■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)
矢印メール

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice


第1回:I'm a “Barman”~
第50回:遠くへ行きたい
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第51回:お国言葉について ~
第100回:フラワー・オブ・スコットランドを聴いたことがありますか
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第101回:小田実さんを偲ぶ~
第150回:私の蘇格蘭紀行(11)
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■更新予定日:隔週木曜日

 

第159回:私の蘇格蘭紀行(20)

更新日2010/02/04


ダンカンズビー岬へ(後)
ようやく、ブリテン島の北の果て、Duncansby Headに着き、切っ尖に登った。 まさに断崖絶壁だった。海面から60~70メートルはあろうかという巨大な崖の岬。広がる海。さすがに、そのスケールに圧倒される。

カモメは海面から崖の上をゆっくりと上り下りしている。ここに住んでいるようだ。下の海面をのぞき見ると、足がすくんでしまい本当にこわいのだ。打ち付けられる波に、ふいに呑み込まれそうな錯覚に陥る。

私はここで、小学4年生の息子の、小学校の校歌を歌った。大きな声で三番まで歌った。

ある種の感慨があった。今まで後ろを見てばかりいながら生きてきた負い目を持っていた。今日は、それをしていると岬まで到着しないので、それができなかった。そして、そこに着いたとき、シンプルな歌が口をついて出てきたのだ。

しばらくの間、岬の情景を記憶に焼き付けると、私は心が満たされるのを感じ、踵を返した。帰路もすれ違う車とあいさつ。けれども、"Not car but walking"と一人で、ほくそ笑みながら。歩いてくる方が何倍か楽しいのだから。

こちらには、「ダンカンズビー →あと何キロ」という標識もなければ、そこまでの遊歩道というものもない。羊を飼っているからゲートは閉めてある。そこを目指して行きたければ、それを越えていけばいいということなのだ。

岬の突端にも、「危険!注意!」という看板は見当たらなかった。見ればわかる、どう見ても、誰が見ても、ある一定の場所(柵の囲い)を越えれば、命の危険が差し迫っていることがわかるから書かない(自殺防止の標語というのも見なかった)。

ただ、見ただけではわからないところ、例えば旅行者案内所の室内で、普通歩いているときにはわかりにくい小さな段差がある所などには、大きく「足下注意」などと書かれた標識が必ず掲げられている。

こんなことからも、こちらの文化に少し触れることができた気がした。

帰りのバスに乗る寸前、先ほどの店に飛び込んで、「最北端の地の消印を押してください」とお願いしたところ、快く押してくれた。担当の女性の方が交代していて、「岬まで行って来られたのですか?」と聞かれた。

「門を4つも5つも飛び越えて行ってきました」と少し上気した顔で答えると、「そうなんですよね」と穏やかな笑顔で答えてくれた。何かしみじみうれしかった。

宿に戻ると、もう暗くなっていた。いつものようにいたってシンプルな夕食を済ませると、私は町に一軒だけあるパブに向かった。宿から歩いて5分足らずで行ける場所だ。

そこのマスターが渋かった。民族は違うのだろうが、雰囲気がイタリア映画「鉄道員」「刑事」の監督・主演ピエトロ・ジェルミによく似ている。もし私が、この後日本で店を営業することになったとしても、どう転んでもこんな店主にはなれそうもない。

言葉少なにオーダーを聞き、小さく頷いてから、無駄のない動作で酒を提供していく。時折、お客さんの話に微笑んだり、小首を傾げたりしながら、姿勢は飽くまでブレがなく、堂々としているのだ。

私は、何より彼の所作を楽しみに見ながら、2パイントのエールを呷り、「ありがとうございました」と店を出ようとすると、彼は擦れ声で"See you! "と言って小さく笑って見送ってくれた。その姿の格好いいこと!

宿への帰り道、"NO BALL GAMES"の看板の前の車道を挟んで、7、8人の高校生らしき若者がフットボールのパスの練習をしていた。

看板を無視する不躾な連中かと思いきや、みな明るく素直な男の子たち。嬌声を上げるわけでも怒鳴っているわけでもなく、ただ楽しげにボールを蹴り合っている。

看板の意味も、風紀上の問題というより、車が危険ということから書かれたことなのだろう。夜も9時をまわっていたので、車など通る気配はほとんどなく、そちらの問題もなさそう。何より楽しげな彼らを見守ってあげたい心持ちになっていた。

そのうち、彼らのパスが逸れて偶然にこちらにボールが飛んできた。私はノー・トラップ、インサイドキックで蹴り返すと、うまいこと彼らの一人の真ん前にきれいな放物線を描いて飛んでいった。

瞬間、「おおっ」の歓声。さりげなく小さく手を挙げて応えたが、心の中は、「やったね」とかなりうれしい気持ちで一杯だった。

-…つづく

 

 

第160回:私の蘇格蘭紀行(21)

 

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