■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から


Grace Joy
(グレース・ジョイ)



中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。




第1回~第50回まで
第51回~第100回まで

第101回:外国で暮らすこと
第102回:シーザーの偉大さ
第103回:マリファナとドーピングの違い
第104回:やってくれますね~ 中川さん
第105回:毎度お騒がせしております。チリカミ交換です。
第106回:アメリカのお葬式
第107回:不況知らずの肥大産業
第108回:ユニホームとドレスコード
第109回:大統領の人気投票ランキング
第110回:ストリップ
第111回:ストリップ その2
第112回:アメリカの裁判員制度
第113回:愛とLOVEとの違い
第114回:ブラックベアー
第115回:父なき子と母子家庭
第116回:世界に影響を及ぼした100人
第117回:当てにならない"誓いの言葉"
第118回:東西公共事業事情
第119回:"純"離れの文学賞
第120回:国歌斉唱と愛国心
第121回:世界で一番物価の高い町は…
第122回:国旗を逆さまに揚げた神父さん
第123回:子供を成長させるサマーキャンプ
第124回:現代版オロチ出没
第125回:アメリカの幼児死亡率の現実
第126回:初秋の頃の野生動物たち
第127回:新学期に思うこと
第128回:日本人と文化の厚み
第129回:情操教育と学力の差
第130回:自然保護と胃袋の関係
第131回:ブームタウンとゴーストタウン
第132回:オリンピックに想うこと その1
第133回:オリンピックに想うこと その2
第134回:オリンピックに想うこと その3
第135回:ウチの仙人とスーパーお爺さん
第136回:全体主義とスポーツ
第137回:またまたオリンピックのこと
第138回:アメリカの予備校事情 その1
第139回:アメリカの予備校事情 その2
第140回:夢のカルフォルニア その1
第141回:夢のカルフォルニア その2
第142回:アメリカのボーナス


■更新予定日:毎週木曜日

第143回:築地と東京の間~呼び方の違い

更新日2010/01/21


化石化した日本人のダンナを持つ身としては、日本中心ですが、アジア全体の現状、歴史、ホンノ少し経済と政治に興味を持ち、精一杯そんな本を読むようにしています。当のダンナの方は、アメリカの歴史、文学、ジャーナリズムにやたら詳しく、雑学の権威と呼んでいいくらいです。

そんなダンナさんと中国のことを話したところ、さっぱり話が通じないのです。人名も、地名も、帝国の呼び方すら、日本式と英語、米語式とはかけ離れた呼び方をしているからです。

今では日本でも、「マオ・ツオトン」と言えば「モー・タクトウ(毛沢東)」のことだと誰でも分かるでしょうけど、「チャン・カイシュック」は誰でしょう? 「ショー・カイセキ(蒋介石)」のことです。漢字で表した人命、地名はすべて原地の発音ではなく、日本式の訓読みにしてしまうので、文化的に非常に近いく、お互いに大きな影響を与え合っているにもかかわらず、耳だけで聞くと、これは一体誰のことだ、どこのことだとトンチンカンになってしまうのでしょうね。漢字にとらわれない西欧の呼び方の方が、中国の原音に近いと言ってよいでしょう。

西欧の国々では、アルファベット、ローマ字(フェニキア文字)を共用しているので、同じようなことが起ります。ローマ字の読み方に比較的忠実なラテン語系(イタリア語、スペイン語)の地名、人名はドイツ人が読んでも、英米人が発音しても、お国訛りが出るくらいのもので、通じますが、フランス、ドイツ、スラブ系の地名、人名を英米人が読むと、すべて英語流になってしまいます。書かれたアルファベットを自国流に発音するので、どうしても妙なことになり、カタカナで書かれた日本語的な呼び方の方が、原音に近いように思います。

「ミュンヘン」は、英語で「ミュニチ」もしくは「ミュニック」、「ウイーン」は英語で「ヴィエナ」、「プラハ」は「プラーグ」と日本のカタカナ読みの方が程度の問題ですが、原音に近く、地元の人に分かってもらえそうです。

日本でアルバイトとして英語を教えていた時、生徒さん(主にサラリーマン、お医者さんたちでした)と喫茶店、居酒屋に行く機会がたくさんありました。大昔のことですが。そんな時、どうしてでしょうか、私にむやみやたらに難しい哲学や国際政治の話を聞かせたがる、したがる人が結構いて、閉口させられました(あれは悪い癖です。止めたほうがいいですよ)。

そんな話題から救いの手を差し伸べてくれるように、一人の歯医者さんが猿を捕る話を始めたのです。きっと日本に猿が多いから、何か特別な生け捕りの仕方があるのだろうと、耳をそばだてていたところ、どうもこれも猿の捕り方にも哲学が影響しているようで、話が到って難しいのです。私に"猿捕る"をどう思うかと尋ねるのです。私はもちろん猿を生け捕りにしたこともないし、野生の猿など見たことがありませんので、全く知らないと答えたところ、彼は優越感と軽蔑の入り混じった顔をいまでも覚えているくらい、印象的な表情を作り、「エッツ、何? サルトルも知らないの」と、のたまったのです。

話が当時大流行の実存主義のことだったところから、やっと「アア、サーターのことか」と納得がいったのです。日本語流の「サルトル」も英語流の「サーター」もフランス語の原音からかなり離れているのではないでしょうか。

ギリシャ人の名前となると、母音の強さ明快さがある日本的な呼び方に軍配をあげたくなります。「ソクラテス」が「ソックラティーズ」では、なんだかデガラシの紅茶みたいだし、「アリストテレス」も英語流の「エーラスタトル」では日向ボッコをしている亀みたいです。

でもあまりに日本語的になった「築地です」という言い方はいかがなモンでしょう。ギリシャの大歴史家「ツキジデス」のことなんですが、英語風に読むとどういうわけか築地が東京になるのです。カタカナで書くと「ツーキューディディース」となり、「東京です」と駅員さんのホームアナウンス風に呼ぶと、英米人に比較的通じるかもしれませんよ。

 

 

第144回:マグロの味とマグロの命