第105回:毎度お騒がせしております。チリカミ交換です。
更新日2009/04/16
大昔、初めて日本に住んだときの思い出として残っているのは、お醤油の臭いです。梅田の地下街、住んでいた吹田の狭い商店街にお醤油の臭いがいつもほのかに漂っていました。私はお醤油が好きですから、食欲が注がれますが、丁度ツワリの真っ最中だったスペイン女性はお醤油の臭いが鼻につき、とても苦しんでいました。臭いの記憶は鼻につくものです。
音の方はと言いますと、"チリカミ交換"をスピーカーで流している声が耳に残っています。古新聞、古雑誌がトイレットペーパーに生まれ変わる発想に驚き、感動さえしました。今流に言えば資源を大切にしたリサイクルと言うことでしょうね。
アメリカでもやっと重い腰を上げ、紙、ガラス、プラスチック、ペットボトルなどのリサイクルが始まったところです。アメリカ人は土地は無限大にあり、森林も無尽蔵なら、石油も鉄棒で地面にチョコンと穴を開ければいくらでも吹き出てくると思っていましたから、わざわざ面倒なリサイクルをする必要を認めていなかったのです。
日本は世界に誇るリサイクル先進国です。紙類の98%、ガラスの96%をリサイクルしています。日本以上にリサイクルを強いる国は、ガラスに限って云えばスエーデンとデンマークだけです。
これらの国のガラスリサイクル率は100%を超えています。100%を超えるなんてことはありえないと思って調べてみたら、古いガラス、ビンなどを輸入し再生していました。パルプの安いスエーデン、デンマークでの紙のリサイクルは日本に遠く及びませんが。
私たちが山に移り住んだ時、最初の大きなチャレンジはゴミの清掃でした。そうなのです、山の土地を購入した時、美しい岩山や木立に目を奪われ、足元をまで目が行かなかったのです。何本も走っているドライクリークに、ハンターたちがキャンプし、投げ捨てて行った残骸、スタイロフォームのカップやお皿にはじまり、古タイヤ、壊れた冷蔵庫、冷凍庫などの大型ゴミまで散らかっていたのです。
ゴミ専用のコンテナトラックを雇ってそれらをを運び出し、町の指定する埋立地まで運んだのです。土地が広いとそれだけ散らかっている大型ゴミも多く、義理のお姉さんや私の父、甥などの助けを借りても森をきれいにするのに3ヵ月かかりました。
アメリカはパッケージ社会ですから、どんな食料品でも必ず包装されています。 必要もないのにスタイロフォームのお皿に乗せ、サランラップで包んで陳列されています。できるだけそのような包装をしているモノを買わないようにしていますが、万が一買ったときは、スーパーの前でバリバリと包装を破り、中身だけを家に持ち帰るようにしています。
残飯はコンポストにし、紙類は町がようやく重い腰を上げて用意した所定のリサイクルコンテナまで運んでいます。時間もかかり、面倒なことですが、こうして意識的に自分が出すゴミを減らしてみると、一週間に小さな袋一つにもならないことに気がつきました。
私たち、消費者ができることは悲しくなるほど些細なことでしかありません。
大昔、スペインの田舎で暮らしたとき、市場で買い物をすると、誰もが持ち歩いているワラで編んだバスケットにバラで直接入れ、芋の泥がりんごや果物に付くのを見て、なんと乱暴なやり方だとあきれたものですが、あれは案外先進的なやり方だったのかもしれませんね。
第106回:アメリカのお葬式

