第516回:上ったり下ったり - 福塩線 府中~梶田 -
府中駅15時05分発の気動車はキハ120形の単行だ。1時間も前からホームで出発を待っていただけあって、ボックス型の4人席に、ひとりかふたり。居心地の良さそうな席は先客ありだ。ドアのそばのロングシートも埋まっている。通路の左側のボックス席に相席だ。しかし、列車が走り始めてすぐに、この選択が間違いだとわかる。
福塩線非電化区間の三次行
列車は府中駅を出るとすぐに芦田川を渡る。府中から福山の地域に清水を運ぶ川だ。ここから先は川沿いの谷。線路は谷の左側。つまり、左の車窓は山肌にふさがれてしまった。右側は川を見下ろす風景が広がっている。しかたなく通路と座席越しに右の窓を眺める。電車区間にくらべて空いているから、席を移動しなくても遠景は見える。
オススメは右手の車窓
この列車はロールスクリーンではなくカーテンが備え付けられている。福山から府中までの電車の窓はふさがれてしまった。しかし、この気動車は誰もカーテンを使っていなかった。谷間は山沿いは日当たりが悪いから、遮光は不要。つまり、この先の険しさを暗示している。芦田川の向こうに建物が密集している。工場もある。あちらのほうが広い。しかし線路は川に隔てられている。どうしてわざわざ人里から離したか。これではお客も乗りにくい。そういえば三江線もこんな感じだった。
芦田川の川向こうに工場や民家がある
下川辺駅を出ると谷が狭くなり、勾配も大きくなる。新しいキハ120形も鈍足だ。力のある気動車だけど、路盤が弱くて速度を控えているかもしれない。福塩線の南北問題。電化区間と非電化区間の格差を感じる。中畑駅も川のそば。そして民家は川の向こうだ。線路1本、ホーム1面だけの小さな駅で、気動車はしばらく停まった。しかし乗客は来ない。時間調整のようだ。
谷の道を行く
静かになった車内で、同じボックスシートの向かいから話しかけられた。私より、ひとまわり年上の男性であった。
「旅ですか」
「はい」
私はメモ代わりにコンパクトカメラのシャッターを押し続けていた。どうみても余所者の振る舞いだ。私は正直に旅の目的を話した。
「ほう、日本中のローカル線を回っておられる」
彼も旅好きだという。
「そういえば、男性のひとり旅が流行だそうですなあ」
しきりに感心される。
列車がトンネルに入った。走行音が反響するため会話は中断される。芦田川は北側へ大きく蛇行している。しかし列車はトンネルで短絡した。トンネルを出ると川を渡った。車窓左手が川になった。
「よかったら岩国の桜をご覧なさい。樹齢400年の桜がずっと咲いていますから」
男性はその言葉を残して河佐で降りた。河佐狭という看板が見た。景勝地のようだ。彼も旅人だったらしい。
ダム建設で作られた新ルート
列車は河佐挟をかすめて、長いトンネルに入った。エンジン音に包まれる。振動が身体に染み込みそうだ。本当に長いトンネルである。運転台の後ろから前方を眺めた。暗闇の向こう、ようやく光が射してくる。いままでのノロノロ区間と様子が違って、この区間は平成元年に付け替えられた。理由は芦田川中流のこの付近に八田原ダムを造ったからである。八田原ダムは、もともと宇津戸ダムがあったところに上書きするように作られた。渇水期にはダム湖の底に旧ダムが現れるそうだ。おもしろそうな景色である。先ほどの男性もダム見物が目的だろうか。
標高が上がると日当たりも良くなる
ダム建設のために線路を迂回してトンネルにする。もっとも景色のよい区間をトンネルで隠したわけだ。福塩線の景色のハイライトシーンであったはずで、もったいない。線路付け替え前に来ればよかった。もっとも、四半世紀も過去の話で、後悔するような時期ではない。
親水公園のように穏やかな川面
線路は備後三川駅付近で旧ルートに復帰する。線路の様子が変わるからすぐわかった。川幅は小さくなって水流も穏やか。親水公園のようであった。備後矢野駅に到着。無人駅であるけれど「当駅ではうどん、田舎そばを始めました」という大きな貼り紙があった。駅舎の再利用として店舗を作ったらしい。食べてみたいけれど、次の列車は2時間後である。ここで降りると今日中に東京へ帰れない。
田舎そばの文字にそそられる
列車は、相変わらずのノロノロ運転で、サファリパークの猛獣エリアを行くバスのようだ。福塩線は府中から南側を福塩南線として整備し、塩町から南へ向かって福塩北線を建設した。福塩北線はこの次に停まる上下駅を終点として暫定開業し、最後に上下と府中を結んで全通している。難所を後回しにしたとすれば、ノロノロ運転しているこのあたりが、福塩線で最大の難所だったかもしれない。
難所を超える場所にも拘わらず、福塩線の沿線は小規模な工場をみかける。建物に“ロケット製品”と大書された工場がある。府中の特産のダイカスト製品に関連するかもしれない。宇宙開発にも関わっているかと思ったら、これは作業用ゴム手袋のメーカーであった。トレードマークがロケットである。地名は上下だからロケットマークだろうか。いや、ロケットは上に行くだけで、下に向かっては困る。
ロケット工場か? いいえ、ゴム手袋工場だった
上下駅で列車がすれ違った。上り列車と下り列車が上下駅で出会う。駄洒落のようである。まさかそれを意識したダイヤではないだろうけれど、担当者はニヤリとしたに違いない。上下という文字から峠という漢字を連想する。ここは峠の難所か。ところが、ここからしばらくは平坦だ。気動車も快調。ただし途中にはいくつか上り下りがある。
運転席の後ろから前方を見ると、運転士に知らせる勾配標識があった。25パーミル、時速20km制限。小さな峠と平坦地が断続する。線路は中国地方の地勢を数字で教えてくれる。
上下駅で上下列車の交換
-…つづく
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