第180回:卯→うさぎで思い出すこと
卯年ということである。私の知り合いには、なぜか卯年生まれの人がほとんどおらず、7歳、19歳、31歳、43歳と自分自身の区切りの年からも外れており、十二支の中でも最も縁の薄い年だという印象を昔から持っていた。
ところが、今の店を開業したのが12年前の卯年だったため、干支一回りしたのだなあという幾分の感慨もあって、若干ではあるが親近感のようなものが湧きつつある。今年の後半に購入するリズモア12年は、私の店ができた卯年生まれのウイスキーなんだなあと思う程度に。
そもそも兎そのものについてはどうなのだろう。「うさぎ」と聞いてとっさに思い浮かぶのは、ピーター・ラビットとバックス・バニー、そしてバニー・ガールあたりか。
もう30年近く前、名古屋にあった「ザ・ロイヤル」というバニー・ガール・クラブに入ったことがある。そこでのバニー・ガールの膝小僧を地面につけて接客する姿勢に、何かとても戸惑ってしまい、落ち着いて飲めなかった。あれはうさぎの姿を模したものだったのだろうか。
昔話などに出てくるうさぎたち。まずは、イソップ寓話などの『ウサギとカメ』のうさぎは、傲慢で怠惰な性格の持ち主である。日本に来ても『因幡の白ウサギ』はワニを騙したことにより、酷い目に遭っている。
『かちかち山』にいたっては、知人の仇討ちとはいえ、狸に嘘をついて火傷を負わせ、芥子を塗らせて傷口をさらに悪化させ、仕舞いには泥船に乗せて沈ませ、溺れ死にさせてしまうという、虐待の限りを尽くす冷酷ぶりを発揮する(それを『兎の大手柄」として後世に語り継ぐ感性も恐ろしいが…)。
実際に姿を見た時の私の印象は、草食動物の臆病さで周りを伺いながら、餌を落ち着きなく食べているというもので、傲慢と怠惰、騙り癖、まして虐待をする冷酷さを持つ動物として描かれているのは不思議な気がする。
さて、どなたもご経験があると思うが、ご多分に漏れず私たちの通っていた小学校にも動物の飼育小屋があって、私も世話をしたことがある。漫画『ちびまる子ちゃん』には、彼女が生き物係としてにわとりの世話に大わらわというシーンが出てくるが、記憶によれば、私の小学校にはにわとりはいないで、うさぎだけだったような気がする。
あの鋭いクチバシと、人を威嚇するような目を持ったにわとりは苦手な動物で、その世話は、今だってごめん被りたい気がするから、小学生だったらなおのこと怖くて仕方なかっただろう。うさぎで良かったと、今さらながら思う(田舎者のくせに、からっきし臆病で情けないが)。
うさぎは、校舎と校舎の間の中庭にある、かなり大きなケージの中で、番いで飼われていた。地面は黒々とした土の上に藁を敷きつめ、小高い丘が作られていた。そこにうさぎが穴を掘っていたような気がする。
私たちは、40人あまりのクラスの生徒を8人ずつの班に分けられて1週間交替の当番制で飼育に当たった。確か4年生が担当だったので、クラスの数からいって4ヵ月に1度の割合で当番が回ってきた。
夏場は、藁が温度と湿気ですぐに臭くなってしまい、取り替えるのにむせかえるような臭いに随分閉口したものだ。逆に冬場になると藁が凍ってしまい、世話をした後、かじかんだ手を暖めるのに苦労した。ケージの戸を閉めながら世話をするのだが、その間中うさぎはおとなしく隅の方で身体を丸めていた。
番いで飼っていたので、雌はいつの日か身籠もった。小学生だった私たちは、なぜ子どもができたのかを想像の限りを尽くして語り合ったものである。そして、ある雨上がりの日に出産した。
小学校に戒厳令が敷かれた。「出産後のうさぎを刺激すると母うさぎは赤ちゃんうさぎを食べ殺してしまうことがあります。許可が出るまで中庭には、絶対に近づかないでください」
こんな内容の校内放送が流れたのである。
小学生の好奇心というのは、旺盛なものだ。だれかれとは分らないが、それから数日後、明らかにケージの中に入った痕跡が発見された。なぜか覚えていないが、私はそのすぐ後の「現場」を見る機会があり、肉片と化した生まれたばかりの子ウサギの姿を見た。
私の田舎には、うさぎの肉を他の肉と交ぜて煮て食べる習慣があって、私もよく食べてはいたが、その後は食べることができなくなってしまった。
「現場」は先生たちの手によってすぐにきれいにされ、数日後にはまた当番制の飼育が始まった。私は、その時生き残った子どもたちがいたのか、あるいは番いだけの生活に戻ったのか、そこのところがどうしても思い出せない。
新年には相応しくないような話になり恐縮だが、これは、今までの私とうさぎとの関わりの中で最も大きな出来事だった。
-…つづく
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