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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第503回:コンビナートの故郷感 - サンライズ瀬戸 2 -

更新日2014/02/27


07時18分、サンライズ瀬戸は岡山駅を発車した。51分遅れであった。ここから宇野線で、終着駅の宇野までが未乗区間である。もうウトウトしてはいられない。毛布と敷布をたたみ、浴衣を脱いでシャツを着る。ジーパンは窮屈になるから履かない。ベッドの脇に落としておいたクッションをベッドに乗せて背もたれとする。上半身を起こし足を伸ばした。入院患者の食事時のような格好になる。みっともないけれど、これができるから個室寝台はありがたい。

宇野線は単線だ。連絡船時代から本州と四国を結ぶ主要ルートだけど、単線でまかなえる経路だったか。青函トンネルは複線、関門トンネルも複線、本四架橋も複線だが、その岡山側は単線。四国との交流は少なかったか。あるいはもとより船のほうが盛んだったか……と思ったら複線になり、大元駅を過ぎてしばらくするとまた単線に戻った。

岡山を出ると、風景は都市の郊外といった風景で、住宅と畑が混在している。それは珍しくないけれど、雲の間から淡い日差しが差し込み、神の降臨のような風景となった。車内放送が児島着07時50分と告げた。48分遅れ。その先の案内はない。その先はJR四国管内となるし、通勤時間帯になる。予測がつかないのだろう。

大元駅の次、岡山から二つ目の備前西市で停車した。列車の行き違いをするという。私の寝台は進行方向左側だから、対向車線の様子は見えない。廊下に出ると、いくつか空き部屋があった。そのひとつを拝借する。ベッドは使用済みで、足元にシーツと毛布が畳んであった。行儀の良い客だったようだ。戻ったら私の個室もきれいにしようと思う。


個室寝台に朝陽が差し込む

コー……という、微かな金属音が聞こえて、8000系電車の流線型の顔が去って行く。特急しおかぜ1号、岡山駅07時23分発の松山行きである。本州と四国を結ぶ現代の主役だ。こちらも続行するかと思ったら、しばらく待たされて、こんどは対向の普通列車が到着する。黄色の115系。国鉄時代からの古い車体で、末期色と揶揄される電車である。隣の駅まで列車が1往復する時間を待たされたわけだ。

車内は通勤通学客で満員だ。ここは単線の通勤ラッシュ時間帯で、遠路はるばるやってきたサンライズは、正常ダイヤに割り込ませていただいている立場となる。国鉄時代だったら東京発の特急を優先したかもしれない。現在は地元のローカル列車が優先だ。もっともな話で、瀬戸内の通勤客が米原の鹿のせいで遅刻したと知ったら脱力するだろう。

また畑と住宅の景色となる。集団登校のランドセル姿が見える。いつもと同じ朝が始まった。いや、場違いな列車が通っているけれど、だれもこちらを見ていない。私だったら手を振っただろうと思うし、昔は必ず手を振る子がいたものだ。いまどきの子供たちは電車に関心がないらしい。東京発のサンライズは宇野線のスターのはずだ……寂しい。

また複線になった。宇野線は部分的に複線化されているようだ。列車の速度が上がった。目的地に急ぐためか、後続列車につつかれているか。そのスピードのまま茶屋町駅を通過し、ここから本四連絡線に入る。宇野線はここから東に向かって宇野駅に至る。あの方向も未乗区間だけど、明日の朝に乗る予定である。

サンライズ瀬戸はトンネルをくぐり、地上に顔を出すと駅があって、またトンネルに入る。それを繰り返して児島駅に着いた。ここで未乗区間は終わる。児島駅には2006年に四国側から訪れて、すぐに引き返した。つい最近のように思っているけれど、もう7年も前である。旅を書いて残すと、記憶が深く彫り込まれるようだ。


児島で未乗区間終了……と思ったけど

同じホームの向かい側に岡山方面行きの貨物列車が停まっていた。2面4線の駅で、なぜ同じホームに逆向きの列車がいるのだろうと思ったら、こちらが岡山行きのホームに入っていた。ダイヤの隙間にサンライズを割り込ませる。運行指令の臨機応変の采配だろうか。

児島駅を発車して、また貨物列車とすれ違った。どこへ行く列車かわからないけれど、続行運転とは珍しい。あちらも米原の事故の影響で出発を待たされた列車が一斉に動き出したもしれない。それにしても、貨物列車が多いとうれしい。鉄道が役に立っているんだな、と思える。

車内放送。児島で車掌が交代したという。児島駅はJR西日本とJR四国の境界だ。7年前に買ったJR四国のバースディパスも児島駅までフリー区間だった。そして7年ぶりに本四架橋を渡る。タテとナナメの柱が流れていき、その向こうに瀬戸内の島が見える。パラパラ漫画のような車窓だ。


本四架橋に進入

本四架橋の岡山側は倉敷市下津井、漁村である。1990年まで、児島から下津井港まで下津井電鉄があった。高校の修学旅行で乗ったはずだ。ということは、宇野線の児島までは当時乗っていたはず、と気づいた。もっとも、当時の記憶は微かだ。書いて残していないからだろう。今回の乗車を記録しよう。

架橋はいくつかの島をたどる。海に出るともう県境で、最初にさしかかる島は香川県坂出市の櫃石島。ひついしじまと読む。ここも漁業の島。次の岩黒島は小さくて、足元にあるから車窓に現れない。ほかにも小さな島が橋脚の土台になっている。次の大きな島は与島。観光と漁業の島。本四架橋のパーキングエリアがある。駅はない。


瀬戸の島々を遠望する

次に現れる陸地が四国、香川県の坂出だ。こちらは工業地帯で、船体にLNGと大書されたタンカーがたたずむ。四国に帰省する人々は、このコンビナートやタンカーを見て、帰ってきたと安堵するのだろうか。私も列車で東京に帰ると、高層ビルや住宅密集地に懐かしさを感じる。羽田空港に降りるときは川崎の工業地帯を見て旅の終わりを悟る。それは自然のない無機質な感覚で、寂しいけれど、それが私の故郷である。


坂出側はコンビナート

本四架橋を渡りきったところで車内放送があった。「列車が遅れましたことをおことわり申し上げます」という。なんだか変だ。この場合、おことわり、と言うだろうか。言い間違いか、香川県の方言か。「お詫びします」が相応しいような気もするけれど、原因は鹿だし、当該列車はJR貨物の運行だ。JR四国が詫びるというのも変だ。

いやまて。困っている客は岡山でしおかぜに乗り換えているはずだ。個室の空きはそんな客たちかもしれない。そうなると、サンライズの客は遅れた列車を選んでいるといえる……。うーむ。7年ぶりの四国の風景を眺めつつ、言葉の迷宮に迷い込む。頭脳が思考を欲している。よく眠れた証拠だろう。


高松駅に到着、約1時間遅れ

08時23分。高松駅着。56分遅れ。同じ料金で1時間も長くサンライズに乗れた。北側の端の9番ホームであった。高松駅のホームは行き止まり式で、はるばる到着した感がある。駅名標に「うどん県 さぬきうどん駅」と併記されており、おもしろがって記念写真を撮るグループがいる。そういえば、7年前の旅では本場のさぬきうどんを食べていなかった。今日はどこかで食べてみようか。


駅名標に「うどん県さぬきうどん駅」


フリーゲージ新幹線直通、実現したら乗りたい

…つづく

 

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

<<杉山淳一の著書>>

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■著書
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