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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第531回:贅沢な山岳ルート - 肥薩線 吉松 - 人吉 -

更新日2014/11/20


吉松駅には畳敷きの待合室がある。囲炉裏もしつらえてあるけれど火は入っていなかった。人吉行きの列車は09時06分発で、約50分の待ち時間だ。畳のそばに荷物を置いて外に出てみた。駅前の街を歩いてみたい。しかし雨が降っている。見渡す範囲に商店のような建物がいくつかある。しかし開いていなかった。

駅前広場の傍らに蒸気機関車が展示されている。その手前に鉄道資料館という小さな小屋と転車台があった。機関車はC55形52号機。看板を読む。昭和12年製造。初任地は小郡、次に糸崎。昭和14年から鳥栖に移り、以降は九州のほぼ全域で活躍した。運用終了は昭和50年。従来の機関車はボイラーの上に二つのドームがあったけど、二つのドームを一つにまとめたところが外観上の特徴という。鋳鋼製台車を使った近代的な姿、とはどういうことか。車両研究のほうは奥が深そうだ。


吉松駅駅前のミニ博物館

鉄道資料館は閉まっていた。ガラスドアに額をつけて覗いてみると、転轍機の標識、年表、勾配の図などが見えた。ショーケースには列車の模型が並んでいる。ここ吉松は峠区間の機関車の基地であり、肥薩線と吉都線が接続する鉄道の重要拠点であった。いまは肥薩線と吉都線と呼ばれているけれど、もともと鹿児島本線と日豊本線だった。吉松駅は二つの幹線の基地だった。


鉄道資料館を窓から覗く

ガラス越しに資料館の様子を眺めて駅舎に戻る。駅舎を出た時は囲炉裏があるから木造かと思ったら、鉄筋コンクリートの二階建てだった。真四角で実用一点張りの、お役所のような建物だ。しかし、建てられた時期は国鉄時代だったし、駅の役割を考えると、これはこれで正しい選択だったろう。こういう無骨な建物も、高度成長時代の遺構として珍重される時代がくるかもしれない。


実用本位の吉松駅舎。赤い屋根がアクセント

畳敷きの待合室に戻ると風ちゃんがいない。年輩の駅員さんと目が合った。
「資料館、開いていませんね」と話しかける。
「ああ10時からなんです。すみません」
「いえ、ちょっと暇つぶしに見ようと思っただけで」
「そうですか。いま暇をつぶすなら温泉しかありませんなあ」
温泉しかない、とは贅沢な言葉だ。さては風ちゃん、風呂に行ったか。こちらは便所に行く。個室がふさがっている。風ちゃんはここかな。上から水滴を垂らしてみようかと思ったけれど、便所から戻ると風ちゃんがいた。いたずらしなくて良かった。

風ちゃんはどこからかパンを調達していた。ひとつ分けてもらう。昨日の宮崎駅といい、彼はカロリーを察知するアンテナを持っているようだ。こういう友人は大切にしなくちゃいけない。つまらぬいたずらを思いついたことは黙っていよう。畳の待合室は居心地がよい。


人吉行きはステンレス車体のキハ31

吉松から人吉までは各駅停車で約1時間かかる。人吉駅を発車した列車は、吉都線の線路と別れてから森の中を走った。森林鉄道のようであった。隼人から吉松までは景色が開けていたけれど、こちらは森が多い。森と森の間に、霧に包まれた田園地帯が現れる。妖精や魔法使いが潜んでいそうだ。幻想的な眺めであった。

肥薩線の吉松と人吉の間は、鉄道ファンにとってよく知られたルートである。非力な蒸気機関車の時代に造られた山岳路線だ。次に停車する真幸駅はスイッチバック式。吉松側から進入する列車はまっすぐにホームへ進入して停車。旧幹線の駅だからホームは長い。そこに銀色の気動車がひっそりと停車する。


真幸駅に到着

わずかな時間だけど、列車から降りてホームを歩いてみた。乗降客はない。真幸駅の1日の乗降客数はたった二人という。それでもすべての列車がこの駅に停車する。箱根登山鉄道のように、本線がつづら折りのスイッチバック構造になっているからだ。私たちのそばを運転士さんが通り過ぎた。豊肥本線のスイッチバックは2両編成でも運転士さんは位置を変えず、クルマのバック運転のように身体をよじっていたけれど、ここではちゃんと前後の運転台を移動した。

列車は逆向きに走る。さっき通った線路が別れていく。そして停車。運転士さんが車内を移動して、元の向きで走りはじめた。勾配を上っていくと、眼下に真幸駅を見渡せる。周囲に霧が立ちのぼっている。木造駅舎の向こうに桜の木があった。八分咲きくらいには見えた。日中は日当たりがよく、暖かいところらしい。


スイッチバックして発車。真幸駅を見おろす

次の駅は矢岳。木造駅舎にくっついたホームがひとつ。早着したのか、1分ほど停まるというのでホームに降りてみた。後方に人吉市SL展示館という建物がある。きっと元は車庫だったのだろう。
扉が開いており、緑色のナンバープレートをつけたデゴイチがいた。ここにはかつて8620形、通称ハチロクも保存されていた。そのハチロクは再整備されて現役に返り咲いた。今日、人吉から熊本まで乗るSL人吉号がそれで、本日のメインイベントである。


矢岳駅のSL展示館

霧に包まれた景色を行く。次の停車は大畑駅。おこば、と読む。ここもスイッチバックだ。しかもループ線と組み合わせた複合型は全国でここだけ。鉄道ファンからは、もっとも贅沢な山岳ルートと評価されている駅だ。山道をくねくねと曲がりながら走ってきた列車は、大きな右カーブに進む。時計の6時の方向から入ったとすると、時計回りで9時、12時、3時の文字をなぞって、4時くらいで分岐にさしかかり、そのまま直進して停車。逆向きに走ってホームに停まる。

こう説明するとおもしろいけれど、実際に乗ってみるとループ区間は緩やかなカーブにすぎない。だからループ線は地図を見たほうがおもしろい。大畑ループは露天部分が多いから、携帯端末の地図でGPSの位置表示をさせると楽しいかもしれない。次の機会があったら試してみよう。


大畑のスイッチバック

大畑駅でも運転士が前後に移動する間にホームに降りてみた。列車から腕がニョキっと出ており、手にはカメラを持っている。降りて撮ればいいと思う。霧雨に濡れたくないのだろうか。腕が細いから風ちゃんではなさそうだ。さっき彼は隣のボックスにいて、私に背を向けて窓を向き、おとなしかった。うたた寝をしていたと思う。起こして大畑ループの蘊蓄を聞かせるべきだった。こんなことではガイド失格だ。


大畑駅舎は立派な瓦屋根

列車は人吉盆地にさしかかり、下り坂を軽快に走る。風景の木立も間隔が広がって、建物が目立ちはじめ、市街地の景色になった。人口3万4,000人の城下町、人吉市である。球磨川を渡れば人吉駅だ。SL人吉の旅が始まる。しかしその前にくま川鉄道を往復する。旧国鉄湯前線。30年前の旅で乗り残した路線であった。私の九州の路線図が少しずつ塗りつぶされ、残りわずかになっている。


球磨川に到達

-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。月刊文藝春秋「乗り鉄うまい旅」連載。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。
<<杉山淳一の著書>>

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■著書
『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。』
~日本全国列車旅、
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