第173回:走れ! 愛馬"リズモア"(後)
7月17日(土)、新潟競馬場の第3レース3歳未勝利の14番ゲートにリズモアは入っていた。
前回、2週間前の阪神競馬場でのデビュー戦での走りはなかなか良いものだったが、失格という残念な結果に終わっていた。小島茂之調教師は、その後一週挟むことなく次の週も阪神に出走させよう(これを業界用語では「連闘」というらしい)か、一度北海道の美浦に戻って次の週の新潟を目指そうか、かなり迷ったらしい。
結果的にはスタッフとよく相談した上で、連闘ではなく、一旦美浦→新潟行きの選択をした。美浦に帰厩(ききゅう、厩舎に帰ること)してからの調整はうまくいき、馬の状態は上向いているようだった。
当初は18日(日)のレースを想定していたが、土曜日のレースの牝馬が頭数割れしてしまい急遽1日前倒しでレースに臨むことになる。騎手も急いで吉田豊ジョッキーに依頼する。
ダート1,800メートル左回り、天候晴れ、馬場は稍(やや)重、13頭立て。愛馬リズモアはよく走り、結果は勝ち馬と3と1/4差の4着。賞金は75万円。ついに初任給を得たのである。
勢いに乗り、今度は新潟での連闘ということで、翌週25日(日)の第3レースにエントリーすることになった。
ところがレース前日の土曜日の朝、装蹄師が鉄を打ち換えたときに、ほんの少し違和感があることに気付き、すぐにスタッフに連絡をとる。そして、土曜日の最終レースの後に装蹄師、獣医とともに小島調教師は最終チェックをすることになった。
リズモアも痛いという表情を見せるわけではないのだが、彼女の小さな仕種の中に、小島さんはやはり微妙な違和感を覚えた。軽い球節炎(急設の関節炎)を起こしている。翌日の出走はほぼ問題ないが、レース後に悪化する可能性も皆無ではない。
リズモアの今後を考え、調教師は出走取り消しの判断を下した。関係者やファンに迷惑がかかるだろうことはよく知った上で、彼は馬の状態を第一に考え、迷わずにその選択をしたのだった。
しばらくは、ダートの多い北海道で調整しながら走らせることになった。
それから3週間、ずっと調整を重ねてきた。そして、球節炎の状況は完全とは言えないがほぼ治癒。リズモアの宿命の持病とも言える「スクみ」(筋肉の硬直する症状)もときどき現れたりして万全とはいかないが、それでも獣医のチェックではすべてにOKサインが出る。
8月15日(日)、65回目の終戦記念日を迎えたこの日。故郷である北海道での初めてのレース。札幌競馬場第2レース3歳未勝利戦。1,700メートル右回り、天候は晴れ、馬場良で13頭立て。ホワイト騎手を乗せた愛馬リズモアは7番ゲートに入った。
ゲートが上がりスタート直後は、やや抑え気味。第1コーナーを8位、第2コーナーを7位、第3コーナーを6位と徐々に追い上げていく展開。第4コーナーを回ったところで3位の好位置に付け直線コースへ。馬脚がグングン伸びて先行の2頭を追い抜き、その勢いのままゴールを駆け抜けた。
2着場を3馬身引き離す、文句なしの完勝。タイムは1分47秒08。単勝で600円の払戻金だった。愛馬リズモアは4戦目にして、ファンの、関係者の、スタッフの、そして小島茂之調教師の期待に応えたのだ。このレースの獲得賞金500万円。
小島さんは、そのブログの中で長い長い文章を書いて、リズモアの勝利をしみじみと語った。その中でこんな言葉が心に残った。
(引用)
レースの後でリズモアには、「よく頑張ったな…もうゆっくりと休みをもらいなさい」と言ったが、「もうこれでしばらくはリズモアのことを忘れることができる」。最近はそれぐらい頭にこびりついていた。
四六時中、頭の中から離れなかったリズモア。「もうしばらくはお前のことは考えなくてもいい」とまで考え続けられていたリズモアは、何と幸せな馬なのだろう。
ところが、愛馬リズモアはまだまだ波瀾万丈ぶりを発揮する。レース後の調整で歩き方が少しぎこちないのを見て確認してみたところ、経度ではあるが骨折をしていた。また、小島調教師の頭の中にリズモアが戻ってきてしまったのだ。
小島さんはじめスタッフのきめ細かいケアが始まった。そして、骨折した足は手術をし、時間をかけてゆっくりと調整を進めていくことになった。今年のレースは難しいが、経過を見ながら、来年にはより逞しくなったリズモアの姿をファンの前に見せたいと、厩舎を上げて彼女をバックアップしていくらしい。
来春はぜひ関東に来て欲しい。そうしたら私は生まれて一度も足を運んだことのない中央競馬に喜んで出掛けることにしよう。そして、もちろん愛馬リズモアの馬券を買って声を限りに声援を送りたい。
必ず待っているよ、愛馬リズモア!
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