第136回:全体主義とスポーツ
更新日2009/11/19
イスラム教徒の女性がスカーフを被っている情景は、アメリカでもよく見受けられます。髪の毛を全く見せてはいけない宗派とか、レースのように透き通るスカーフでも、何でもなんとなく頭に巻いてあればそれでよしとする宗派など、様々なようです。
イスラムの女性の間では、スカーフはオシャレのアクセントになっており、きっと服装や行事に合わせ、何枚も持っているのでしょう。
ヒラリー・クリントンも、先日のパキスタン訪問の時には、スカーフを頭から被って会談に及び、記者会見に応じていました。
イスラムの女性スポーツ選手たちも、スカーフではなく、丈夫な布で防空頭巾のようにしっかりと頭髪を覆い隠して競技をしています。体にピッタリ張り付くような陸上競技用のウエアーに頭巾は少し異様な感じですが、それは、彼ら、彼女らの心情が決めることですから、外から見た目で非難できるスジものではありません。
イスラム教徒の女性が頭髪を見せないことを、腋毛を剃ったり、抜いたりして決して見せない西欧の女性たちが笑うことはできません。西欧のオリンピック女性選手で、腋毛を落さずそのままワッサリと生やして人はいません。腋の下に毛があるのは自然なことなのですが、生やしたままにすることはタブーであるかのように見事に皆が皆剃り落しています。
日本水泳連盟が、茶髪、ピアス、爪に絵を描くマニキュアを禁止したそうです。日本水泳連盟は宗教ではありませんから、信者の服装を規制するように、個人のファッションを規制するのは、見当違いもいいところなんですが、それに対する反乱も起きていない様子です。
何でも規定どおりに画一化した枠にはめ込もう、それがただ外見、見てくれのためだけにしろ、個性の発露は抑えてしまえという日本水泳連盟の決定に、全体主義な臭いを感じるのはわたしだけかしら。
水泳ですから、ゼロ・コンマ・ゼロ1秒でも速く泳ぐことだけが勝負のはずです。選手たちの中には、見られること、声援をかけられることで人一倍力を発揮する者もいるでしょう。女性の場合、髪形で、パーマをかけるか、何色に染めるかなどのヘアースタイルは容姿の要です。何色に染めようが、それは全く個人の問題です。それが自分に似合うと感じれば、ノビノビと泳ぎ、記録が伸びるかもしれません。
髪が何色であろうが、指の爪にどんな絵が描いてあろうが、水の抵抗が大きくなるわけではありませんし、どちらにしろ競泳の時にはピッタリと頭に張り付くような帽子をかぶっているのですから、競技そのものには全く影響がないはずです。
日本水泳連盟の幹部の人たちで、白髪を染めたりやカツラを被っている人はいないのかしら。
私としては、日本の水泳選手が昇り龍や鯉の滝登りの刺青を背中に彫って、ブッチギリで勝つことを期待しているのですが。
第137回:またまたオリンピックのこと