第190回:流行り歌に寄せて No.7 「東京ブギウギ」~昭和22年(1947年)
このシリーズの序章で、1年にだいたい2、3曲の割合でと書いていながら、今回の曲で昭和22年は5曲目となってしまった。最初から公約違反と言うところだが、この年は戦後復興の勢いで、実に多くの名曲が目白押しだったために、あれも、これもとなってしまったことを言い訳としたい。
ゾウ、クマ、ウサギ、タヌキ、リス、サル、ネコ、キツネさんチームと言えば『家族そろって歌合戦』である。東京オリンピックの閉会式からちょうど1年半後、昭和41年の4月に始まった、獅子てんや・瀬戸わんや司会による、視聴者参加の歌番組だった。
父母子、父・子の兄弟、母・子の兄弟、母・従兄弟兄弟・・・・など、様々な組み合わせ、一体何親等までが「家族」と認められていたのかわからないが、一家族三人一組のチームが8チーム、歌合戦を行ない、優勝を争った。
審査員が委員長の高木東六を初め、笠置シヅ子、市川昭介、神津善行、阿部進と、今考えると豪華な面々。
番組が始まった当時、小学校の高学年だった私には、家族が手を取り合って歌う姿が、何かもう気恥ずかしい感じがしていた。けれども、毎週日曜日、キリスト教会から帰宅してすぐテレビをつけると、放映していたこの番組を家族みんなでよく観たものだ。
「この人、もうおばちゃんだけど、昔は身体全体で踊りながら、すごい迫力のある歌を歌う人だったのよ」
私が、「あのおばちゃん誰なの?」と、最初に母に聞いたときの答えがこうだったのだ。審査員の中で紅一点の笠置シヅ子(現役歌手時代の芸名はシズ子)は、大阪弁でにこやかに批評をする明るいおばちゃんというイメージだった。
『東京ブギウギ』 鈴木勝:作詞 服部良一:作曲 笠置シズ子:唄
1.
東京ブギウギ リズムうきうき 心ずきずき わくわく
海を渡り響くは 東京ブギウギ
ブギの踊りは 世界の踊り 二人の夢の あの歌
口笛吹こう 恋とブギのメロディー
燃ゆる心の歌 甘い恋の歌声に 君と踊ろよ 今宵も月の下で
東京ブギウギ リズムうきうき 心ずきずき わくわく
世紀の歌心の歌 東京ブギウギ
(ヘイ)
2.
さあさブギウギ 太鼓たたいて 派手に踊ろよ 歌およ
君も僕も愉快な 東京ブギウギ
ブギを踊れば 世界は一つ おなじリズムと メロディーよ
手拍子取って歌おう ブギのメロディー
燃ゆる心の歌 甘い恋の歌声に 君と踊ろよ 今宵も星を浴びて
東京ブギウギ リズムうきうき 心ずきずき わくわく
世界の歌楽しい歌 東京ブギウギ
ブギウギー陽気な歌 東京ブギウギ
ブギウギー世紀の歌 歌え踊れよ ブギウギー
(ヤー)
大正3年(1914年)の8月25日のお生まれと言うことで、この番組が始まった時点ですでに51歳、番組の終わりの頃は65歳という、本当のおばちゃんだったのだが、こう書いていて驚いてしまった。
上記の激しいブギが発表されたときは、すでに33歳だったのだ。今回You Tubeで、同年の東宝映画『花の饗宴』でコロムビア・オーケストラをバック(指揮は服部良一!)に歌っている姿を拝見したが、身体そのものがリズムとなって、本当によく動いていた。
その後も、服部良一の作曲による彼女のブギは大ヒットを飛ばし「ブギの女王」と呼ばれていたことは周知のとおりである。
「ブギ」の名が付いた曲だけでも『さくらブギウギ』『ヘイヘイ・ブギー』『名古屋ブギー』『大阪ブギウギ』『博多ブギウギ』『ジャングル・ブギー』『ホームラン・ブギ』『ジャブジャブ・ブギウギ』『ブギウギ娘』『買い物ブギー』『アロハ・ブギ』『黒田ブギー』『七福神ブギ』歌いに歌ったものである。
変なところが好きだと思われるだろうが、私は彼女の歌の中の「ヘイ」とか「ヤー」のかけ声が大好きなのだ。特に好きなのが、最後に発するドスの効いた「ヤー」の声。最初吹き込んだレコードにはこの声は入っていないが、ステージではよく披露してくれていたようだ。
今までの日本の歌手にはない、聴く側の、ある意味野生に訴えかけてくるような、腹から絞って出てくる音だという気がする。
美空ひばりの歌の中にもドスの効いた「ヤー」が登場して、これもなかなか良いが、これは笠置シズ子の真似っこであるらしい。そう言えば、美空ひばりの出発点は、笠置シズ子の物真似からだという。最高のお手本があった美空ひばりは、とても幸運だったと思う。
※「東京ブギウギ」の発表は昭和22年だが、レコードが発売されたのが翌年の1月だったために、この曲を昭和23年の歌と紹介している事例も少なくない。
-…つづく
第191回:流行り歌に寄せて
No.8 「フランチェスカの鐘」~昭和23年(1948年)
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