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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第532回:団体のおかげで観光列車 - くま川鉄道 1 -

更新日2014/12/04


雨の人吉駅。灰色の景色の中で、真っ赤に際立つ列車がふたつ。ひとつは特急“くまがわ”のキハ185系。もうひとつは普通列車の“いさぶろう”。キハ40系の普通列車だけど、観光列車風にリフォームされている。人吉と吉松を結ぶ観光列車で、一部を除いて指定席。さっき私たちが通った大畑ループ、真幸スイッチバックを楽しむための列車だ。“いさぶろう”の名は、この区間開業時の逓信大臣山縣伊三郎にちなんでいる。


真っ赤な列車、特急形キハ185系

“いさぶろう”は吉松行きで、逆向きの列車名は“しんぺい”という。こちらは後藤新平にちなむ。後藤はこの区間開業時の鉄道員総裁だった。真幸駅と矢岳駅の間にトンネルがあり、人吉側のトンネル名表記は山縣伊三郎が書いた扁額で、吉松側は後藤新平だ。これが向きによって列車名を変えている理由だ。面倒なことをしていると思っていたけれど、理由を聞けば納得できる。


真っ赤な列車、各駅停車いさぶろう・しんぺい

熊本発の特急“くまがわ1号”は10時ちょうどに人吉に到着する。そこから“いさぶろう1号”に乗り継いで吉松に付くと、そこから特急“はやとの風1号”が出ていて、鹿児島中央駅に至る。つまり熊本と鹿児島中央を新幹線ではなく、山の中のローカル線で巡るルートだ。うまい仕掛けだと思うけれど、この行程ではSL人吉に乗れないし、くま川鉄道にも立ち寄れない。次に来るときのお楽しみだ。停車中に車内を覗いた。レトロ調の落ち着いたインテリア。JR九州の観光列車の仕掛けは巧みだ。


いさぶろう・しんぺいの車内をのぞき見

私たちが乗る列車はくま川鉄道の湯前行き。10時20分発だ。いったん改札口を出たけれど、あと10分ほどである。やや早足で跨線橋を渡り、くま川鉄道のホームに降りた。しかし振り返ると風ちゃんがいない。てっきり私の後を付いてくると思っていた。便所へ行ったか、新たなカロリー源を探しに行ったか。携帯電話で呼び出したけれど応答がない。

くまがわ鉄道のホームにお客さんが増えてきた。案内係のおばちゃんが二人いた。きっぷを買うと、「今日は団体さんのご案内だから、いい列車よ」という。入線した列車は深緑色の観光車両“KUMA”の2両編成だった。普通列車として運行する車両だけど、本来はこの時間は違う車両を使うそうだ。団体さんのおかげで“KUMA”に乗れる。幸運である。


くま川鉄道の観光型車両KUMA1とKUMA2

ところで風ちゃんはどうした。留守番伝言に「くま川鉄道のホームにいる」と残したところで、跨線橋の向こう側に風ちゃんの姿が見えた。彼なりに次の列車を探し当てたようだ。しかしなかなかこちらに来ない。ひどく歩みが遅い。発車の時刻が近づいている。いつもの私の旅なら、ここはじっくり車両を見聞しているところだ。旅に同行するとき、彼は「スギちゃんの邪魔はしないから」と言わなかったか。確かに邪魔はしていないし、私が勝手に心配しているだけだ。乗り遅れたらこの駅で待っていればいいわけだ。そう思ったら、気分が落ち着いた。なるようになるし、なるようにしかならない。


ひとめで水戸岡デザインとわかるインテリア

発車の時刻が少し過ぎたけれど、団体さんたちがもたついている。そのおかげで風ちゃんも間に合った。
「風よぉ、前からこんなに歩くの遅かったっけ」
ちょっとイヤミを言ってみる。
「いや、オレいつもこんな感じだけど」
ふだんはバイクに乗っているから、共に歩く機会は少ないな、と思い至る。
「なんで」
「いや、身体の調子が悪いのかな、と思って」
取り繕ったけれど、本音まじりである。何年か前に心筋梗塞と脳梗塞で急逝した父は。倒れる何年か前から歩みが遅かったそうだ。通夜で父の知人が話した。共に歩いていて、ふと気がつくと、かなり後ろにいたという状況が何度もあったらしい。葬儀の後、父のベッドの下から処方薬が大量に出てきた。同居の母や祖母には隠していたらしく、処方通りに服用していればあれほど残っていなかったと思われた。


本棚を備えた"走るリビング"

ともあれ、発車に間に合ったから良しとしよう。雨に濡れた人吉駅からKUMAが動き出す。私たちが乗ってきた肥薩線の線路を逆戻りして、しばらく走ったところで分岐すると相良藩願成寺駅に着く。国鉄時代は東人吉という名前だった。肥薩線の線路がほぼ並んでいるけれど駅はこちらだけだ。


肥薩線と別れる

くま川鉄道湯前線は元国鉄の湯前線だった。国鉄改革の流れで、湯前線は赤字ローカル線として廃止対象となった。それを地元自治体が引き継いで、1989年にくま川鉄道が発足。その時に東人吉は相良藩願成寺駅に改称され、同時に三つの駅を新設した。国鉄は分割民営化されJR九州になっていた。東人吉のままだと、JR九州の駅だと思われると考えたのだろうか。その後、人吉駅が人吉温泉駅になり、免田駅をあさぎり駅になった。


公園か、公園のような風景か

湯前線という路線名から、山奥の温泉町に行く列車を想像していたけれど、実際は平坦な地域を走っている。湯前線は人吉盆地の東西方向に敷かれた線路だ。盆地の西寄りに人吉市があって、人口は約3万4,000人。湯前線は球磨川の上流へ向かうように東へ進んで、相良村、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町を跨いでいる。これだけの自治体が参加すると、第3セクターのとりまとめもたいへんだ。


球磨川に沿って走る

観光車両のKUMAだからか、観光案内の車内放送もある。しかし団体客のおしゃべりやディーゼルエンジンの音のせいで断片的に聞こえる程度だ。川村駅を発車した後、自動音声が球磨川を紹介して、もうすぐ鉄橋があると言った。球磨川と川辺川の合流地点に架かる大きな橋だという。私たちも団体客も立ち上がり、左右の車窓を見比べた。なるほど雄大な眺めである。この鉄橋を渡った後は田んぼの中を走り続ける。雨天のため、遠景にあるはずの稜線は見えない。人いきれで窓ガラスも曇ってきた。悪天でもお客さんが多いとは良いことである。


左が川辺川、右が球磨川

-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。
<<杉山淳一の著書>>

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■著書
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