第512回:秘伝のバス停 - 井笠バス 小田~新山 -
井原鉄道の小田駅は築堤の上にある。民家でいえば3階あたり。駅舎はない。階段を下りると駅舎のような建物がある。本当は駅舎にするつもりだったと思われる。しかし、現在の用途は観光案内所のようだ。待合室のような場所には入れた。窓口に人影はない。
駅前にはロータリーがある。しかしバス停の標識はない。ロータリーの中心に歌碑があった。“正徹生誕の地”とある。正徹は室町時代に2,000首を残した歌人とのこと。室町時代の古典学者としても功績があり、現在の『徒然草』は、正徹の写本が基礎となっているという。功績は大きいと思うけれど、観光の素材としては地味かもしれない。
小田駅前ロータリーと正徹の記念碑
案内所で自転車を借りられるはずだ。こういう施設は10時から始業かもしれない。あと30分ほどある。掲示物の中にバスの時刻表があった。いくつか路線があるようだが、小田の文字がある路線は一つだけだ。それも小田東とあって、小田駅ではない。ほかの路線はこの付近を通るかどうかもわからない。通るから掲示していると思いたいけれど、関係各所にばらまいたようでもある。小田東停留所を記載した掲示物は井笠バスカンパニーの時刻で、4月からである。今日は3月19日だ。これはこのまま使えると思っていいだろうか。
困りつつ、建物内のトイレに用を足しにいく。掃除中の係員がいる。どうもこの方がこの建物の係員のようである。新山行きのバス乗り場はどこかと聞くと、道路沿いのコンビニの前だという。それは50メートルほど離れたところにあった。バス停には時刻表が掲示されているはずだ。とりあえず行ってみて、しばらくバスが来ないなら自転車を借りよう。
電柱のそばにある停留所標識。これは逆方向行き
このバス路線こそ、破綻した井笠鉄道が運行していた路線である。いきなり事業撤退となっては不便だと、地元自治体の要請を受けて両備グループの中国バスが引き継いでいる。現在は暫定運行で、4月からは掲示にあったように井笠バスカンパニーという事業会社が設立される予定だ。両備グループは岡山電気鉄道なども運行し、南海が廃止した貴志川線を引き受け、和歌山電鐡として再生させた。和歌山電鐡は猫のタマ駅長で話題になっている。
バス停の標識はコンビニの敷地の片隅にあった。コンクリートの錘の上に竹馬のような対のポールを立て、間に掲示板を固定してある。簡素でバス停らしくない。停留所通過時刻表があって、約1時間に1本。次は09時55分。あと30分ほどだ。行き先は矢掛だけ。いやまてよ、この行き先でいいのか。矢掛はさっき列車で通過した駅だ。路線図がないから不安になる。目的地である新山の文字がどこにもない。
反対方向のバス停も見てみようと道路の向こうを見渡した。しかしバス停の標識は見あたらない。反対方向の標識がないという経験は時々あるので、ここもそうかもしれない。いや、行きと帰りでルートが違うバスだろうか。どうにもハッキリしないから、時刻表の脇の電話番号に問い合わせた。このバス路線は確かに新山を通る。しかし矢掛は逆方向とのことだった。「笠岡行きに乗ってください」と言われた。
では逆向きのバスはどこに停まるか、標識が見あたらないと切実に訴える。しばらく待たされて、寿司屋のそばだと言われた。その寿司屋はどこなんだ。これ以上は電話の向こうでも対処のしようがないようだ。礼を言って電話を切り、歩く。こうなったら意地でもバスに乗ってやる。
やっと見つけた笠岡行きバス停
自転車に乗ったおばさんが通りかかる。バス停の場所を聞く。ふだん乗らないからわからないと言う。地元の人だろうに……。次に通りかかったおじいさんにも聞く。「そういえばあったな」と懐かしそうな表情だ。バス停では思い出せないか。では寿司屋はどこかと聞くと、この先にあると教えてくれた。コンビニから100メートルも離れた場所だった。
広いスペースがあるけど路線図はなし
寿司屋は出前が主なようだ。店の看板は小さな行灯タイプで、光らないとわかりにくい。そしてバス停はというと、その寿司屋の壁と平行して、細長い掲示板タイプが立っていた。薄いし、道路と垂直になっていないから、遠くから見てもわからないわけだ。バスの通過予定時刻は10時17分。約30分後である。小田駅到着から57分後となった。はじめからレンタサイクルにすべきだったか。あるいは歩けばよかったか。
それにしても、井笠バスが乗客減で廃止になった理由がわかるような気がした。バス停に路線図も貼らない。反対側停留所の位置も表示しない。東京のバスなら当たり前のことができていない。バスに乗りたくても乗れない。地元の人々も認知できていないかもしれない。だいたい、バス停は100メートルくらい先から見えるようでないといけない。
両備グループの社長氏は公共交通のエキスパートで著書もある。そんな会社なら、真っ先に手を付けるべきところだ。しかし、ここでは放置されている。ネットに路線図も時刻表もなかった。らしくないな、と思う。引き継いだばかりだから、これから改善されるだろう。
矢掛行きのバスが定刻に通過
30分を携帯端末で遊びながら待つ。ちょっと散歩したいところだけど、不安でバス停から離れられない。田舎のバスは早着、早発もある。時刻表だって“通過予定時刻”となっている。1本逃すと1時間後である。待っていると、対側の車線を矢掛行きのバスが通った。あの色のバスがこちらにも来るのだと心得た。それから約1分。笠岡行きバスがきた。後ろから乗って整理券を取る。声を大きくして、運転手に「新山は通りますか」と聞くと、「はい通りますよ」と返事がある。運転手はバス停より何倍も愛想がいい。
笠岡行きバスが来た
バスには先客が二人。ふたつ先の停留所から3人乗ってきた。私の席のふたつ前方に母と少女が乗っている。少女の手に「合格おめでとうございます」と記された書類がある。春だな、と思う。“中の才”という停留所で母娘は降りた。4月からこのバスで通学するのだろう。「バスに乗る練習をしないとバス停を見つけられずに遅刻しちゃうぞ」と思う。いや、地元だから大丈夫か。親から子へ、先輩から後輩へ、バス停の位置は語り継がれる。旅人には教えを乞うまで教えない。田舎のバス停は秘伝のアイテムであった。
旧井笠鉄道のルートを行く
車窓から見えた梅林
-…つづく
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