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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第536回:阿里山の約束 - SL人吉2 -

更新日2015/01/08

SL人吉の客車は3両編成で、両端の客車に展望スペースがある。ここは指定席ではなくフリースペースだ。一勝地駅の発車間際、機関車寄りの展望スペースに行ってみたら、そこに風ちゃんが座っている。蒸気機関車のお尻を見てニヤニヤしていた。彼なりに楽しんでいるようで何よりである。ほかのお客さんはいない。みな、外で機関車や駅の写真を撮っている。つまり、展望車の室内を撮影するチャンスというわけだ。
「風ちゃん、そこ退いて。室内の写真を撮るから」
「びでぇなあ」
ひどいと言われても、ほんの数秒である。
機関車側の展望車は、正面に炭水車のお尻があって視界はふさがれている。ただし、機関車の真後ろだから、当然ながら機関車の音はよく聞こえる。煤の匂いも濃い。


お客さんが外に出た隙に展望スペースを撮影

進行方向右手は側面窓を背にしたベンチ、左側は展望窓を向いた一人用の椅子。展望窓の正面、機関車のプレートを眺める位置に小さなベンチがある。お子さま用だ。大人除けでもある。ここを子供用にすれば、展望窓を大人たちがふさがない。後ろの席からも展望を楽しめる。水戸岡鋭治さんのデザインには、こうした配慮が行き届いている。誰もが意識することなく、自然に意図通りの使われ方になる。デザインの魔法といえる。

車窓右手に球磨川が見える。雨天のせいか、水面は灰緑色だ。川岸の木々の緑色が濃い。雨の景色もまた趣がある。しかし、その風景が霞んできた。窓が曇っている。一勝地駅で長時間停車し、その間に客車の扉が開いていたから、外の湿った空気が客室内に充填された。そして、暖房と人いきれで窓ガラスが曇る。外の景色はよいけれど、残念である。


球磨川は灰緑色

列車は球泉洞駅を通過して白石駅に停まった。球泉洞は九州でもっとも長い鍾乳洞だ。特急の観光地のはずだけど、SL人吉は通過する。肥薩線は歴史のある路線であり、各駅にそれぞれの見所があって、いちいち停めたらキリがないかもしれない。白石駅も開業当時の、つまり明治時代からの木造駅舎が残っているという。停車時間が短いから外にでないで、と案内放送があった。時刻表では5分停車となっている。停車時間は長いほうだと思うけれど、ここでまた記念撮影大会が始まれば5分ではすまない。一勝地駅でも発車が遅れるかもしれないから、白石駅の5分は調整時間かもしれない。

時刻表によると次の停車駅は坂本駅だ。しかしSL人吉は瀬戸石駅に停車した。列車のすれ違いのための停車である。私は最後尾の展望ラウンジへ行ってみた。すれ違い、去っていく列車を展望車から見送ろうと考えた。同じことを考える人は多いようで、後部展望ラウンジは満席。しかも人が多いせいで窓ガラスが曇っていた。その霞み越しに赤い特急列車が透けて見えた。人吉行きの九州横断特急である。特急列車を定時で運行するために、SL人吉もダイヤを守らなくてはいけない。


運転停車で特急とすれ違う

しばらくぶりで自分の席に戻った。瀬戸石駅を過ぎると鉄橋を渡り、球磨川は車窓左手に移った。景色は少し地味になった。坂本駅では8分の停車。ホームで地元の人々が寿司を売っている。焼きさばや青みの魚の寿司が並ぶ。これらが郷土料理だとすると、海に近づいたと言うことだろう。八代で水揚げされた魚が球磨川で運ばれた。あるいは鉄道のおかげで、ここまで鮮魚を運べるようになった。そんな歴史を想像する。

台湾人夫婦は景色を楽しんでいる様子だった。私は台湾に行ったことがあるんだ。そう言うと、「どうだった?」と聞き返した。台北だけだけど、あの街には中国大陸の料理がすべて揃っている。すばらしい。そう言うと二人は嬉しそうに頷いた。そして、お返しだろうか、日本もすばらしい国だ、誰もが親切だと言った。私は「2年前の東日本大震災で、台湾からの義捐金がたくさん届いたと聞いている。政府はメッセージを出していないけれど、日本の人々はみな、台湾の人々に感謝している」と伝えた。それは当たり前のことなのだ、と二人は言った。


曇りガラスを拭いて景色を眺める

日本と台湾の外交は面倒だ。しかし民間の交流は多い。私が「日本のコンピューター製品は台湾の部品をたくさん使っているよ。私の自作PCのマザーボードはアスースだ」と言ったら、ご主人が得たりという顔をした。奥さんが、この人はアスースに勤めていると言った。そうなのか。それからしばらく、コンピューターの話をした。薄型のノートPCやタブレットの性能がかなり良いという。


坂本駅、地元のお弁当コーナーの賑わい

今日の天気は思わしくないけれど、肥薩線の車窓は日本が誇れる景色だと思う。私は30年前の9月に肥薩線に乗っている。八代から人吉へ向かう気動車だった。残暑の強い陽射しのなかで、球磨川の水面はきらきらと輝き、筏に乗った人が竿を突いて、ゆったりと流れに任せていた。目を上げれば濃い緑色の山が近づいてくる。その風景を今でも思い出す。そうだ。そのひと月ほど前に、私は家族旅行でドイツのローレライを眺めていた。灰色の空の下、高い崖があり、荘厳な風景であった。球磨川の景色はそれと互角、いやそれ以上だ。自国の風景を知らずして、海外の景色を崇めてはいけないと思った。


八代駅の手前で肥薩おれんじ鉄道と合流

列車は高速道路と新幹線の高架をくぐった。左手の車窓に球磨川の対岸が見える。川幅が広くなったようだ。そして八代駅に到着。停車時間は1分。降りていく人がいる。相席の夫婦も身の回りを片づけ始めた。次の新八代で新幹線に乗り換えると言っていた。走行時間は5分だけだ。席を立つとき、奥さんが「阿里山鉄道に乗るときは声をかけてね」と言ってくれた。私は日本の鉄道のほぼすべてを乗っていて、次は台湾だと話した。それを覚えていてくれたらしい。夫婦は阿里山の近くに住んでいるそうだ。


新八代駅に到着

新八代から熊本までは約40分。鹿児島本線に入って、SL人吉はスピードを上げた。私はおもむろに鞄を開け、栗めし弁当を取り出して蓋を開けた。向かいに座る夫婦に気兼ねして食べられなかった。空腹の限界だ。


16時半過ぎ、やっとランチタイム

-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。

<<杉山淳一の著書>>

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■著書
『列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法: 時刻表からは読めない多種多彩な運行ドラマ!』


列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法
杉山淳一 著


『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。』 ~日本全国列車旅、達人のとっておき33選~』

ぼくは乗り鉄、おでかけ日和
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『みんなのA列車で行こうPC 公式ガイドブック (LOGiN BOOKS)』

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