人だろうか。

ん、またもや銀の寿司?

中学校の体育館だった
湯野駅を発車してまもなく山陽道が右手に離れていき、福塩線の線路が近づき並ぶ。神辺駅に到着である。神辺という文字通り神社のあるところ。ただし地名の由来は単なる神社の周辺ではなく、神奈備といって、神を守る森と言われている。駅の東の黄葉山。室町時代から江戸時代にかけては城もあったという。

福塩線と合流
井原鉄道の終点に着いたけれど、列車はそのまま福山へ行ってくれるから、私もそのまま乗り通す。県境も、起点と終点も列車に乗ったままであった。どうもけじめの付かない乗車である。それはともかく、福塩線も未乗であるから私には都合がよい。

神辺駅。ここで井原鉄道を完乗
線路は地上に降りた。人々の暮らしに近づいた気がする。車窓に建て売り住宅が増えて、国道が近づき、離れ、今度は川に沿う。この川は高屋川で、神辺の手前あたりから線路の南側を流れ、神辺で線路と交差していた。それがこのあたりでは芦田川に並び、合流直前である。つまりは河口に近づいている。小さな山のそばを通り抜けたほかは、広々とした景色であった。

河口の町、福山へ
福塩線の線路は山陽本線と合流する。新幹線の高架も迫り、福山駅に着いた。定刻13時18分。まだ東京行きの新幹線には乗らない。これから福塩線で北上し、中国山地に向かう。折り返しの電車がホームの反対側で待っている。私はその電車を視野に入れつつ、いったん階段を上がって精算窓口に行った。小田で受け取った整理券と青春18きっぷを差しだし、井原線の運賃だけ払った。
560円。1,000円札と50円硬貨と10円硬貨を1枚ずつ出したら、窓口氏は電卓をたたき、「ちょうどですね」と言って500円硬貨を返した。言いたいことはわかる。でも、何かが違うような気もした。

福山駅に到着
-…つづく
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