のらり 大好評連載中   
 
■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第534回:石工の伝統 - 肥薩線 人吉駅 -

更新日2014/12/18


くまがわ鉄道の人吉温泉駅、JR九州の人吉駅に戻った。12時半になろうとしていた。いったん駅の外に出ようと跨線橋を上ると汽笛が聞こえた。窓から覗けば、蒸気機関車に引かれた列車が逆向きで遠ざかっている。熊本からやってきたSL人吉号が、ホームでお客さんを降ろした後、留置線に下がっていくところだ。

SL列車は大きな古い車庫に隠れた。これから機関車を切り離し、転車台で反転して、石炭と水を蓄えて戻ってくる。転車台付近は見学可能と聞いている。私たちは駅の正面入り口に向かっていたけれど、踵を返して裏口に出た。私たち同じ目的の人々が、同じ方向に歩いていた。岩壁に大きな横穴が空いていて、なにかの遺跡のようだけど、それは後回しだ。


石積みの車庫
登録文化財・近代化産業遺産・九州遺産など

雨がぽつぽつと降ったり止んだりしている。帽子を被って傘は差さず、早足で250メートルほど歩くと転車台があった。機関車はまだ来ない。先に給炭と給水だろうか。それとも往路の煤払いだろうか。転車台のそばの道路脇に詰め所のような建物があって、SL館と書いてある。見学施設のようだ。肥薩線の歴史やSLの写真を展示している。投炭練習機や構内信号機の操作盤もあって興味深い。ここは蒸気機関車の乗組員の待機所だったようだ。


SL館の投炭練習機

表側に道具の洗い場があって、水道の蛇口が洗眼用になっていた。小学校のプールの裏手にあった奴だ。
「これは、煤が入った眼を洗うようになっているんだよ」
制服を着たおじさんが教えてくれた。さっき、展示物の前で家族連れに説明していた人だ。元は蒸気機関車の運転士で、現在はボランティアでSL館を管理しているそうだ。
「肥薩線のルートが山沿いの理由は、軍部からの要請でした。でも、ここは日本の産業の要でもあったんです」
人吉で伐採された木材は、肥薩線の貨物列車で運び出され、北九州で坑木になったそうだ。
「コウボク、わかりますか? 炭坑のトンネルの中で柱や梁に使います」
筑豊の石炭は、日本の産業近代化の動力源だった。その石炭を掘り出すために、人吉の林業が関わっていた。
「つまり間接的とはいえ、日本の近代化を支えた路線だったんですね」と言うと、「その通りです」と頷いた。
日本を支えた石炭、その炭鉱を支えた坑木、その坑木を運ぶ列車の運転士である。彼自身も日本を支えた。その誇りが柔らかい言葉遣いと優しい眼の奥にある。いま、国を支える、盛り上げるためと自覚して働く人はどれほどいるだろう。私も少々恥ずかしくなる。


外側の水道栓は眼を洗う設備つき

私は元運転士さんの話を聞きながら、正面の機関庫を見ていた。1911年の建築。国内唯一、現役最古の石造建築の鉄道車庫だという。なぜ石造りかと言えば、熊本には石工の伝統技術があったからだ。長崎の下級武士だった藤原林七が眼鏡橋に興味を持ち、出島のオランダ人に技術を学んだ。しかし、これは御法度であり、林七は熊本藩八代に移り住む。

当地では阿蘇の噴石を使った石積み技術があり、林七はそれと蘭学の構造計算、宮大工の千絵を組み合わせて巨大アーチ橋の技術を確立。その弟子集団は種山石工と呼ばれ、肥後の石工として各地で活躍したという。石造のアーチ橋は頑丈だが、要の石を抜くと崩壊するという仕掛けもできる。この技術は戦術的にも重要で、携わった石工が秘密を守るために暗殺された話も残っている。


構内の信号制御装置
スマホゲーム『掌内鉄道』の画面とそっくり

短い汽笛が何度か鳴って、蒸気機関車が石造車庫から現れた。1922(大正11)年製の8620形。通称ハチロク。九州各地で働き、炭田の筑豊から坑木の人吉へ転属して活躍の後引退。矢岳駅で見かけたSL展示館で保存されていたところ、1988年に九州鉄道100年の記念プロジェクトとして復活。豊肥本線のSLあそBOY号、SL人吉号として人気だった。しかし古い機関車である。2005年に台枠のゆがみによる故障がきっかけで運行を終了した。

それでもJR九州はSLをあきらめなかった。九州新幹線の開業に連動した観光資源にしたいと、4億円もかけて機関車と客車を修復し、2009年からSL人吉として復活させた。日本最古の現役機関車。不死鳥のようである。その存在だけでも受験や起業のお守りになりそうだ。転車台の周りにお客さんが集まって、テレビの取材クルーも合流している。風ちゃんはタレントさんが気になるようだ。


折り返し整備が終わったハチロクが出庫

いったん左側に移動したハチロクが、逆向き運転で戻ってきた。転車台に乗り停止。係員が転車台の作業室に入ってしばらくすると回転が始まる。ウォーンというモーター音は、昔の電車の吊り掛け式モーター音に似ている。同じ仕組みかもしれない。転車台の下にはレールが1本、円周上に敷いてあって、そこに車輪が乗って動く仕組みだ。


転車台で勇姿を披露する

反転した機関車が、そのまま右へ進む。機関車は熊本を向いている。向こうに客車が停まっているはずだから、連結してホームに戻ってくる段取りである。発車まであと40分くらい。駅に戻る途中で、気になっていた横穴群を見物した。大村横穴群といって、住居かと思ったらお墓だった。6世紀から7世紀ごろに作られたと説明書きにあった。崖の岩盤をくりぬいて墓を作るとは、当時としてはずいぶん手間をかけたと思う。装飾品も多くみつかり、権力のある人の墓だったらしい。岩に穴を開ける作業は石工に通じる。やはり石に縁の深い土地柄である。


方向転換済みの機関車が客車を迎えに行く

跨線橋を渡って人吉駅の表側に出た。駅前広場に天守閣が鎮座している。これが人吉駅名物のからくり時計だ。この時期は09時から18時までの正時と、熊本からのSL人吉の到着に合わせて作動する。時計を見ると14時10分。終わったばかりである。この時計の存在を忘れて、横穴群を見物していた。これはうっかりしていた。


人吉駅裏の大村横穴群

もっとも、名物と言うからには、きっと動画サイトで紹介されているだろう。実物は見られなかったけれど、旅先で見逃したイベントや風景を自宅で再生できるとは、良い世の中になったものだ。


人吉駅前の天守閣はからくり時計になっている

-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
著者にメールを送る

1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。
<<杉山淳一の著書>>

■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■鉄道ニュース(レポーター)
マイナビニュース
ライフ>> 「鉄道」
発行:マイナビ

■著書
『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。』
~日本全国列車旅、
達人のとっておき33選~


杉山淳一
最新刊
好評発売中!

『A列車で行こう9 Version2.0 プロフェッショナル 公式ガイドブック』 杉山淳一著(株式会社(エンターブレイン)

http://www.a-train9.jp/professional/


『A列車で行こう9 公式エキスパートガイドブック』
杉山 淳一著(株式会社エンターブレイン)





『もっと知ればさらに面白い鉄道雑学256』
杉山 淳一 著(リイド文庫)





『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』
杉山 淳一 著(リイド文庫)


バックナンバー

第1回~第50回まで
第51回~第100回まで
第101回~第150回まで
第151回~第200回まで
第201回~第250回まで
第251回~第300回まで
第301回~第350回まで
第351回~第400回まで
第401回~第450回まで
第451回~第500回まで

第501回:白い鉄塔、銀の樹氷
- 御在所ロープウェイ -

第502回:デジカメ宗旨替え
- サンライズ瀬戸 -

第503回:コンビナートの故郷感
- サンライズ瀬戸 2 -

第504回:軒先、刑務所、そして屋島
- 高松琴平電鉄志度線1 -

第505回:源内さんの謎
- 高松琴平電鉄志度線2 -

第506回:庵治石の町
- 八栗ケーブル -

第507回:鉄道遍路の区切り打ち
- 高松琴平電鉄長尾線 -

第508回:夕暮れの梅
- 高松琴平電鉄琴平線 -

第509回:憧れの宇高航路
- 四国フェリー -

第510回:断続複線化区間の通勤電車
- 宇野線 -

第511回:夢やすらぎ号、高架橋を行く
- 井原鉄道 清音~小田 -

第512回:秘伝のバス停
- 井笠バス 小田~新山 -

第513回:老駅長、佇む
- 井笠鉄道記念館 -

第514回:銀色の寿司
- 井原鉄道 小田 ~ 神辺 -

第515回:府中行き満員電車
- 福塩線 福山~府中 -

第516回:上ったり下ったり
- 福塩線 府中~梶田 -

第517回:思いがけず帰路のはじまり
- 福塩線 備後安田~三次 -

第518回:189系団体列車
- ぐるり貨物線大宮号1 -

第519回:京浜工業地帯の変化
- ぐるり貨物線大宮号2 -

第520回:高島線から根岸線へ
- ぐるり貨物線大宮号3 -

第521回:トンネルと高架と
- ぐるり貨物線大宮号4 -

第522回:永遠の99パーセント
- 途中下車 -

第523回:南国の空へ
- ソラシドエア51便 羽田~宮崎 -

第524回:煤けたレッドカーペット
- 宮崎空港線 -

第525回:椎茸めし vs ギュージンガーサンド
- 特急・海幸山幸1 -

第526回:ふたりの海幸彦
- 特急・海幸山幸2 -

第527回:山頭火のさびしさ
- 日南線 南郷-志布志 -

第528回:大隅半島横断バス
- 三州自動車 志布志駅上~垂水港 -

第529回:鹿児島湾横断航路
- 垂水フェリー 垂水港 ~ 鴨池港 -

第530回:特急きりしまで行く霧の霧島
- 肥薩線 隼人~吉松 -

第531回:贅沢な山岳ルート
- 肥薩線 吉松 - 人吉 -

第532回:団体のおかげで観光列車
- くま川鉄道 1
第533回:疑惑の幸福神社
- くま川鉄道 2 -


■更新予定日:毎週木曜日