■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から


Grace Joy
(グレース・ジョイ)



中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。




第1回~第50回まで
第51回~第100回まで

第101回:外国で暮らすこと
第102回:シーザーの偉大さ
第103回:マリファナとドーピングの違い
第104回:やってくれますね~ 中川さん
第105回:毎度お騒がせしております。チリカミ交換です。
第106回:アメリカのお葬式
第107回:不況知らずの肥大産業
第108回:ユニホームとドレスコード
第109回:大統領の人気投票ランキング
第110回:ストリップ
第111回:ストリップ その2
第112回:アメリカの裁判員制度


■更新予定日:毎週木曜日

第113回:愛とLOVEとの違い

更新日2009/06/11


昔、聖書を日本語に訳す時、英語の"love"にピタリと当てはまる日本語がなく、「神のお大切」とか「神のお大事」とやっていたことはよく知られています。

Loveの使われ方、意味合いも流動的に変わってきています。恐らくヒッピージェネレーション時代、ジョン・レノンあたりから、「ラブ・アンド・ピース」が合言葉になり、もっと気軽に誰もがどんなことにでも使うようになったのでしょう。

マイケル・ジャクソンが10万人の観衆に向かって"I love you"と叫ぶと、なんと10万人の一人ひとりが自分個人へのメッセージとして受け取り、涙を流して感動する現象はマイケル・ジャクソンが言語に新しい力を見出し、新しい意味を与えているかのように見えます。

英語のloveは深遠な神様の愛から、マイケル・ジャクソンがコンサートで叫ぶ「愛」(神様の声に近いのかもしれませんが)、そして対象は人間や動物に限らず、食べ物、スポーツ、趣味、家具や道具に到るまで、何でもかんでもloveで表現します。アメリカのプロバスケットボール、NBAのキャンペーンは"I love NBA"です。

一方、日本語で『私は貴方を愛しています』などと言うと、いかにも逐語訳的で、感情の伴わない、むしろ滑稽な表現になってしまいます。もっとも若い世代は平気で「愛してるよ」と自然に口から出るようですが、うちのダンナさんくらいの老齢の耳には、なんともぎこちなく、ウソ臭く響くそうです。

若い日本のロック・シンガーも、コンサート会場で「愛しているよ」とはやらないでしょう。

食べ物や趣味に対しても「私はチョコレイトを愛している」とは言わず、「大好きだ」と言うのではないかしら。それが英語だと"Ilove chocolate"となります。 

西欧的「愛」という概念が、日本になかったわけではありません。日本に儒教が入り込み、官制の教えとして儒教道徳が支配的になる以前、徳川時代以前には恋愛を謳歌する歌が沢山残っていますし、平安時代の女性の文学はほとんどすべて恋愛モノだと言っても良いでしょう。

私が年老いた両親や兄弟、従姉妹たちに電話し、切る時、両親も私も必ず"I love you"と言います。仙人じみたうちのダンナさんは、そんな私たちの会話を聞き、"I love you"の大バーゲンだなと笑いますが、"I love you"は、マー、元気でね、さようなら、くらいの意味です。

そういえば、こんなに長く一緒に暮らしているうちのダンナさんが私に"I love you"と最後に言ったのはいつのことだったのか、恐らく半世紀以前に聞いたような気もしますが、私の耳まで届かなかったのか、全く記憶がありません。

これからどちらが先に死ぬにしろ、それまでにウチのダンナさんの口から"I love you"が出ることはなさそうです。それとも、"我がお大切""我がお大事"とでももらすのかしら? それもなさそうですが…。

 

 

第114回:ブラックベアー