第133回:オリンピックに想うこと その2
更新日2009/10/29
オリンピックが理想とした"アマチュアイズム"、そして"参加することに意義がある"という標語は随分昔に死んでしまったように思えます。
スポーツがコマーシャリズムと結びついてからもう久しくなります。典型的なのがアメリカンフットボールやプロ野球の選手、世界的にはサッカーのプレイヤーで、選手が巨額の契約金で動くのは当たり前のことです。オリンピックの選手でもどこからもお金を貰わず、スポンサーもなく、所属する会社や団体からの援助なしに選手生活ができるとは誰も思っていません。スポーツ選手であることを続けるだけでもお金がかかるのでしょう。
私には、貧乏な発展途上国でもオリンピックを開くことを可能にする妙案があります。
すでにアマチュアの精神は死んでいるのですから、すべての競技をバクチの対象としてしまうのです。開催国のオリンピック委員会が胴元になって、馬券ならぬ人券を発売し、優勝した選手に大きな配当、もしくは年金が支払われるようにするのです。
競馬や競輪は賭けがあってはじめて成り立っていますし、サッカーのトトカルチョはすでに当たり前のように行われ、大成功しています。賭けに勝った人はもちろんですが、賭け事の常で、一番儲かるのは胴元、すなわち開催国の懐に大金が舞い込むことになります。
これですと、貧しい国の選手も賞金を手にすることができるし、大穴が出れば、その入賞者、入賞チームの選手は大いに潤います。単勝券だけでなく、幅を持たせ、陸上なら、100、200、400、800、1,500、5,000メートル、マラソンのすべての勝者を当てる、宝くじのように確立は少ないけれど、万が一当ると莫大な配当になる、賭けも用意します。観衆もこれまでになく盛り上がることは請合います(私が請合っても意味はありませんが…)。
こんな公認の賭けから得る収益は莫大な金額になるでしょうから、アフリカ、アジアの貧しい国でのオリンピック開催が可能になるでしょう。
もう一つ、開催以前に建てなければならないスタジアム、競技場もすべてスポンサー付きの入札システムにすれば、開催国や都市の出費が抑えられます。陸上競技のスタジアムは、ナイキスタジアムとかマイクロソフトスタジアム、水泳はスピードまたはミズノ競泳場、サッカーはゲイトレイト競技場と、スポンサーに競技場を建てて貰うのです。
オリンピックをお金がかからず、しかも儲かるイベントにして、どんな国でも主催できるようにしなければ、今のように、一部の国の間で開催をタライ回しにしていたのでは、次第に第三世界の国から愛想をつかされ、消滅していくかもしれません。
また、オリンピックが政治を離れた純粋なスポーツの祭典だというのは、全くの幻想であることは歴史が示しています。
1940年の東京オリンピックは返上され、第二候補地だったヘルシンキに回され、それも中止になりましたし、同年に行われる予定だった冬季札幌オリンピックもスイスのサンモリッツに取って代わられ、そこもダメになり、なんとドイツのガルミッシュになりましたが、結局中止になりました。1944年のロンドン大会も戦争のため開催できず、1948年に繰り越されました。
オリンピックの歴史の中で、IOC自体が政治に関わった大きな間違いは、1952年までオリンピックの参加を日本とドイツに認めなかったことでしょう。敗戦国への罰、イジメ以外のなにものでもありません。そこには高らかに謳った『人種、国境、政治を離れたスポーツ精神』はありません。
政治の方も、オリンピックを盛んに利用し始めます。よく何々オリンピックは大成功だったとか言いますが、誰にとって大成功だったのでしょう。ヒットラーにとって、1936年のベルリンオリンピックは大成功でしたが、その成功が彼らを増長させ、アーリア人種の優秀性、しいてはユダヤ人、ジプシー、障害者の大量虐殺に繋がっていったとも言えます。後知恵ですが、連合国側はこぞってナチスによるベルリンオリンピックを失敗に導くべきだったのです。
弱冠32歳だったレニ・フェンシュタールが撮ったベルリンオリンピックの記録映画『民族の祭典』『美の祭典』は最高と言われていますが、レニは戦後、ナチ協力者の烙印を押され、その後101歳で亡くなるまでの70年間、映画制作者、監督の道が閉ざされてしまいます。彼女も政治に利用された犠牲者の一人なのかもしれません。
第134回:オリンピックに想うこと その3